相沢正一郎さんから『テーブルの上のひつじ雲 テーブルの下のミルクティーという名の犬』(書肆山田)をいただいた。

 相沢さんは第一詩集から「台所詩人」だった。台所で本を読み、原稿を書き、旅をする。

 といっても、相沢さんは主夫ではない。ないとおもう。相沢さんと会ったことがないから、ほんとうのことはわからないが、きっと、たぶん、主夫ではないとおもう。ただたんに台所という場所≠ェ好きなだけだろう。なぜ、好きなんだろう。

 相沢さんの第一詩集『リチャード・ブローティガンの台所』(書肆山田・1990年)はつぎのような序詩からはじまっている。

 

 

水道の蛇口から滴る水が、わたしに囁いた。

 

(いつかお乳を吸っていた口をあけて

 きみはだれを呼んでいるの?

 きみはどこから来たの?

 白い骨と歯の金冠をのこして、きみは一体どこに行くの?)

 

 

 ベルクソンやゴーギャンを引用するまでもなく、ぼくたちは、どこから来て、どこへ行くのか、それとともに、私とは何者なのか、という存在論的問いかけという不安のなかでほそぼそと生きている。

 眠れない夜、台所に立って水を飲むが、うまく蛇口が閉まらない。ときおり自動車のヘッドライトが台所の窓ガラスを光らせて過ぎ去る。あとは闇しかない。蛇口から滴る水の音を聞きながら、「生きていることの不安」が襲ってくる。

 子どものころ、父親というおとなは骨太なバックボーンを持って生きているとおもっていた。しかし、その歳になった自分はこの様だ。母親のお乳を吸っていた口をだらしなくあけて、存在の不安におびえている。

 もしかしたら父親というおとなも、「骨太なバックボーン」を持っていると思いこんでいた父親というおとなも、こんな夜を持ったことがあったのかもしれない。そうおもうと心はすこし軽くなるが、画一化された物質的な豊かさのなかで、麻痺しつづけてきた心の襞が、真夜中の台所で、まるでぼくたちの文明社会から滴っているかのような水道の水の音に混じって、ぼくにささやく。〈きみは一体どこに行くの?〉だけどぼくには応えることができない。ほんとうのことを言うと、ぼくはどこから来たのかもはっきりと言えないのだから。それ以上に、ここにいるぼくについてもなにも言えないのだから。

 

 

思いつくままアトランダムに書いていっても、それがわたしの本当の思い出であるかどうか、あやしい。それでもわたしが書くのは、書くことでわたしは世界と繋がっていたいからか。やがて、わたしが眠りに落ちると同時に、散歩の途中で犬の引き綱をひく力がよわくなったのに気づくようにして、世界は手ごたえを失い、忘却の沼にしずんでしまうことだろう。

つづけてわたしは、〈俎板〉や〈包丁〉、〈フライパン〉〈薬罐〉、

〈杓子〉や〈ポテトカッター〉、〈野菜屑の捨てられた三角ごみ入れ〉や〈亀の子たわし〉と書く。ゆうべ、うっかり焦がしてしまったお鍋には、名前のほかに〈煮るための道具〉と書く。そんな身のまわりの台所用具にくらべて、わたしの存在はあまりにも不確かだ。いま、食卓に?杖をついているわたしの指先にはトクトクと鼓動がつたわっているが、やがて、いつかわたしにも死の忘却が間違いなくやってくる。  (作品12・全篇)

 

 

 世界と繋がっていたいから、わたしは詩を書く。しかし、世界は手ごたえを失い、おまけに、わたしという存在は日常生活の利便さを代表している台所用具よりも不確かで、そんなわたしに死の忘却が間違いなくやってきている。……相沢正一郎さんの自己認識は特異さを帯びてないだけ切実でさえある。

 世界と繋がっていたいという願望は誰にもある。「世界」とは自己の精神生活の運動体のことである。ほんとうのことを言えば、雑多で煩雑な日常生活を生きるぼくたちにとって「世界」と繋がっているという認識よりも、「世界」と繋がりたいという願望が、唯一、ぼくたちを生かしているのではないか。そして、日常生活の振幅の具合で、「世界」は手ごたえを持ったり、持たなかったりするのは当然だ。台所用具よりも「わたし」の存在が不確かなのは(ぼくもときどきそういう甘い誘惑にかられたりするが)、それはそうだが、「わたし」が利便さを優先する存在でしかなくなったとしたら、それはそれで、別個の一生を送るしかないのだ。ぼくたちはそういう存在を数多く見てきたし、ぼくたち自身もそういう存在で、あったことがある。

 戦後日本の高度経済成長期とともに育ってきたぼくたちは経済的、技術的発展の甘い蜜を吸っておとなの仲間入りをしてきた。(相沢さんは1950年生まれだからぼくより2歳下)

