2001年12月11日 『高知大学教育学部生涯教育課程芸術文化コース2・3回生 第二回 芸文展』(高知県立美術館)を見に行く。そのなかから2作品を紹介する。
 上は土方佐代香(2回生)さんの『half way』
 道半ば、中途半端な、不十分な・・・というような意味だろうか。
 写真がカラーではないので不適切だが、赤、白、青の星雲渦巻く混沌とした高密度の宇宙のなかに描かれた自画像(?)は若い土方さんの強い思いが・・・それはたぶん、未来にたいする強い思いだとおもうのだが・・・力強く表出されている。
 現在も未来も、もしかしたら混沌とした世界かも知れないが、わたしは叫び声ひとつあげず生きていくんだ。
 そんな思いがこの絵からは伝わってくる。土方さんの、混沌への意志の強さ、を感じさせてくれる作品だった。





 次は篠原直美(2回生)さんの『有無』。タイトルの意味はよく理解できないが、赤っぽい服を着た女が横たわっている。寝ているのか、気を失っているのか、死んでいるのか。
 上部には軍靴らしきものが描かれていて画面に緊張感を与えている。これは軍靴なのか、それとも模造品なのか。軍靴だとしたらこの軍靴の持ち主は誰なのか。その答によってこの絵はさまざまな表情を見せることになる。
 それと同時に、この女が死んでいると仮定したとき、その死は肉体的な死なのか、精神的な死なのか。
 いや、そもそも女は死んでいるのか。もしかしたら、これから訪れる快楽を待ち望んでいる束の間の静寂のひとときかも知れない。それらはすべて、軍靴の持ち主によって決定されてしまうような気が、ぼくにはしている。「他者とは誰か?」そんな声がかすかに聞こえてくる作品だった。





 国吉晶子(1979年生)(ギャラリー・グラフィティ)の油彩も美しかった。
 大きなキャンバスの油彩画が五点。「雪山とスキーヤー」と題する作品が二点と、「氷面」と題する作品が一点、「家路」と題する作品が二点(上がその一点)。
『南国育ちのせいか「冬」や「厳しさ」にあこがれます』ということで、どの作品も白が印象的に使われていた。
 美しい油彩画はたくさんある。キャンバスの中に整然とした美しさを保ち、作者の感性が過不足なく表現されている作品、それ以下でもなくそれ以上でもなくあるがままの美しさを保っている作品、作者の感性のなかから脱皮できない「美しさ」、それらの「美しさ」もまた美しい。「美しさ」のひとつのあり方である。
 ただ、そういう、誰もが見極めて、落ち着くことができる、あるいは決して罵られることのないという99パーセントの「美しさ」が、作者の表現者としての切迫感を十二分に表しているかというと、そうではない。確かに安定した「美しさ」は観客の心にある種の軟らかさを届かせるだろう。「いい絵に出会った」という充足感に浸ることができるだろう。それはそれでいい。誰も皆「絵を見る」という充足感を求めてギャラリーに足を運ぶのだから。観客の鑑賞眼の中で「美しさ」を放っている油彩を否定するものではない。
 初めて見た国吉さんの油彩は、そこ(ギャラリーの壁面)に収まりきらない「美しさ」があった。白の美しさが印象的だったが、その美しさが、キャンバスをはみ出さずにはいられない力を持っているというような感じを受けた。キャンバスをはみ出た作者の思いは壁面に転移し、壁面にも収まりきらない感性は観客の身体にペインティングされる、という力強さを持っていた。
 国吉さん自身は落ち着いた女性だが、その作品は、安定しているように見えて、その場に定着し安住し、その選んだ形に安住するといった保守的な道を選ばない、と敢然として決意しているような雰囲気を醸し出していた。
 そこにある「美しさ」が「美しさ」をはみ出て自在さを獲得し、その結果「美しさ」が毀れたとしてもそれを後悔することはない、という気迫ある油彩だった。
 先の木下さんの腐食の美しさもそうだが、「そのもの」の形が安定することを求めるのは愚かなことだと思う。常に「そのもの」の未知の力を知るところに「美しさ」があるのだと思う。
 そう書いているぼくも相当保守的に、今ある人生を取りこぼすことのないような生き方を平然としている。他者の目の中で生きていこうとしているやましいところがちらほらしている。国吉さんの油彩を見ながら自戒していた。






 この世に美しいものはたくさんある。……海に落ちる夕陽。稜線を区切る雲。雨上がりの空気の色。風にざわめく竹林の音……。清潔で健康的な「美しさ」の集積、と言っていいだろう。そういう「美しさ」に魅かれる日々と、「腐食の美しさ」に魅かれる瞬間がある。
 この世に存在するものは、不動なもの、不変なものなど何ひとつなく、命あるもの、命ないもの、すべて、いま在る形をうしない、変質を余儀なくされる。……朽ちた樹木。土に還る蝉。胴体を朽ち果てらせたカマキリの足。緑青の輝き……。
 腐食し、朽ち果て、自らの姿を喪失する過程、そんなところに「美しさ」などないと思われていた地平にも「美しさ」は、また、ある。そして、そこにあるのは消滅する寸前の最後の輝きである。腐敗と背中合わせの「美しさ」である。その先には「無」しかありえない「美しさ」である。切羽詰まったぎりぎりの「美しさ」である。逆転不可能な「美しさ」である。
 ぼくらはどこかでその瞬間に出会っているはずである。それを「美しい」と言えるか言えないかはそれぞれの感性の問題である。「美しさ」のせいではない。
 考えてみれば、ヒトの存在というのも、「不意の死」=「腐食」と背中合わせでしかないという緊張感が「ヒトの美しさ」を醸し出しているのかもしれない。
 
