人間54歳にもなれば、友人知人、あるいは身内の死といった現実的な死、それに惹起される自らの死の予感、が身近なものになる。不可避的に訪れる“死” にどのように挨拶して生きていくのか、なかなか難しいことではあるが。
 ひとつ年上の
八木幹夫さんから『夏空、そこへ着くまで』という詩集をいただいた。人の生と死が、八木さんの呼吸とともに描かれていて、おだやかだが生と死の虚無の深淵を懐にしのばせている一冊だった。
 「白い家──一九九七年冬」は20の短かい詩から成り立っている。
 物語は、56歳で死んだ父そっくりの“わたし”が130円かけてひび割れた家の外装塗装を決心したことからはじまる。工事のはじまった日、ビニールでつつまれた家で静かに眠った。ある日、母方の叔母が死んだ。中国では泣きおんながいて遺族の代わりに泣いてくれる。父が死んだ27年前、母はだれもいなくなった台所で泣いていた。塗装が終わった白い家では16年飼っていた犬が死んだ。動物葬祭社に葬儀を頼み、朝刊に挟まっていたチラシを頼りに1・5平方メートル64万円の墓地を妻と見に行く。“たくさんの詩稿を残して逝った友”だけが支えだった日もあったのに、気がつけば目の前にある湯飲み茶碗しか見ていない“わたし”がいる。そして、愛し合った男と女であったふたりはけだものから静物へ置きか”わっている。
 「秋へ《明るい箱》」では庭の木に掛けた巣箱に四十雀が営巣したことに「今日 ひとつ うれしいことがあった」と心弾ませながら、通勤電車の中で吊革につかまって「1ヶ月前も揺れる電車の中でこんなふうに思っていた ニンゲンよ みんな消えてしまえ」と、そんな日々を送っている。
 巻頭に置かれている「川の見える丘で」を転載する。

 
空に凧があがっている

 大きなひかりの帯が
 ゆるやかに曲がる

 葦のしげみの近く
 人影がシャープペンの芯のように
 うごく
 
 それを追って犬も
 うごく

 遠いもの

 遠くにあって
 うごくものを見るのは
 今日のわたしにはとても哀しい

 (あんなに親しくしていた人が
  遠景の小さな「!」になってしまった)

 凧をあやつる子供か大人がいるのだろう
 人の声はここまで届かない
 届かない声を目で手繰り寄せるように
 曲がるひかりのふちをゆっくりと追う

 そこに
 流れているのは
 あなたのものとの
 わたしのものとも見分け難い
 冬から春へ
 うごく
 呼吸






 八木さんの一冊が、生と死の予感の中で日々の企みを静視している一冊なら、5つ年下の
麦田 穣さんの『南極の赤トンボ』は進行性直腸ガンという直接的な死の恐怖を日々の暮らしの中に見据えて生きている一冊だ。7年前、ガンの手術をした麦田さんは再発の恐怖に怯える自分と向き合わざるを得ない日々を送っている。

 
みどうすじの
 いちょうのきに
 よびとめられたとおもい
 ふりかえれば
 ぴいぷるう ぴいぷるう
 と かぜがふき
 はっぱが まっているようでした
 いや
 よくききますと
 ふりしきるはが
 ぴいぷるう ぴいぷるう と
 つぶやいているのでした
 すると
 わたしのなかにも
 いっぽんのきが
 たちあがるのでした

        (みどうすじにて)

 麦田さんの第2詩集『新しき地球』は生命力とヒトの存在への積極的な支持に充たされていた。第3詩集『龍』はガンによる死との格闘の痕跡が生々しくて、かんばしい返事を書くことができなかった。
 今度の4冊目はガンの再発が猶予されているからだろうか、死の予感の中にもヒトの存在の屹立性に自らの生の行く末を見通してやろう、という積極的な呼吸のあとが見られて、古くからの友人としてはうれしい。人はいつかは死ぬ。それがいつであるのか、そんなことは神さまでもわからない。ただ、麦田さんは「死を宣告された後」を生きている。
 第2詩集『新しき地球』の中に「空気」という詩がある。古い作品だが、麦田さんの生の原点はここにある、と思っている。

