3月11日午後、三陸沖でM9の未曾有の地震が発生した。  本誌の執筆者はじめ読者の方々多数が被災された。一日も早い復旧を願っています。

 

 高知沖ではフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に潜り込んでいて、この高知でもそう遠くない将来に今回のような地震(南海地震)が発生する、と県をあげて周知運動をしているので、「明日は我が身」という気持ちでTVを見ていた。

 地震が避けられないものなら、まだ気力のある今のうちに来てほしいものだが、そううまくはいかないだろう。気力がなくなった年齢のころにやってこられて、避難所生活などを強いられたりすると、忍耐強くなく、かつ、他者との協調性がないぼくはすぐにギブアップして生への執着なんかなくなってしまいそうな気がする。まあ、それはそれでぼくの人生かもしれない。

 

 自然はときとして巨大な現象をおこして地球の仕組みを変えてしまう。(大陸移動説というのもあって、4億年前、2億年前の大陸は現在とはかなり違う形状をしている)その現象が、人が住んでいないところにおこればたんなる自然現象だが、人の住んでいるところにおこれば自然災害になる。いま、地球上で人の住んでいないところを探すのが困難なほど、人はあちこちに住んでいる。昔からの言い伝えを受け継いでかつては住むことのなかった土地にも人は住みはじめた。そのことが災害の規模を大きくさせているかもしれない。高知でも河川敷や遊水地だったところに住宅が建ち並んでいる。

 今回の災害を受けて早速、高知市長が南海地震への対策の再考を職員に指示した、という新聞記事があった。高知はもともと地盤が低いのだが、昭和21年の南海地震のときに地盤がさらに1mほど沈下した。そういうこともあって、あちこちに水門を設置して津波禍を少なくしようとしているが、今回の津波の凄さをTVで見ていると、堤防や水門という人間の小手先の企みなどなんの役にたつだろうか、というおもいがした。

 高知市内を横断している鏡川が氾濫したら高知市は水没してしまう。実際のところ、台風禍で高知市は過去何度も水没した。県立美術館が水没した記憶は新しい。ぼくが住んでいる朝倉地区もつい20年ほど前はすこし雨が降ると国道が冠水していた。自宅前の道路をゴーゴーと水が流れた。現在は排水ポンプを設置して昔ほどではなくなったが、鏡川が氾濫すればどうしようもない。今回の地震でも津波が河川を逆流しているシーンがTVで見られたが、まさに「明日の我が身」である。だから覚悟はしている。でも、「がんばれ高知」とは言われたくない。頑張れと言われて嬉しい人もいるだろうが、頑張ることはしんどいものだ。頑張らないで生きていきたいダイケではある。

 

 それにしても今回の津波は自然の力の大きさをあらためて思いしらされた。

 古代から、こうして文明も人類も滅んでいったんだなあ、としみじみおもった。文明の利器など自然の力の前では無力でしかない。近代が削ぎ落とされたら、人間には何が残るのだろう。

 住民の半数以上が被害にあった南三陸町は地形の関係で昔から津波に襲われていたそうだ。明治時代の明治三陸大津波で村は壊滅し、国の施策のもと、高台の山林を切りひらいて住民は移り住んだというが、漁業で生計を立てていた住民は海沿いに生活の場を戻し、昭和三陸大津波、チリ地震津波と被害を繰り返してきて、今回は町が壊滅し、1万人という人的被害を受けた。

 安全な山沿いで暮らしていれば被害に遭わなかっただろうに、という声が出るかもしれないが、漁業という文化のなかで生きてきた人びとには、生活の場は海沿いでしかなかったのだろう。自然はそういう人間が築きあげてきた文化をも一瞬のうちに壊滅してしまう力を持っている。だからといって、人びとは漁業という文化を手放すことはないだろう。前号にも書いたのだが、伝承文化が制度化されることで人の営みは支えられている。人びとは漁業という文化に支えられている営みを手放すことはできないだろう。何代も昔から漁業という文化に支えられて生きてきたのだから。これからもかれらは漁業を手がかりとして生計をたてていくだろう。