木下涼子さん(1976年生)の『空間展─白と黒の間─』(ギャラリーファウスト)と題する作品展を見に行く。
 四方の白い壁には、腐食させた銅版を継ぎはぎして作ったオブジェを貼り付けているだけだが、白い壁と腐食した銅版の織りなす空間のせめぎ合い、緊張感、物質感覚──が丁寧に表現されていて、腐食した銅板と白い壁の美しさを楽しむ仕掛けになっていた。
 銅版を腐食させる時間を異ならせることによって黒色から比較的明るい色まで多様な腐食銅板をこしらえ、それらをアトランダムに継ぎはぎしている。見かけは不格好だが、腐食した部分に照明が当たって(その照明のためにうまく写真撮影ができなかったのだが)、銅板の腐食を際立たせていた。
 木下さんの説明では、プラスチックなどの素材ではなく銅板という素材を選ぶことで得られる物質感を得たかったし、腐食にかけたときの偶然性の面白さを堪能したかったという。
 これから先、何百年、何千年とかけて銅板は自然腐食していくだろう。銅板が自らの内部から腐食していく「美しさ」を見たい欲望をかきたてられた空間だった。
 それにしても、腐食の美しさとは受け身の美しさである。それがために、「腐食の美しさ」は見る人の感性を確かめられているような気がする。





▼デンテツターミナルビルの市民フロアへ『石井葉子・横田章(共に1977年生)展』を見に行く。
 石井さんが出品している三点のうち
「悟空穴」という上記の作品だけが新作だ。
 観客は、お釈迦さんの手のひらから脱出できない悟空の視点を求められているのだろうか、お釈迦さんの指一本を眺めるために三つの遠眼鏡が用意されている。一本目の遠眼鏡はお釈迦さんの指に届くのだが、二本目の遠眼鏡は途中で鏡がはめこまれており隣の作品を映し出す。三本目の遠眼鏡にも鏡がはめ込まれており、その遠眼鏡は観客の足元を映し出す。その意外性はおもしろかったが、残念なことに、二本の遠眼鏡の途中に鏡がはめ込まれていることはすぐに目につき、この遠眼鏡を覗けば違う場所が見えるということがあらかじめわかってしまい、遠眼鏡を覗いて初めてびっくりする、ということがなくて、遠眼鏡を見る面白さがあらかじめそがれていた。
 石井さんがなぜこんな作品を作ったかは知らないが(石井さんは来客の応対に忙しそうで、話を聞くきっかけを失ったまま帰ってきたのだ)、人間にはたぶんにこのような覗き見趣味がある。モーニングショーとかワイドショーとかで、視聴者が知りたがっている、という免罪符を片手にリポーターという種族が他人の心の中に土足で踏み込んでいる。それをTVのこちら側で神妙に見ている。
 ほんとうはどうでもいいようなことでも、TVでくり返し放送されていると、世界の一大事のような気分になってしまう。そうしているうち、次の事件が起こる。新しい事件はいつもセンセーショナルだ。おかげで昨日までの大事件は鼻クソ耳クソ扱いになってしまい、いつかみんな忘れていく。何も残らない。
 悟空がお釈迦さんの手のひらから逃れることができなかったのは、悟空もまた遠眼鏡でその覗き見趣味を満足させていたからだろうか。
 人の覗き見趣味を満足させるには、最初から覗き見をしているというのではなく、何気なく覗いたら見えてしまった、という逃げ口を用意してやることが大事だ。その点からいえば、今回の覗き見は、覗き見になることを承知で覗くのだから、心が痛む。心を痛ませながら見たものは、見えたものは、隣の「びしゃがつく」という作品と、それを見ている観客の足元だけで、“背徳的な刺激”言えるほどのものではなくて残念だった。
 