 「高度成長」があたりまえの時代だった。利便さのみを追求してきた時代は、それなりに意味のあったことだし、否定はしない。(後戻りしろと言っても無理な話だし、現状維持もあやしいほどヒトは利便さへの欲望から自由になれない。)その間、アンポや連合赤軍、水俣病、田中角栄事件やオイル・ショックなどいくつかの節目はあったが、経済至上主義の機関車は走りつづけた。「俺は違う」と言いだす人がかならず一人や二人は出てくるが、高度経済成長の恩恵を受けなかった例外は一人とていない。

 一等車の呼び名がグリーン車に変わり、新幹線が走りはじめた。快適な電車に乗り、快い車窓の風景をぼんやり眺めていると、それだけで、簡単に一生は終わってしまいそうな気がした。実際、終わってしまって悪い、わけはない。快い一生があればそれにこしたことはない。人間の一生なんてたかだか80年ぐらいのものだ。無理して不快な一生を選択する必要はない。

 それでもヒトは時として、不快な瞬間を自らに課すときがある。ある朝、目覚めとともに、なんの前触れもなく不快な自問がやってくる。「わたしはなんのために生きているのか」。朝の不快な目覚めの延長として、すぐに忘れる人もいれば、朝な夕なに暴力的な色合を帯びて脅かされつづける人もいる。相沢さんは、不快な自問に脅かされつづけているうちのひとりだ。

 

 と、相沢さんの第一詩集について、つい長く語ってしまった。

 相沢さんは台所という密室から荒野を見ている。荒野に置き去りにされている自分の姿を見ている。その密室は寝室であってもクローゼットであってもよかったのだが、相沢さんは台所を選択した。ヒトは食べ、排泄し、食べ、排泄し、を繰り返して死んでいく。その意味では台所もトイレも生と死が刻み込まれた空間である。否応なく生きていかざるを得ない、だから、自分について考えざるを得ない空間である。その空間で相沢さんは本を読み、原稿を書き、水を飲み、旅をし、フライパンを振る。ときどきゴミのにおいが鼻につくが。

 

 新しい詩集『テーブルの上のひつじ雲 テーブルの下のミルクティーという名の犬』でもその姿勢は変わらない。あいかわらず相沢さんは台所で本を読み、原稿を書き、旅をしている。

 旅から帰った相沢さんは汚れ物を洗濯機に入れ、台所で眠気にあらがって日記をつけているうちに死んでしまったミルクティーという名の犬のことをおもいだす、というふうに快調に相沢さんの近況が語られる。

 今度の詩集は、「メデイア」や「オイディプス王」の物語などが台所で語られる。あるいはゴッホやゴヤ、弥次さん喜多さん、ホームズまでが登場してくる。最後は「父」の思い出が語られ、次の詩「日記」で詩集が閉じられる。

 

 

 ローソクのちいさな火をてのひらで目隠ししながら、風のゆびさきがめくるべージをあるいた、ゆれる小枝をふむ足どりであるいた(気をつけろよ、風が火を吹き消してしまわないように)──いつか、おおきな木のてっぺんの巣から盗み出した、まだ赤はだかのひょひょ(、、、、)をそっとてのひらに包んで家まではこんだように(気をつけろよ、黄色いくちばしに?みつかれないように)。

 

    青い空の波間でひそひそ身じろぎしていた鳥たち……

 

あの鳥たちが今、わたしの日々を読んでいる、梢のてのひらのすきまから零れた光に透かして読んでいる、わたしのまなざしを通して読んでいる──失くしてしまったスリッパの伴侶のかたわれをソファーの下から見つけて「おおっ」と叫んだり、にわか雨に気がついてあわてて洗濯物をむしりとったり、薄暗い階段の途中に坐ってすこしだけ泣いたり、

 

                   ピッツァを焦がしてしまい「ああっ」となげいたり、川の流れに翻弄されている岸辺の草を見ていたり、仔犬の柔らかな毛をなでて肋骨の下で脈打つ心臓に触れたり(気をつけろよ、息で火を吹き消してしまわないように)、ふろふきを食べたり、熱いコーヒーを畷りながら窓辺に立ったり、如雨露でクレマチスの鉢に水をやったり。

 

 相沢さんの詩に、ポストモダン、などといううさんくさい文脈を持ち込むことを許していただけるなら、「みずからが断片に過ぎないことを自覚し、正当化・全体化をめざさない===ちいさな物語」が展開されていることが相沢さんの詩の特長である。「時代の正当化のために紡ぎだされたおおきな物語」ではないこと。あくまでも「個人の台所」に還元される物語であること。そこで考えたこと、そこから見えてくるものが、相沢さんのすべてである。相沢さんは自分の脳と身体を通したものを通じて自分を知る。その自らを知ろうとする相沢さんの思考過程を体験することで読者にもまた、自らを知りたい、という希望が(けっして欲望ではなく)もたらされるのではないか、と。過去現在未来を自在に旅する相沢さんの意識が、読者の全世界と通底孔を持ちたいと願っているようにおもえるのはぼくだけだろうか。

 だから、リオタールの「主人公がひとりの人物ではなく、時間についての内的意識」(『こどもたちに語るポストモダン』(ちくま学芸文庫))という言葉を相沢さんの詩に見いだすことができる、と言ってもいいだろう。