 

 地震や津波は自然災害で、人間の思わくなどどうしようもないものであるが、今回は原発の事故がおこって、たくさんの人が避難し、多くの人がいまも恐怖に怯えている。

 この原稿を書いている時点(4月1日)では原発事故は終息するどころか、電力会社や国の言ってきたことの虚言が暴露されながら、放射性物質はますます広がりつつある。

 野菜や水道水に許容量以上の放射性物質が検出された報道がつづいているし、土壌にもたくさんの放射性物質がしみ込んだらしい。土壌粒子と結合しやすいセシウムは半減期が30年とかいっているので長いあいだ汚染されたままになるだろう。また、28日にはプルトニウムが周辺土壌から検出されたと報道があった。津波塩害で作物が収穫できなくなったばかりでなく、残留放射能で農地が死んでいく。

 また、津波で全壊した漁村には追い討ちをかけるかのように海に放射性物質が流れ出している。科学者は海という許容量を考えると魚を食べても健康に害はないし、もともと放射性物質がゼロという環境はないと言っている。それはそれでもっともな話だろうが、いまは、原発事故の直後でみんなが不安に思って暮らしているので、理論的な安全よりも、人びとの感覚に訴える安心を人びとは求めている。そうなるとそれは科学者の役割ではないだろう。国がリーダーシップを発揮して…、と書こうとしたが、国民から不信感を持たれている国がいま何らかの指針を示そうとしても、だれも安心感を持てないだろうし、猜疑心すら持ってしまうだろう。では、被災地周辺の人たちは何を根拠に生きていけばいいのだろう。

 今回の原発事故で、農業と漁業という日本のふたつの文化が打撃を受けてしまった。

 事故の初期のころは国も電力会社も「大丈夫大丈夫」と言いつづけていた。「現在の放射能程度では安全」「原子炉は損傷されていない」といったアナウンスを繰り返していたが、今回ばかりはそう簡単にごまかされないぞ、という恐怖感が日本中を覆っていた。実際、日にちがたつにつれ、国も電力会社も微妙に発言を変えはじめている。

 原発設置時、原発は安全だ、と国も電力会社も言いつづけていたが、「絶対に安全」ということはなにごとにも無い。あらゆることはつねに危険と隣り合わせている。原発設置時にリスクもあるということをアナウンスをすべきなのに、そんなアナウンスをすれば原発は何処にも建設できなかっただろう。だから国も電力会社も「絶対に安全」という虚言を国民にむかってアナウンスすると同時に、かれら自身も信じ込むという擬態を演じて前に進むしかなかっただろうと想像する。

 それにしてもこの体たらくはなんだろう。ぼくはもっと日本の科学力を信じていた。危機対応能力はそれなりに備えているとおもっていた。それなのにこの右往左往ぶり、科学の当事者ともおもえない信憑性のない会見(科学は正確な数字、揺るぎない理論によって支えられているのに)、おまけにアメリカやフランスから技術力を援助してもらわなければ収拾がつかなくなっている現状、もっと日本の科学は力があるとおもっていたのに。事故がおこったときこそその力を発揮すべきなのに「残念」などという言葉でかたづけることのできない不信感が科学にとりついてしまった。今回のことは一原子力発電だけの問題ではなく、科学全般への不信感が増長されるのがさみしい。

 予想以上の巨大津波が襲ってきて、冷却装置などを喪失したという想定外の事態だった、と国も電力会社も繰り返した。「想定外」を免罪符にしたいようだが、それは科学がいう言葉ではない。

 「想定外」ということは、想像力不足の対策しかしていなかった、という無策を認めることでしかない。「絶対に安全」だというのなら、「想定外」の対策も当然シミュレーションしておくべきだっただろう。それが科学だとぼくはおもう。