で、僕は何を見たかったのだろう?
 そんな文章をホームページに載せたら石井さんからメールがきた。本人の了解を得てそのメールを転載する。
『問題の「悟空穴」ですが、あれはどうにもこうにも説明の必要な物体に出来上がってしまいました。説明ができなかった観客の方の中には結構ワケがわからず帰ってしまった人も・・・。次回からは体験型の作品には本気でリーフレットをつけようかとおもいました。
 最初の「壱」の望遠鏡は確かに指が見えるのですが、「視野が狭い」という望遠鏡で、指の一部しか見えない望遠鏡です。
 次の「弐」の望遠鏡は「隣で壱をのぞいている人」が見える望遠鏡です。
 次の「参」の望遠鏡は「隣で壱をのぞいている人をみている弐をのぞいている人」
 が見える望遠鏡です。
要するに、「壱」=孫悟空ビジョン
     「弐」=お釈迦様ビジョン
     「参」=西遊記を読んでいる人
 という連鎖から発想したので「悟空穴」で、この「穴」をのぞいて人の「空」しさでも「悟」ってもらおうというものを作りたかったのですが・・・。
 そういうわけで壱には「オンマニパーミウン(西遊記の中で孫悟空がお釈迦様にお仕置きとして貼られたお経のお札の言葉)」。弐には「昨日の友は今日の敵」。参には「人の振り見て我が振りなおせ」と書いてみました。
 最終的には説明する前から「のぞいたつもりと違う所がみえた」とか「昨日の友は今日の敵をのぞいたらいっしょにきた友達がみえた」ということで楽しんでくれた人もいて、理屈はどうでもいいな、という気もするのですが実際何だか良くわかりません。』

 石井さんのような立体作品の場合、「見て楽しめる」という利点があってうらやましい。「見て楽しめる」からどんどん「誤読」されるだろう。「誤読」されて悔しいときと、「誤読」を楽しめるときがあると思う。一観客の僕としては、作者の想像力を凌駕する想像力を持ちたいといつも願っているのだが・・・。




 
横田さんの作品は、彼自身のおもちゃ箱を開示しているようななごやかさがあったが、空間が広すぎたのか、点在する作品がさみしそうだった。狭い場所にごちゃごちゃと詰め込んだ方がおもちゃ箱としての乱雑さがでたのかもしれない。マイ・フェイヴァリット・シングスとでも言ったらいいのだろうか、横田さんは自らの「作りたい」という欲望を率直に満たした作品を展示して、「私」を無防備にさらけ出している。あとは横田さんの作品を楽しめるか楽しめないかは観客の問題だろう。


▼ギャラリー・グラフィティの『武山富美(1977年生)展』もおもちゃ箱だった。カメラを持っていかなかったので写真を載せられないが、透明のプラスティックの大きな箱の中に、不織布で作られた、両手で抱えきれないほどの大きさの紙風船(布風船と言うべきだろうか)が10個以上投げ込まれている。ただそれだけだが、その紙風船はあちこち綻んでいて、その綻びから人形や意味不明なものが顔を覗かせていて、女の子がおとなになったとき、捨てようにも捨てられない玩具を秘密の戸棚に隠しておいたが、閉ざされた空間が怖くなった人形や、少女の傷跡がそっと顔を覗かせている、そんな雰囲気が漂っていた。
 そんな武山さんの作品を見ながら、水田佳さんという人の詩「春ばかり」を思い出していた。その詩は、雛人形の話で、桃の節句が終わったあと雛人形は箱にいれられ押し入れの中にしまわれる。しかも人形はその目を閉じることはないままだ。何を見ながら次の春を待つのだろうか、と最近は片付けるたびに雛人形の深い暗闇を思う・・・というおそろしい詩だ。
 目をあけたまま次の春まで暗闇の中で過ごさなければならない人形の恐怖は、少女の殻を脱ぎ捨てておとなという分別の殻を身にまとったときようやく気づく、というのも少々教訓的で鼻にはつくが、紙風船の中の人形はどれだけの闇を経てきたのだろう。それは武山さんが経てきた時間とはけっして等質ではないだろう。





▼奥物部美術館へ
『祖父江建樹(1961年生)展IN THE WIND』を見に行く。キャンバス上の青の色が、風でもあり、砂でもあり、息吹でもあり、言葉でもあるかのように流れていて、心地よかった。ただ、青の世界。青だけが世界であるような瞬間。僕らは生きているうち何度かそのような瞬間を感じるときがあったと思うのに、ものの見事に忘却している。そう、たしかに忘却したとしても生きていくことに差し障りはない。だれも損をしないし、悔やむこともない。みんなが軽く忘れていくことだ。だから僕らはいつも、何かが欠落している感覚、を抱きかかえて生きていくことを運命づけられているのかもしれない。何かが欠落しているのに、それが何であるのかわからない。胸のどこかにかすかな風の通り口のような穴が開いたまま生きていくことを運命づけられているのだ。そのことに気づいていようが、気づいていまいが、僕らはみな、欠落した何かと共に一生を終えるのだ。





 
清水恵子さんから筆箱のような形のメール便が届いた。開けてみると短冊形のお経が一巻(一巻というのかどうか分からないが)出てきた。それも「あっぷあっぷ」と印刷されて。
 お経と思ったのは清水さんの詩集で、
『あっぷあっぷ』(思潮社刊)というのは詩集のタイトルだった。「あっぷあっぷ」というタイトルの詩一篇が厚さ二センチの短冊形のお経に書き込まれていた。