 人が生まれて一番最初に吸いこんだ 空気の一部は 死
 ぬまで/肺の一番奥底にはいったままで でてこないと
 いう//人は すき透った空気を食べるだけでは 生き
 てゆけないが//幼子よ 君たちが大きくなって 生き
 ることが辛くなった時や/人の醜さなどを見た時は 思
 い出して欲しい/どんな人にも 美しい空気が胸の奥底
 にあることを//そして その空気が 正しいことや美
 しいものを/どうしようもなく欲しがることを//やが
 て 君たちは知るだろう 君たちの父や母が亡くなった
 後で/君たちの父や母の 胸から出た空気が また い
 つか/どこかの 赤ちゃんの胸の中に はいっていくだ
 ろうことを


 この詩を読んだときぼくは麦田さんに、「正しいことや美しいものをどうしようもなく欲しがる時がある。が、それに負けないぐらい、正しくないことや美しくないものをどうしようもなく欲しがる時がありませんか」と言った覚えがある。麦田さんから返事はもらえなかったが、いまから思えば、麦田さんはこう言っていたのだ。
 「正しくないことや美しくないものをどうしようもなく欲しがる時がある。が、それに負けないぐらい、正しいことや美しいものを欲しがる時がある」





 11も年下の
金井雄二さんの『今、ぼくが死んだら』という詩集は直接的な死が書かれているわけではないが、死を傍らに見据えた、どこか不安定な日々が繊細に綴られている。

 
詩を書くわけでもなく
 テレビを見ているわけでもなく
 妻も息子も
 寝てしまっているのに
 真夜中
 ぽっかりと
 ぼくだけ
 おきている
 ただボンヤリと
 まがりくねったままの夜を
 独り
 じっと座って動かない
 明日も仕事だというのに
 いや、もうとっくに日付も変わっているというのに、
 目を閉じず
 石に
 なりすましている
               (闇)

 ヒトはときどき「なぜ生きているのか」という孤独な問いに悩まされるときがある。答の得られない問いほど、答をもとめようとしない問いほど、ヒトを孤独にするものはない。孤独なヒトはますます根源的な自己の在り方を知りたがろうとする。そのようにしてヒトはときどき止めどもない奈落に落ちていくときがある。そんな自分を見つめるのは苦しいが、奈落の底でしか解放されない自己もあるのだ。





 20歳も年下ともなれば、死の予感からははるかに猶予されていると思うのに、
山本律子さんの『白い夜』という詩集は全篇、「死」の香りに満ちている不思議な詩集だった。短かい詩2篇を転載する。

 
馬の足音がきこえる夜
 眠っている耳のどこかに響く
 馬が通りすぎて
 余韻が消えても
 音のない夜の街を
 眠りのどこかに
 きいている

       (浅い眠り)
 気がつくと
 身体じゅうに蜘蛛の巣
 どのくらい眠っていたのか
 きのこも生えている
 養分を吸われたのか
 力が入らない
 カマキリが背中を歩く
 こそばゆいから
 あっちへゆけ
 ねずみが
 身体の中を通りぬけた

       (めざめ)

 ここに展開されているのは、観念的な官能が、死の装いをして身体の悦楽を言葉の悦楽に転移させている、といったらいいのだろうか──言葉にはできない魅力が漂っている。
 作者の中に湧きあがって、処理しきれない想像力が、作者の毒性を帯びた感性に取り込まれて、作者の臓腑の悪臭にまみれた言葉で処理されており、その臓腑の悪臭がぼくを刺激してくる。
 山本律子さんという方ははじめて作品を読ませていただいたのだが、写真を本業としているらしく、詩集の中にも写真が印刷されていて、硬質な写真が言葉を誘惑するかのように美しかった。