 今回の事故は、発熱していく燃料棒を冷ませばいいのだが、冷却のための電源装置が津波にさらわれて無くなってしまった、という、発電所に電源装置がない、というまったく皮肉な現象がおきている。バックアップ機能も津波にさらわれたそうだ。すべて「想定外」の出来事だった、ということになっている。電源装置と、そのバックアップ装置を同じ津波でさらわれて、それを「想定外」という鈍感さが電力会社にはある。

 災害一週間後になって、他所から電源を引き込む作業に取りかかったのだが、もうすこしはやく準備できなかったのだろうか。TVで知る限りだが、国も電力会社も後手後手の対策しかしていないような印象だ。作業員は危険と隣り合わせの作業をしているとおもうが、上に立つ人物が無能だということだろう。

 その作業員3人が作業中に被ばくした。2人が重篤だという。TVをみていると、電力会社も、NHKのアナウンサーも「協力企業の作業員」が被ばくしたと言っていた。「協力企業」といえばパートナーのような印象を受けるが、実際は下請け、孫請け会社である。親会社の言うことをきかなければいつ仕事を打ち切られるか分からない下請け、孫請け会社のことである。

 いつもがこうだ。一部のエリートが設計し、その安全と言いつづけた施設が破損したとき、危険を覚悟で修復するのは下請け、孫請け会社の作業員だ。新聞報道で知ったのだが、かれらは劣悪な環境で復旧作業をしているのに食事も休息場所も満足に与えられていないらしい。厚生労働省が調査にはいるという報道がされていたが、改善されただろうか。

 

 危険覚悟、といえば、自衛隊が危険覚悟で放水などを試みていたが、そのとき、自衛隊の一番偉い人が、「日本国民の生命を守るのが自衛隊の仕事だ」というようなことを言っていたが、おいおい、そんなこと言うなよ、とついTVにつっこんでしまった。

 いつもおもうことだが、台風などで災害が大きくなったとき、自衛隊が出動して世間の感謝を浴びているが、それは違うのではないかと。災害に対処するなら、災害救助隊のような組織を常備しておき、災害時に出動すればいい話で、災害のたびに自衛隊が出動して、「やっぱり自衛隊がいてよかった」という世論が形づけられている。自衛隊はいざというとき頼りになる、自衛隊は国体を守っている組織だ、という世論が形成されることになる。

 今回も自衛隊は大活躍である。災害一週間後に陸上自衛隊に救助された生命もある。周囲から孤立している避難所に陸上自衛隊が命の食料を運んでいる。自衛隊の装備と統制力のなせるわざではある。

 でもやっぱり、自衛隊でなくてもいいとおもう。

 

【へびのあしだが。自衛隊、あるいは警察、という単語が出てくるとフーコーの「生権力」という概念のことがおもいおこされる。

 フーコーは「規律権力」と呼んで、個々人の身体に働きかけて、それを規則正しく、従順なものへ調教しようとする権力を指摘している(監獄での規律性を言っているのだが)。自衛隊や警察といった組織はこの仕組みの内側にある、とぼくはおもっている。

 (フーコーの書き物の多くは中世ヨーロッパからはじまるのだが)中世の権力は、従わない者は殺すことで権力(殺す権力)を見せつけてきたが、近代の権力は、個々の自由が広く認められるようになった、と錯覚させて、実は個人個人を巧妙に支配し、管理する権力(生かす権力)が打ちたてられている、と言っている。

 たとえばこういうことだろうか。現在の権力システムは、医療や福祉、教育などといった保護的な権力を前面に押し出し、国民を管理統制している(国は国民総背番号制度を導入して、国民一人ひとりの個人情報を一括管理しておこうと画策しているが)。この管理統制から離脱することは、現在の日本では不利益を受けることになり、個人は権力システムからの離脱や抵抗の権利を否応なしに奪われているのだ。もうすこし言えば、権力システムはこういう保護システムをうまく活用することによって、すべての国民に特定の生き方を強要している。