 
雨なんだ外は だからすべって

 全身傷だらけで駆け込んできた男の手当てを
 しながらこの人とはもう離れられないと思っ
 た

 脱いで 全部 早く

 血 かき分けて
 再生しようとする細胞に直に触れたい 細胞
 ごとこの人の中へ誘われてしまいたい
 血が止まらない ごめんね指も

 来て 血の指から
 B型の男にやっと会えたわ 血の指をいっそ
 心房に突き立ててそのままそのままそのまま
 そのまま ほら仲よく流れはじめるふたりの
 血

 ああ血が曲がる曲がるたびに 連れて行かれ
 るよろこびを知る 次の角で
 シェイク
 して

 雨を嫌う男がいた 雨に怯える男もいた 雨
 に一人で負けて見せた男の 傷を彼らに見せ
 たい 女へとまっすぐに向かう男がついに引
 き剥がした厚い雲をあの空へ送りたい

 雲を散らして細胞が走る 押し出される 愛
 であったものたちよ返事して

 尾・び・れ・背・び・れ・つ・ば・さ・く・
 ち・ば・し・み・ず・か・き・く・ぼ・み・
 と・っ・き
 もうどこへでもついて行けるからだになった
 みたい


 詩を書くとき清水さんは、清水さんの息遣いとともに在る言葉を選んで筆の先に乗せる。清水さんの息遣いに逆らうような言葉は、たとえキーワードの役目を果たしそうだと思っても決して使わない。
 そうすることによって清水さんは言葉を極私的な次元に陥れようとする。不特定多数の伝達手段としての言葉を、清水さんの息遣いという極私的なフィルターをかけることで、言葉は清水さん以外を語り得なくなる。言葉のむこうに他者がいなくなり、いるのは、清水さんの言葉が届く「いとしいあなた」だけである。
 清水さんにしてみれば言葉は、「再生しようとする細胞に直に触れたい 細胞ごとこの人の中へ誘われてしまいたい」切なさをたった一人に伝えるだけの手段であって、それ以上の欲望はないように思える。そんな、言葉にたいする潔さが清水さんの詩の魅力のひとつである。
 もうひとつ目につくことは、ここでは一人称で、男と女の性愛の切なさが語られているが、一度も「わたし」が出てこない、ということだ。「あなた」(あるいは「そなた」)と「男」と「女」が出てくるだけだ。清水さんは「わたし」を「女」と表記している。
 それは当然なことではあるが、書く「わたし」と、書かれる「わたし」の間には本人でさえ修正できない差異が存在し、「わたし」と書く「わたし」は、「わたし」と書かれた「わたし」に裏切られつづけるのだ。そんな不誠実な距離が「わたし」自身の内部でおこっている。そんなことを繰り返しているといずれは「わたし」が分裂するかもしれない。そんな不誠実な「わたし」を「いとしいあなた」に差し出すわけにはいかない。
 だったらいっそう「女」と表記することで、書く「わたし」も、書かれる「わたし」も同時に「いとしいあなた」の前に差し出してしまおう。「女」と表記することで、「わたし」という限りある生身の肉体に、限りある肉体を超えた理性と情念の世界を刷り込ませてしまおう、と。「わたし」は「わたし」を超えたところで「あなた」と出会いたい、と。
 そんなことを清水さんが思っているかどうかは分からないが、「あっぷあっぷ」と題されたこのお経一巻は清水さんの性愛にたいする潔さが(それは、言葉にたいするとも、自己実現にたいするとも、言えるだろう)清水さんの息遣いとともに漂っている不思議な言葉の体験としていまも僕の手の中にある。





 7月12日
『新世紀の風V 一井洋子展』(デンテツターミナルビル・市民フロア)を観にいく。(7月22日まで)
 一井さんは1979年生の高知大学4回生。
 若干、抽象的な絵もあるが、ほとんどが上のようなスタイルをとっている。廃墟(石造りの古代都市を模しているように思われる)の中に魚や鳥などが描かれ(右の絵では廃舟と海底の石も描かれている)、中央には裸婦が複数描かれている、というスタイルのものが多い。
 それぞれ個性はあるだろうが、21や22の若い人なら、何かを表現するにあたって理路整然とした考え方は持てない、と僕は思う。自分の感性に引っかかってきたものを雑然と取り込み、自分の感性で消化されたもの、されなかったもの、あるいは、消化したと錯誤しているもの、などを渾然一体とした形にして他者に提出するだけだ。
 自分の頭の中で渦巻いているものの正体が自分でもわからないがとりあえず表現してみよう。「私の現在」を提出することで、他者によって「私」が壊され、「私」が展開されるだろう過程を見てみたい、という欲望が優先される経験を、僕も若いころに持ったものだ。
 裸婦が一井さんを指しているのかどうかはわからないが、裸婦が廃墟の底に横たわる廃に腰かけて、その周囲を魚が泳ぎ、鳥が飛んでいる風景は一井さんにとっては「切実なる自我」だと思う。廃墟や廃や魚や鳥が何の記号であるのかは、一井さんにかかわる他者の数だけあると思うのだが、すくなくともここでは一井さんは廃墟や廃に「壊れゆく自我」を、同じく廃墟や廃に「再生していく自我」を見ているのだと思う。この二律背反的なイメージを定着させることで一井さんの絵は、「私の現在」という欲望を修辞的に提出している。
 当然、「私」という存在は、「他者」が「私」を欲しているという願望のもとでしか存在し得ないが、一井さんは、自分に模した裸婦像を描き込むことで、描く自分と描かれる自分のあいだに「私」と「他者」の自由な行き来を設定して、「私という他者」と「他者という私」が存在する場所を手探りしていると思う。
 その反面、その筆使いはものすごく理路整然としている。魚の鱗一枚、鳥の羽一枚、石造りの廃墟の苔生し方まで、破綻を回避するかのように丹念に描かれている。これは、一井さんの内面と、表現されたものとのバランス感覚、というよりは一井さんの特性かもしれない。
 このように、一井さんが描く「私事にかかわるディテール」を通して見えてくるのは一井さんの「私の由来」である以上に、他者(=観客)の「私の由来」だと思う。一井さんの廃墟や廃を見ながら、「私の廃墟や廃」が再構築されれば、一井さんの企みは成功したようなものである。
 と、一方的な書き方をしてきたが、ほんらい絵画は解説されるべきものではなくて、観客の記憶に残るべきものだと思う。だからこの駄文は、他者である僕に所属している。