 理不尽な死──というものがある。11月20日、グリーンホールで観た映画
『鬼が来た!』(監督・姜文)は日本軍によって一村全員が虐殺されてしまう話だ。
 日本軍に占領されている中国の北部の寒村、1945年旧正月前、村人マー・ターサンの家に、花屋小三郎という日本兵と中国人の通訳を押し込めた麻袋が投げ込まれ、マー・ターサンは不本意ながらもふたりを飼いはじめる、という導入部から、花屋小三郎が解放され、日本兵によって村民が虐殺されてしまうラストまで、「軍艦マーチ」轟く中、賑々しく展開されていて、すっかり疲れてしまった。ユーモアとアイロニー、残酷と切実、隘路と緩路、人の五臓六腑すべてを吐き出すかのような演出にすっかり疲れてしまった。
 ラスト、日本兵による中国人の虐殺の場面、中国人に対する虐殺場面が残酷であればあるだけ、中国人の日本人に対する怒りの激しさを感じずにはいられなかった。
 村人たちは虐殺されたのに、戦争が終わり、日本兵は捕虜となり生き延びていく、というのも、殺された村人にしてみれば理不尽だが、なんといっても、共産党軍だと思われる人物から花屋小三郎を預かり、日本軍にわからぬように飼いつづけ、終戦後、国民党に裁かれ、花屋小三郎によって首を切られる村人マー・ターサンの悲劇は理不尽中の理不尽といっていいだろう。
 たしかにこの世は理不尽だらけである。寿命を全うできる人などそうはいない。だからといって、首を切られるような死に方もしたくはないが、マー・ターサンの首が切り落とされた瞬間、画面はモノクロからカラーに切り変わる。「さあ、ここからわたしたちの現実がはじまりますよ。あなたはこの現実をどう生きていきますか」そのような問いが聞こえてくるような終幕だった。





 
鈴木東海子さんから『野の足音』という詩集をいただいた。あとがきに「詩集『日本だち』で東海道を歩いて以来、その続きのようにフィレンツェやハワースの野原を歩いた。草にまみれる私はとても幸せである。その先に崖があるとしても。過去よりも遠くまで行ったように思われるのだった。」とあるように、崖の予感をうち消す「野」への親和力が全篇を貫いている。その信頼の深さは鈴木さんの言葉にたいする信頼をも導き出して、懐の広い表現が生成している。言い方を変えれば、鈴木さんの心の在り方の充足感が表現に憑依している、快い一冊だ。
 集中、一番好きな
「草駅」を引用する。

 
錦色の帽子が横に伸びて列車になる夏の離れ時は兎雲が
 飛びはねている。
 牧草は隅から隅まで隙間なく常緑色に生い繁り丘をおお
 いかぶす。草の穴がここにある。
 北駅から私たちはどこへ行こう。

 〈秋のはずれね。
 〈じゃがいもが茹だっていて。

 幸福は走ってくるものだろうか。幸福の煙突掃除屋の軽
 快な歌を振動にのせてやってくるだろうか。
 男は車窓を横切る旧時代の煙突を写している。日常の臭
 いが野の大皿に吐き出される。

 〈雲に坐っているね。
 〈じゃがいもの皮がむけて。

 一皿ずつの幼年期をかかえて向きあう食卓は小揺れして
 いる。
 私たちはどれだけの季節を食しただろう。
 男の皿にじゃがいもが行儀よく残っている。

 〈ひかる旅ね。
 〈大空の来歴のように。

 大盛である。







 国籍や障害、ジャンルといったボーダー(境界)を取り払った
「NO BORDER #2」が7月3日〜9月2日まで、県立美術館で開催されている。3期にわかれていて、1期は7月3日〜21日まで、7人の作家が立体、版画、アクリルなどを発表していた。その1期を7月10日、見てきた。
 1期の中では、自らの範疇を認識し、表現という領域で自己安住しているような作品の目立つ中で、
石井葉子(1977年生)さんの『欲器』と題する作品が圧倒的な存在感を示していた。
 「欲器」とは五つの欲望のことで、この五つの箱の中には左から「睡眠欲、名誉欲、性欲、金銭欲、飲食欲」が閉じこめている。
 いつものようにここでも、作品は、覗き、触って、遊ぶためのものとして用意されている。
 彼女にとって「作品」とは、観客との視覚、聴覚、触覚、嗅覚などを使った対話でありつづけている。「作品」とは鑑賞するものではなくて、互いに認識し、共有する、という姿勢は変わることはない。(この姿勢がぼくは気にいっている)
 穴の中を覗くと、「欲望の器」の中には本物の1万円札などが置かれていて、手をのばせば容易に欲望を果たすことができそうな仕掛けになっている(金銭欲)。
 このように、「欲望」は身のまわりのどこにでもあり、誰でもが手を伸ばしさえすれば「欲望」を充足することができるし、「そんな心」は誰にもある。
 「そんな心」に追い打ちをかけるかのように、箱の左右の壁では、「欲望の手」が観客の「そんな心」が芽生えるのを待ち受けている、というよりも、「そんな心」を誘発しているようでさえある。
 ヒトはこのようなさまざまな「欲望」に取り囲まれ、それらを制御しながら、「日常」というどこへ出しても恥ずかしくない装置の中で生きているし、その装置からはみ出た者は、ヒトとして社会から排斥されるという図式が社会の仕組みとして定着しているし、「欲望」はひそやかに個々の内面で処理されるべきものだ、という暗黙の了解が定着している。その暗黙の了解の中で社会という仕組みが機能している。
 が、石井さんの「欲器」は「日常」という装置の中で、あるいは、「美術館」というどこへ出しても恥ずかしくない装置の中で、自らの欲望を認識することは悪いことなのか、と、いまさらのように、観客の前に立ちふさがる。この「いまさらのように」が気にいっている。たとえ、五欲すべてを満たした唯一の人物とでもいうべき豊臣秀吉が辞世に「つゆとおき つゆときえゆく このみなり なにわのことも ゆめのまたゆめ」と詠んだとしても、どこへ出しても恥ずかしくない装置の中で、飼い慣らされている欲望をいまさらのように眼前に晒してみることは、改めて「ぼくらの生存装置」を考える機会になったりする。
 欲望(あるいは、自分の欲望に忠実であるとすること)は誰かを傷つけ、自らをも傷つける両刃の剣でしかないとしても、どこへ出しても恥ずかしくない装置の中で、欲望だけが、どこへ出しても恥ずかしくない装置を機能させていくだろう、という妄想がぼくにはある。