 自衛隊や警察を例にすれば、自衛隊や警察が困難な災害に立ち向かっている姿を様々な形でアナウンスすることは、国民の支持や承認を受け、自衛隊や警察を日本の社会システムの内部に取り込ませるには絶好の機会である。それによって、国民を統制、管理していこう、と、日本の権力の側はそう考えている、と。自衛隊も警察もかれらの存在意義が高く認められて、国民の危機のさいには必要不可欠な存在である、と国民の支持を再び受けることになるのだろう、と心もとなくおもいながら原発への放水作業を見ていた。

 もう少しへびのあしを書くならば。中世では君主の命令によって民衆が戦に駆り立てられていた戦争が、近代国家では、自分の土地を守るという主体性が内面化されることで自己の権利のための戦争、という概念が生まれたが、実はそれも、民衆を殺人機械として戦場におくる仕組みでしかなかった。そして、戦争が近代化するにつれ、軍事作戦は兵士の確保から補給の確保に移っていった。アメリカを見てもわかるように、多くの富を生産し維持できる国家が世界を征服できるようになった(最近ではそれはあやしくなってはいるが)。そのため、兵士の訓練よりも、民衆の富を増やす市場システムが優先されるようになり、国家は、戦争によって死をコントロールするシステムから、民衆の生活を保障し、生産を向上させるという市民の生をコントロールさせるようになった。フーコーのいう「生政治」という概念はこういうことだろう。

 国家や権力は巧妙に民衆の内部に足場を移している。そのことにぼくらはもっと自覚を持つべきではないだろうか。】

 

 今回の事故を受けて、反原発派の人たちはますます「原発反対」の声をあげるだろう。こうなる前に国民こぞって原発に反対しておけばよかったのだ、と反原発派の人たちからは声があがるだろう。もっともな話だ。しかし、それはそうだろうけれど、原発設置地域以外のほとんどの人は原発の危険性には無関心で、国や電力会社の「安全神話」に自分たちの利便さを委ねてきた、という側面がある。そして、こういう事故が顕在化することで、事の大きさ、自分たちの無関心のツケを認識することになる。歴史とはそういうことの繰り返しだとおもう。

 ぼくも原発は怖いとおもっているひとりだがいままで、「反対」の旗印を掲げて「ハンターイ」と声をあげたことはない。どうもぼくはあの「集団行動」が苦手だ。平和運動というのだろうか、市民運動というのだろうか、なにかの目的で集団行動をするのが苦手だ。(「殺すな」のワッペンを胸のベ平連も苦手だった)

 ただ、鎌仲ひとみの映画『六ヶ所村ラブソディー』なんかを見て、その感想を細々と書いて、原発の是非を文章化することしかできない。そのぼくの文章を読んでくれた誰かが、鎌仲ひとみの気持を、「原発はひそやかな怖さを持っている」「人の心を虚しくさせる」、ということを受けとってもらえればいい、とおもっている。あるいは、鎌仲ひとみの映画を見よう、とおもってくれればそれでいいとおもっている。

 今回の事故を受けても、「反対」の旗印をしたり顔で掲げるだけではなく、現在の文明のなかで原発無き後の電力をどう位置づけて、実践していけばいいのか、そのことを考えなおさなければならないのでは、とおもっている。気の遠くなる課題だが、そこを通過しなければ物事の根本は動かないのではないかもっている。ただ単に原発から他の電力へのすり替えだけのことに終わらせていいものだろうか。

 (もうずっと昔のことだが、高知県の東部の海岸地域の珊瑚を守る会という人が、高知市の人は(当然ぼくも入るのだが)東部の珊瑚が破壊されていることに無関心すぎる。その無関心さがひいては地球環境を云々、と熱弁を振るったことがあって、それはそれでもっともな言い分だったが、その人があまりにもひどい排気ガスを出す車に乗っていたので、そんなに排気ガスを出して高知の町を走っていて海洋環境を守りましょうと言っても説得力がないのでは、と言ったら、「それとこれは違う」と返されたことがある。こういう人は昔から苦手だ)