 6月22日、
石井葉子さんの個展『のありすと』(ギャラリー・グラフィティ)を観にいく。





そんなに広くはないといえ、会場いっぱいにノアの方舟が展示されていた。最初、それがノアの方舟だとはわからなくて、「これは何ですか」と訊いてしまった。なにしろ案内状に印刷されていたタイトルは『のありすと』である。何がなんだかわからないまま出かけて行ったのだ。『のありすと』とは石井さんの造語だそうで、ノアの方舟のリスト、ぐらいでいいのだろうか。
 ノアの方舟の中には二重螺旋が描かれている。この写真ではわからないのだが、方舟の側面にも二重螺旋が描かれている。
 海から生命が誕生したという通説をたどるならば、このノアの方舟を模した海の断面図は、海底から溶岩が湧き上がるように噴き上がってきた塩基は海面近くで二重螺旋の配列を獲得し生命が誕生する、という生命の逞しくて旺盛な躍動を描きだしているのだが、二重螺旋の形を獲得したあと、遺伝子は何を見つけるのか、という遺伝子の未来については何も描かれてはいない。二重螺旋を獲得するまでの物語が語られているにすぎない。これからあとは観客の想像力が試されているだけだろうか。二重螺旋を獲得した遺伝子はどこへ行き、何になろうとしているのだろう? なお、方舟の先端の掛け軸のような垂れ幕には、ノアの方舟に乗るべき動物が鳥獣戯画のようなタッチで描かれている。
 この方舟の意図を石井さんは次のように説明している。
 「ノアの方舟の話は一見すばらしいヒトの話のようで、よく考えると人のおごり高ぶりの塊のような気がします。「種の保存」も含めて、「生物学上のヒトの位置と責任と現状」というのは結局はヒトの考えたことで、そのピラミッドのてっぺんに自分達を持ってくる「ヒト」というのは、きっと他の生き物から見ると(他の生き物がヒトのように考えているとしたら)、例えば昔話に出てくる狐のような存在に見えているはずで、滑稽な笑い話のような気がしてきます」
 だから、この方舟を見るために階段が用意されていた。その階段の最上段から方舟を見おろすことができる(2枚目の写真)が、その最上段の足許には次のように刻まれている。
 「あなたは微生物のパズルの上の両生類爬虫類のパズルの上の草食動物のパズルの上の肉食動物のパズルの上に立つにんげんです」。
 
 ノアの方舟は創世記の記述によると長さ約140メートル、幅約23メートル、高さ約14メートル。この方舟に地球上のあらゆる生き物を積み込んだというから仰天ものである。
 アメリカにはファンダメンタリスト(根本主義者)と呼ばれる集団がいる。聖書の中の出来事はすべて真実だと信じて、いまだに機械文明を拒否している人々だ。車の代わりに馬車を使っているし、電気を使わず石油ランプを使って生活している。(ハリソン・フォード主演の『刑事ジョン・ブック/目撃者(1985年・アメリカ)』という映画には彼らの生活が活写されていた)
 彼らファンダメンタリストはノアの方舟の存在を信じているが、自然現象がどうして聖書の記述と一致しないのかを真剣に悩んでいるという。ノアの方舟に乗せた生き物について彼らは、大きな動物は赤ん坊を一つがい乗せたし、魚のような泳げる生き物は船に乗せる必要はなかったと言い、木を喰うシロアリについては「注意深く乗せた」らしい。
 僕たちに彼らの信仰を笑う資格はない。僕たちはもっと奇妙なものを信仰しているのだから。(例えば、経済とか、科学とか)