 
3月28日土方佐代香(高知大学2年生)展・works(ギャラリー・ファウスト)を見に行く。さまざまな自画像が所狭しと並べられていたが、その中から一点。
 自画像が三点でワンセット。左はキャンバスに、真ん中は板に、右は寄せ木細工のような板の上に自画像が描かれている。
 ジャック・ラカン(精神分析家・構造主義者)の『鏡像段階論』を借りて言えば、幼年期における「私」の身体の統一的知覚の完成は未熟であり、内面的な統一的自己像は完成されていない。その「私」が鏡の前に立ち、鏡の中に映った自己を見てしまったとき、視覚像によって自己の統一性が完成されてしまう。そのとき、自己の統一性は内面から支えられるより先に鏡像を通じて現存してしまうことになる。しかし「私」は鏡を通じて「私」で在り、鏡がなくなれば「私」はなくなる。引き裂かれた精神と肉体は鏡という「他」を通してはじめて統一されるのみである。
 その文脈で読めば土方さんの自画像は、未発達でバラバラな身体状態の土方さんがキャンバスという他者を借りて内面的な統一に向かう、決定的な意志の在り方としての三点セットとも見えるし、反対に、統一されていたと考えていた自己が実は、バラバラに引き裂かれていたことを鏡像の中で知り得た三点セットとも読める。
 ともあれ土方さんは自画像によって、自己はいかにして自己であり得るのか、という問いを自らに投げかけているのだと思う。




 
 
3月6日、『石丸真琴(1979年生)展』(ギャラリー・グラフィティ)を観に行く。ブロンズ仕立てにしているが素材は石膏だそうである。これは、祖父の顔で、力をこめて作った、というだけあって、オーソドックスながら、祖父の生きてきた時間が顔の凹凸に刻まれていて、好感をもって見ることができた。
 若い石丸さんが率直に祖父の顔を刻む。その過程で流れる祖父との親和力を唯一の手がかりに自らのプリミティブな在り方を模索している、ように思える。
 コーナーの片隅で、石丸さんの奇抜なアイディアのデッサン画を見かけたので、つい、オーソドックスな在り方よりも、こういう奇抜なアイディアで観客を引き込み、立ちどまらせてからその奇抜さの背景について考えさすのも一つの手だ、なんてエラソーなことを言ってしまったが、こうして石丸さんの祖父の顔を眺めていると、祖父と孫の親和力がなにものにも代え難い在り方として見えてくる。
 表現者が対象者に快さを感じれば、観客もまたその作品に快さを感じることになる・・・そんなことを感じた。