 

 電気は現代人の生活とは切り離せないものではあるが、電気ほど厄介なものはない。石油やガスのように備蓄できない。

 水力発電は川を殺す、と脱ダムが主流になっているし、石油や石炭の火力発電はCO2を排出し、温暖化が懸念され、それに化石燃料の涸渇も予想されているし、産油国の事情で安定供給が期待できない。それに、CO2の25パーセント削減は現民主党政権の公約であり、鳩山前首相は国連演説でそれを約束している。(あれも方便だった、と言いだすかもしれないが)

 原発は今回のような事故がおこれば大きな被害をもたらす。いや、原発も現在のような核分裂ではなく、太陽のような核融合での発電なら安全だから、核融合発電の開発をはやく進めればいい、という声も出るかもしれないが、福島原発のような危険はなくなるだろうが、核融合にしても核廃棄物は出てしまう。いま、その核廃棄物をどこへ埋めるか、電力会社は必死になって探している。高知では東の町、東洋町の町長が一度手をあげかけたが、町民の力で引っ込めた。(設置するしないにかかわらず、調査に応じたら年間10億円の補助金、という、財源不足の自治体の顔を金でひっぱたくようなやり方を電力会社はしている) 

 安全なのは風力発電や太陽光発電だが、あまりにもコストがかかりすぎるし、安定的な供給ができない。現在の必要量をまかなうことはできない。産業界がこぞって反対するだろう。いや、産業界だけではない、一般家庭でも電力の安定供給を求めるだろう。

 ぼくの住んでいるところは高知市でも田舎のほうなので、自宅では夏でもクーラーを使うことはほとんどない。庭とのガラス戸を網戸にしておけばけっこう風がはいってくる。冬は石油ファンヒーターでしのいでいる。こういう生活なら、たとえば屋根の上に太陽光発電のパネルを取り付ければ自宅の電力くらいは自給できるかもしれない。(蓄電器や夜間などといろいろ制約はあるにしても)

 しかし、都会ではそうもいかないだろう。ビル全体の冷暖房はあたりまえだし、家庭でも冷暖房なしの生活は考えられなくなっているだろう。それらを太陽光発電や風力発電でまかなうのは不可能だろうし、何年か前、生活に窮した老人が真夏でも冷房器具を使わずに過ごしていて家の中で熱中病で死んだというニュースがあった。都会では電力は人の生命に関わっているのだ。

 今回、福島原発の事故で首都圏の電力が不足し、計画停電という奇策が行われ首都圏は混乱した。電力はつねに供給されるものだとおもっていた、そのことが覆された。また、この夏の電力不足は確実で、産業界に生産調整を要請する、というようなことを政府は言っていたが、遠く、高知にいるぼくはこれを機に世論が「非文明」に後退してみるシミュレーションをおこなってみたらどうだろう、とTVを見ていたが、まあ、そういうふうにはならないだろう、とシニカルな性分のぼくはついおもってしまう。

 今回の事故を教訓にして、新聞の世論調査では原発に頼りたくないという意見が原発容認派よりも多くなったし、国も原発に頼るとは言いにくくなっただろう。(民主党政権はCO2の問題で、原発に頼る政策を意図していたが)これを突破口に、脱原発に進めればそれにこしたことはないが、「喉もとすぎれば熱さ忘れる」「病治りて薬師忘る」「暑さ忘れれば陰忘れる」と日本人は昔から言っている。

 現在、日本の電力量の約30%を原発が占めているらしいから(四国は40%を原発に依存しているらしい)、家庭で使う電気を30%減らせば原発に頼らなくてすむことになるのだが、3分の1近くも電力を減らすことに同意する人はどれだけいるだろう。