 リチャード・ドーキンス(『生物=生存機械論』(利己的な遺伝子)・1976年刊)によれば、(いろいろ難しい話を端折るが)進化論でいう自然選択は個体にかかるのではなく、遺伝子にかかる、そうだ。だから、遺伝子はより多くの自分の子孫を残そうとするし、個体はその遺伝子の「乗り物(ヴィークル)」にすぎない、という。
 それを彼は利己的遺伝子(セルフッシュジーン)と呼ぶ。利己的遺伝子はひたすら自分のコピーを増やすことに執着する。生物の個体とは遺伝子が自らのコピーを増やすために作った生存機械でしかないというのだ。「主体」は最初から遺伝子の側にあったのである。
 だから、子どもが危機に陥ったとき、後先考えず母親が子どもの身代わりになるのは、古い遺伝子が新しい遺伝子の身代わりになって、遺伝子が生き延びるという野望を遂行しようとするからだ、というような解説を読んだときは、利己的遺伝子(セルフッシュジーン)という命名とともに、ヒトなんて遺伝子の野望を遂行するための単なるボディだったのか、といろんな意味でおもしろかったのだが、昨今のように母親が子どもを簡単に殺すようになった現状では、古い遺伝子が新しい遺伝子の犠牲になる、という遺伝子の野望を疑わざるを得なくなってしまってすこし残念である。
 それに、遺伝子の本体DNA(デオキシリボ核酸)は二重螺旋だけではなく、二重螺旋の一部が折れ曲がってほどけ、そのうちの一本が近くの二重螺旋の中に入り込み、三重螺旋の構造を持った遺伝子ができる。もともと1957年に発見されていたが、生物学的な意味はないと無視されてきた。が最近、三重螺旋は遺伝子の働きを抑えられるかもしれないという研究結果が出され、ここ何年か、ガン遺伝子や、エイズウイルスの増殖や働きを抑えることに成功しているという。
 ヒトとは遺伝子の「乗り物」でしかない、という奇妙な発想に痛快さを感じていたが、古い遺伝子が新しい遺伝子を殺したり、遺伝子を操作して病気を治したりするようになると、どうやらヒトの悪知恵は一筋縄ではいかないようだ。遺伝子の野望もここまでだろうか?
 いやいや、古い遺伝子が新しい遺伝子を殺すのは「突然変異」かもしれないし、ヒトが遺伝子を操作していたとしても、遺伝子はそういうヒトの行動まで折り込み済みで、我々の考えの及ばない壮大な策略を抱いているのかもしれない・・・といましばらくは遺伝子の野望に肩入れしていたい。

 いま地球上では1日に1種の種が絶滅しているといわれている。それもヒトの生存活動がそれらの種を絶滅させているといわれている。地球上に生物が現われてからどれほどの種が絶滅したか、僕は知らないが、種の絶滅は地球上では日常茶飯事のことである。どうやら、自然淘汰的に絶滅していく種のあることは容認するが、ヒトの生活活動で絶滅していく種は、絶滅しているのではなくて殺されているのだ、というのが自然保護派の人たちの認識らしい。
 もっともだと思うし、そのことは否定しない。しかし、恐竜以上に繁殖したヒトが他の種を絶滅させることなしに生き延びる手段などはない、と悲観的な考え方を僕はしている。それに、種の絶滅を嘆いているヒトの姿はどこか、無能な神の視点に似ているような気がする。もし、他種の絶滅を防ごうと思えば、ヒトが絶滅することしかないのではないか。しかし、ヒトにはアメーバーや花や草や鳥の生存を願って自らを絶滅させてしまう蛮勇があるというのだろうか。
 アメーバーや草や鳥が生きられない地球にはヒトは生きていけない、という趣旨で「地球とヒトとの共存」などというコピーが警告を発しているが、ヒトはきっと、アメーバーも草も鳥も棲めなくなった地球でも、それとなく、さまざまな工夫をして生き延びている、という確信が僕にはある。
 いまから50年後か60年後、そう遠くない未来、僕たちの子孫は酸性雨と紫外線から身を守るためにドーム型の都市を造り、人工食糧で食欲を充たし(1973年のアメリカ映画『ソイレント・グリーン』では、死者の肉を人工食糧に加工している)、人口を抑制するために機械仕掛けの赤ちゃん(1971年のイギリス映画『赤ちゃんよ永遠に』は、子どもを産むことが許されない近未来、ロボットの赤ちゃんを養う物語だ)を育てているような気がする。あるいは地球を離れて火星へでも移住(レイ・ブラッドベリの小説『火星年代記』(1950年刊)では火星人を駆逐して移り住んだ人類の傲慢さが描かれている)しているだろうか。100年後には、新たな地球をめざして壮大な宇宙航海を試みているのかもしれない。
 ヒトの欲望は生理的にも物質的にもすさまじい。

 石井さんのオブジェを見ていると、いろんなことが頭の中をよぎっていく。それは石井さんが、完結した思考ではなく、常にバランスのとれない自己を率直に表現しようとしているから、見ているこちら側にもその切迫感が伝わってきて、石井さんの不安定な心の動きが伝わってくるからだと僕は思っている。






 
岩木誠一郎さんの詩集『夕方の耳』(ミッドナイトプレス・刊)を読んでいると、ヒトの存在の不安定、あるいは、人の意識の不安定、認識の不安定、といったようなたえず脳髄が揺れている世界で定着を拒まれている自我の尻尾を銜えようと永久運動を試みている岩木さんの等身大の姿が鮮やかに浮き彫りにされてくる仕掛けになっている。
 冒頭の詩「サイン」を引用すれば、そのことが了解してもらえると思う。

