721日、ギャラリーファウストで苅谷礼27歳)絵画展Lineを見てくる。南国市出身でベルリン在住だそうだ。

 一見、美しかった。白も黒も、美しかった。

綿布の上に岩絵の具で描かれているようだ。

遠い山並みの下に小さな集落、川が流れ、雲が流れ、作者は自然との親和力のなかに身をおき、自然を咀嚼しながら自然を写しとっている。

そこには、だれにとっても本来性であるべき「暮らし」がある。

自然が、自然であることの自由の内部にヒトの自由がある。苅谷さんの脳の外側に自然の自由があり、その自然の自由の懐で苅谷さんの脳がヒトの自由の存在を問いかけている。

苅谷さんのなかで、風景が、自由という抽象になり、それを描く苅谷さんも、自由という抽象のなかに具象としての「自然と私」の在り方を模索している。

抽象が具象に変わる瞬間、そのとき、苅谷さんは風景の向こう側の自然と、そこに暮らす人々の共生の姿を、自らの自由を保障してくれるものとしてキャンバスに定着させる──そんな印象を受けた。

夕方になると、村と山嶺に暗闇が訪れる。あたりは潤黒の闇に閉ざされるが、闇も畏れることはない。闇という自由がなければ、明という自由もないのだから。

苅谷さんは自由と対話しているのかもしれない。