 それにたぶん、かれらは、原発は怖いが、電力が供給されないのは困る。30%占めている原発の代わりに火力発電などを増やして現在の電力量を維持してほしいとおもっているだろう。

 ぼくはこのまま、代替発電を用意するのではなく、原発が無くなった分後退する「30%減の文明」をシミュレーションしてみてはどうだろうとおもっているのだが、賛同の手をあげてくれる人はでてくるだろうか。

 いやいや、電力の30%削減などは産業界が許さないだろう。それでなくても今回の事故を受けて、より安定な電力供給を求めてくるだろう。現状から後退する文明などかつて無かったのだから。とくに日本経済を背負っていると自他共に認めているトヨタやソニーなど産業界は、我々が生産を減らせば日本がつぶれるとばかりに圧力をかけてくるだろう。30%削減などをほのめかせば、発展途上国に工場を移すぞ、と国を脅すだろう。脅された国がどういう態度を取るのか見てみたいのだが、トヨタやソニーなど産業界は下請け企業をはじめ多くの雇用を生み出している。それらが生産できなくなれば雇用が止まって失業者が溢れる。いまでも就職氷河期とかいわれているのに、これ以上失業者が溢れれば日本という国が立ちゆかなくなる。

 (そう考えてみると、経営者の側は働くことを強制する必要もなく、労働者の側から自律的に労働を求めるシステムに組み替えることに成功している、といえる。フーコーのいう「生権力」が実証されている現状ではある)

 そうなれば、日本の経済は失速し、国はその責任を問われることになる。日本だけが世界の経済から取り残されてしまうと慌てふためくだろう。それでなくてもGDPを中国に抜かれて世界第三位に落ちたとか、少子化で労働力が確保できなくなるとか、つまらんことでマイナス思考に陥っている現状だ。そう考えると国は毅然とした姿勢で、原発に頼らない「30%減の文明国」を目指す、とは言わないだろう、きっと。

 しかし、ここは、世界の経済から取り残されても生きていける哲学を模索することで日本という国を捉えなおす千載一遇のチャンスではないか、とぼくなんか考えるのだが、それは、経済音痴の文化系がなんの根拠もなしに言っていることで笑止千万と言われるかもしれないが、それでも、人が生きていくに必要な最小限度の文明とはなんなのかということを考えなおしてもいいのではないかとおもったりするのだが、どうだろう。

 電力ひとつに絞ってみても日本に突破口はあるのだろうか。

 あるいは、文明は自らの過剰のために崩壊するのが運命なのだろうか。

 

■鈴木漠さんに『遊戯(ゆ げ)論』(編集工房ノア)という詩集を戴いた。

 鈴木さんの試みが前面に押し出されている一冊だ。

 『梁塵秘抄』の歌謡「遊びをせんとや(うま)れけむ、(たはぶ)れせんとや(うま)れけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ(ゆる)がるれ」に人生の本質を感じた鈴木さんが、遊戯を主題とし、九鬼周造の論文『日本詩の押韻』をフォローし顕彰したい一念でソネット(脚韻十四行詩)やテルツァ・リーマ(三韻詩)の試みをなした、と「あとがき」にかわる「付記」に記されている。

 そしてこの「付記」にはこんなことも記されている。

 「電子書籍の時代に脚韻詩など、我ながら時代錯誤(アナクロニズム)も甚だしいと思わぬでもないが、活字表現(タイポグラフィー)の滅びと散文化に向かって加速する現代詩へのささやかにして最後の試みと位置づけておきたい。」と。

 時代錯誤、などと言ってはいるが、これは鈴木さんの言葉にたいする立ち位置の宣言であり、ブログやツイッターといった「言葉にたいする反応だけの姿勢」(と、ダイケはいつもおもっているのだが)とは一線を画したい、という決意が下敷きになっているとぼくにはおもわれる。