 
そちらへはどのように行けばよいのでしょう
 電話のむこうで
 知らない男の声がたずねる

 そちら
 とは
 こうして受話器を持って立っている
 この場所のことだろうか
 冬の日射しが入りこむ
 休日の午後の静けさのなかで
 さっきまで本のページをめくっていた
 かけがえのない時間のことだろうか

 目印になるものはありませんか
 男は急いでいるらしく
 早口でさらに訊いてくる

 何を目印にしてきたのだろう
 とりあえず次の角を曲がること
 そればかりをくりかえしながら
 歩きつづけてきたような気がする

 やがて
 石鹸か何か
 良い香りのするものが手渡されたら
 わたしはしっかりとサインをしよう
 たしかにこうしてこの場所に
 生きていますというしるしに


 この場所に生きていますというしるしに「サイン」をするのは、岩木さんの、自己と他者に対する誠実さの表明であると思うが、はたして「サイン」をしたからといって、この場所に生きているという「しるし」になるのかどうか、ぼくには心もとなく思われるのだが、岩木さんは他者にたいしてそういう対応を誠実にする人なのだと思われる。そういう岩木さんの書く詩は、シニカルな衣服で化粧し、現実に唾吐くような詩よりも多くの人の支持を受けると思う。
 岩木さんの詩はなにも難しい言葉で書かれていない。現代詩に馴染んでいない人でも読めば意味がわかる言葉で書かれている。それでありながら、ヒトが抱え込む切実なる場への問いが鮮やかになされている。それはこの詩集全篇を通して言えることである。僕たちが日常、安易に「場所」と呼んでいるものが、見かけ上の場所なのか、ヒトの内実を見据えた切迫した場所なのか、そのことへの問いかけが印象深い詩集だった。





 
國中治さんの詩集『金色の青い魚』(土曜美術社出版販売・刊)もヒトの意識の不安定な在り方が描かれている。その描かれ方は「解説」で一色真理さんがユングを引用して丁寧に解説されているのでそれに譲るが、國中さんの詩は、不安定な存在の在り方を不安定のまま取り込んでしまうところに特長がある。そういう自我の不具な在り方に抵抗して「安定」を求めるようなことはしない。不安定な自我をそのまま存在させている。多くの詩は「不健康な世界」から「自我」という「普遍性」を取り戻すための困難な道のりを良しとしているが、國中さんは「取り戻すべき自我」そのものについて一から考え直そうとしているように、ぼくには思われる。
 そのことは國中さんが「あとがき」で、自作の詩について触れていることと関連があると思うのでその「あとがき」の部分を引用する。
 「(略)地球の空が不平等ならば、別の星の空も、別の「別の星の空」も不平等なはずだし、この不平等あってこそ星空は豊かにも美しくもなるのではないか。(略)」
 國中さんには、自我の安定した存在よりも不安定な存在のほうが自我を取り巻く世界を豊かに存在させてくれる、という信念があるようだ。「存在するべき健康的な自我」の存在を疑いながら。
 「車窓」という作品を引用する。

 
思わぬ駅に辿り着くと人はみな
 どこで乗りまちがえたのかと考える
 あるいはどこで降りそこねたのかと
 だが私は動く車内で
 なぜここにいるのか考えている
 電車に乗った覚えなどないのだ
 読みかけの本のなかから私はどこかへ
 向かおうとしていて 知らないみちづれが
 親しげに話しかけてくる
 すべりやすいから気をつけなよ
 注意してくれ笑っている
 私は座席についたまますべりようもなく
 返答に窮して笑っている
 笑っているとかなしくなって
 いったん本にもどろうか
 眼を落とすとこんどは
 ほらみて
 みちづれは車窓を指さしている
 銀河も川も夕焼けも塔も みんな初めて眼にするものばかり
 空の高いところに
 つやつやした草の実もぶらさがっている
 よく見ようとガラスに顔を近づけたら
 怪訝そうに車内をのぞく
 知らない人と眼が合ってしまった






 
田中勲さんの詩集『砂をめぐる声の肖像』(あざみ書房・刊)もヒトの存在の不安定、その人の脳髄で揺れている言葉の不安定を取りあげている。「灰の駅」を引用する。

 
黒くて長い列が
 どこまでも続いていて
 人が人を呼び
 犬が犬を呼びあうように
 だまって列のうしろに並んでみるが、
 舗道も人道もみえない

 じっと目を凝らすと、下谷の露地裏沿いに
 朝顔の鉢が花を競い
 蟻が長い列を作っている
 それも空から見ている父の視線と
 長い列の後ろに繋がっているぼくの視線が
 交差するところに
 見えない駅の改札口があるらしく、

 歳月の灰が
 静かに肩に降りかかるから
 さっと手が上がらない朝もある

 肩で挨拶を交わす人もいなくなったわけではないが
 うつろな顔をびっしり並べた
 箱の中では怒りの汗にむせかえったりすることがある
 時にやせ我慢は手本にならない
 と、父の視線が降りてくる

 狂気は地上に根を張ったままで
 歳月の駅に
 降り積もる灰は止まない
 夕暮れの雑踏の中で
 ぼくのこころは移ろいやすくて
 出口を間違えることがある
 見知らぬ光景が飛び込んでくる