 また、「散文化に向かって加速する現代詩」というのは、俳句を実践している鈴木さんにとって、現在詩の散文化がどう映っているのか、ということに関連してくるとおもうが、直接鈴木さんに聞いたことがないので、ぼくの推測でしかないが、鈴木さんは、言葉の過剰、意味の過剰、比喩の過剰、は言葉の自律性を弱める、とおもっているのかもしれない。

 ぼくは俳句には疎くて、鈴木さんから連句集などを戴いたりしていたが、ほんとうのところは俳句のどこがいいのかよく分からない人間だ。

 そんなぼくだが、ときどき「ああ、いい句だな」とおもう俳句にであうことがある。その句は、風景と言葉が一直線に描写されている句であり、そこには作者の直截性が見受けられ、「これだけでいい」と作者の凛としている立ち姿が、そういう潔さが感じられる、そんな句にであうと「ほお、いいなあ」とついおもってしまう。その姿は、日本語の暴力的な部分が削ぎ落とされている、といったらいいだろうか。最小必要限度の言葉が「言語」という風景を形作っている、と言ったらいいだろうか。ともかくそういう俳句を読むと、つい「いいなあ」とおもってしまう。

 だから、たぶん、言葉や比喩や意味が過剰に用いられることで風景を作り出す散文化を鈴木さんは忌避したいのかもしれない、とかってにおもっているのだが、そこらへんはどうだろう。俳句のよく分からないぼくが書くことだから、芯を外しているかもしれないが。

 ソネットと言えばすぐに思いおこされるのが立原道造だ(たぶん、中也も)。ぼくはそんなにきっちりと立原道造を読んだ経験がないので、立原に詳しい人からはクレームが付くかもしれないが、立原のソネットの特長は音楽的であるということだ。立原の日本語は声に出して美しく、漢字かな混じり文は見ていて美しい。そのぶん情緒的、感傷的である。そして、たぶんに実存的である。

 一方、鈴木さんのソネットは、理論的、存在論的といっていいだろう。

 あるいはこうも言えるかも。立原のソネットはパロール的で、鈴木さんのソネットはエクリチュール的だと。あるいは、立原はスキゾ的で、鈴木さんはパラノ的だと。

 『遊戯(ゆ げ)論』のソネットの章「愛染」に置かれた第一番目の詩「柳は緑」を転載する。鈴木さんの遊戯という思いと、ソネットという形式がうまくマッチしている作品だとおもう。(ソネット抱擁韻。押韻形式は abba/cddc/eff/egg)という注意書きがある。このように書かれると読む方としてはすこし身構えてしまうが、押韻形式を採用しているのは鈴木さんの楽しみとおもえば、その形式ごと「鈴木漠」を楽しんでもいい、と納得させられる。

 立原のソネットはほとんどが自由律だが、鈴木さんはソネットという形式に拘泥することによって、常に憶測を伴う言語はそのままにして、鈴木さんの世界観を投影させて、その企みを読者と共有しようという試みているのではないかとおもわれる。

 

  花鳥風月とはわれら積年の美意識

  さりながら陳腐月並みの代名詞とも

  見られがちだろうか 躊躇(ためら)うな友よ

  こころに曼荼羅の織物を敷き

 

  越前永平寺の祖師道元の偈頌(げ じゅ)には

  春は花 夏ほととぎす秋は月

  冬雪さえて(すず)しとする垂示に尽き

  生生流転の相を垣間見る四季の庭

 

  日常茶飯 行住坐臥の中に隠れもない

  人間本来の面目は存在するのだ とは

  祖師の喝破だ 些事の連続こそが永遠(とことわ)

 

  巡り来る季節 柳は緑花はくれない

  常凡を生ききることこそ非凡の極みだ

  悉皆(しっかい)のものの細部に宿るミクロの弥陀

 

 少々古風な表情をしている言葉であるが、形式と、作者の世界観の表出が融合した一作と言っていいとおもう。言い換えれば、言葉の介在を得て、形式と思惟の合一が遂げられている、ということだ。