 朽ちた廃線の駅舎だったりする

 間違いでは済まない
 炎に包まれた人体の黒い列を思うとき、
 炎でこがした蟻の列を思いだすときにも
 思わず駅の悲鳴を踏む


 田中さんの詩は先のふたりに比べると、どちらかというとドラマティックだ。言葉の背後に物語がある。父とぼくがいて、ふたりの視線の交差するところに見えない駅の改札口がある、と物語が組み立てられ、「ぼく」は長い行列の後ろに繋がっていて、その行列は「黒くて長い列がどこまでも続いてい」るだけの行列で・・と意識の不安をかきたててくる。「ぼく」という存在は常に曖昧で、「出口を間違える」ほど「駅舎」という存在の拠り所に馴れていない。が、その存在の拠り所であるべき「駅舎」も「朽ちた廃線の駅舎」だったりする。行列が内部崩壊するとき、同時に存在の拠り所も崩壊を余儀なくされて、「ぼく」もまた崩壊していくのだろうか・・という物語が語られていく。
 というふうに、ヒトの在り方の不安定や不安が淡々と書かれていて、その淡々さの中に見え隠れする、言葉にたいする執着力の粘っこさがとても印象に残った詩Wだった。





 
『21世紀日韓新鋭100人詩選集』(書肆青樹社・刊)を戴いた。その中に豊原清明さんの詩が四篇載っていた。その中から「言葉が沈む」を引用する。

 
父が退院した帰りの道で
 紅葉が美しい
 死ぬのは多分
 そんなに悲しいことばかり
 ではないんだな
 樹々のつらなりと
 空気と時間
 僕はかぎりなく
 歩いた
 
 水車小屋で
 父と二人で
 限りなく話しあった
 岩と岩の間には運命
 もしかして昨日は素晴らしい日だったかも知れぬ
 流れ続ける言葉を懸命に泳いだ


 25歳の青年が、たとえ「紅葉が美し」かったとしても、「死ぬのは多分 そんなに悲しいことばかり ではないんだな」と思えるのは、父の病気のせいばかりではなく、豊原さん自身も、死を見据えて暮らしているからだ、と思う。それは肉体的な死であると同時に、精神的な死をも内包している暮らしである、と思う。
 そんな父と子が(死のことはさしおいて)これからどう生きていけばいいのか話しあった。「もしかして昨日は素晴らしい日だったかも知れぬ」と思えるような話に終始したが、豊原さんは、かすかにではあるが、明日への希望を繋ぎとめる手だてを求めて、「流れ続ける言葉を懸命に泳い」でいる。
 ヒトは限りなく自分の願望に誠実であろうと心を砕くが、アクの強い世間の中で晒されつづけると、自己は分裂し、解体され、どこにも、何にも所属できない存在になる。この世間は所属社会だから(右にも左にも、上にも下にも)所属しないヒトの存在など認められない。「多様性の社会」などとまやかしが流布されているが、その多様性の社会とは、どこかに、何かに所属した人々が認める多様性であって、どこにも、何にも所属しない人たちの居場所は無いに等しい。





 
本庄ひろしさんからいただいた詩集『颱風一家』は、言葉には体温があり、脈動さえしているのだ、と思わせる独特の語り口が魅力的だった。
 たとえば「下着」という詩はこうだ。

 
女房の下着が干してある
 結婚をして二台になった洗濯機の
 自分のほうにこっそりとおかれてあった
 その下着が
 目の前にぶらさがっている
 恨めしさを洗い落として
 せいせいとしたとでもいうように
 やや疲れかげんに
 先をつままれのびきっている
 何故こっそりとしまわれてあったんだろう
 渦巻く夜の底で満月の火にあおられながら
 脱ぎ捨てられた小さなぬくもりは
 人には絶対に見せられない鶴の羽のように
 やわらかい嘘にくるまれて
 日々の灯りに照らされている
 何年も一緒にいたというのではないのに
 旅立つ日がきっとくるのだ
 隠しおおせたものをいとおしむように
 空から袈裟をなびかせながら


 この詩を読んでいると、脱ぎ捨てられた下着のぬくもりが感じられるし、やわらかい嘘のぬくもりさえ感じられ、隠しおおせたものをいとおしむ時の脈動がたしかに感じられる。言葉が生きてる、とでもいったらいいのだろうか。いい詩だと思う。
 男と女、あるいは、家族を語る場合、なかなかそうはいかないもので、(身近であるがために)相手にたいして妙に身構えてみたり、(愛憎をともにしているがために)観念的な感性で武装したりして、あるいは(関係性に緊張感が薄れてきているがために)対象との距離をうまくとれなかったりして、無残な一人芝居に終わったりするものだが、本庄さんの場合、「狂気と正気、その狭間にある薄皮のようなものの為に人は苦しみ、脂汗を滴らせたりするのではないか(あとがき)」という覚悟が、それらのマイナス点を逆手にとって、「やわらかい嘘にくるまれた女房の下着のぬくもり」を通して「家族」との関係を再構築していけるかもしれない、と考えている。そのことがいい。