 3月6日、
石井葉子(1977年生)さんの『シカクカラクリソウチ』(ギャラリー・ファウスト)を観に行く。石井さんの作品はいつも大仕掛けだったが、今度がいちばんの大仕掛けだった。
 屏風とも襖とも塀とも立て看板とも思われる二重の囲いの両面には2001年にこの地球上で起こった出来事(社会的な出来事、政治的な出来事、事故事件、すべてひっくるめて)がコラージュされている。そして、4カ所、オブジェのむこうが覗けるようになっていて、そこから覗けば、オブジェのむこうに石井さんの実物大の紙型が見える仕掛けになっている。(こういう仕掛けを発想する才能にはいつも感心している)
 2001年に限らず、世の中いろいろなことがおこる。劇場的な犯罪があったり、自己充足だらけの美談があったり、体制に媚びるだけの饒舌があったりと、この世の中、百花繚乱である。
 観客が石井さんに出会えるのは、それらがコラージュされているオブジェを通してである。百花繚乱の洗礼のむこうに屹然と立っている石井さんは「無言の他者」を通して石井さんそのものであるが、ぼくたち観客には紙型の石井さんしか見えない。だから、問われているのはぼくら観客である、と思わずにはいられない。
 これら百花繚乱にたいしてぼくらはどう対処してきたのか、その対処の仕方によって、実物大の紙型の石井さんは千変万化するだろう。ここでは観客の百花繚乱への方法論と本質論も問われているという側面もあるだろうが、まあそういう難しいことは横へ置いておいて、カラクリソウチのむこうにどんな石井さんが見えるか、それを楽しむことにしよう。





 2月26日、『浪越(なお)篤彦(1961年生)展』(ギャラリー・グラフィティ)を観に行く。「Leaf」と題する小品18点。縦30cm、横10cmぐらいの小さな板が標本箱のような入れ物に納められていた。色は緑、ピンク、紫を基調とした三種類。板の中央部分にはタイトルを率直に表現するかのように木の葉の化石のような紋様が押されている。その紋様と色合いの微妙なバランスがこれらの作品の美しさを決定づけていると思うのだが、もうすこしよく見れば、これらの紋様は至るところ欠損している。形を全うしているのではなく、自らの繊細さのために、吐息がこぼれるように欠損している。その欠損の在り方がこの紋様の美しさを際だたせている、と言えるのではないか、と思えた。
 そんなことを考えながら狭い会場を一周し、十八枚の紋様の視線を感じていると、それまで木の葉の化石の紋様に似ていると思われていたものが、じつは、ぼくらの祖先の、火も武器も知らず、肉食獣の遠吠えの中で孤独な夜を送っていたぼくらの祖先の孤独な足跡の化石のように思われてきた。
 かつてぼくらの祖先は闇におびえ、肉食獣の遠吠えにおびえ、落雷におびえ、洞穴で肩を寄せ合って夜を過ごした。ぼくらの祖先は抱き合うことで洞穴の長い夜を耐えていた。その祖先が耐えた長い夜の記憶をぼくらは捨ててしまった。ぼくらの脳の奥深くにひっそりと隠されている螺旋の繋がりに残されているぼくらの祖先の畏れとおびえの熱の蓄えを清潔で健康的で均質的な日々に変質させた。「世界を思い描く」ヒトにはなったかもしれないが、「世界に思い描かれる」ヒトにはなれなかった。
 そんなヒトの悲しみがこの紋様の中にある。
 よく見ると、ぼくらの祖先の足跡がこんなにも繊細だったことに驚くだろう。ぼくらの祖先は自らの弱さを知り抜いていたから、自らの足跡にも畏れを抱いていたのではないだろうか、と思われるほど、18枚の祖先の足跡は、「世界に思い描かれる」ことのないぼくら子孫に、欠損することの必要性を語りかけているようにさえ思えた。





 ふたば工房発行の書籍の表紙を描いていただいて、いつもお世話になっている
安井勝宏(1970年生)さんが出品しているというので、2月13日、『フラクタル21展』(高知県立美術館)へ出かける。
 会場を一回りしたが安井さんの絵が見あたらなかったので、「安井くんの絵がない!」と叫んで(?)いると、隣のおばさんが、会場真ん中にある暗幕で囲まれた一角を指さして、「あれがそうですよ」と教えてくれた。
 安井さんの作品はいままで平面しか見たことがないので、暗幕の中に何があるのかと恐る恐る(?)入っていくと、《タイトルは『原器』。素材は(FRP樹脂他・空間・ルミナイトカラー・紫外線)。サイズ(180×600×250cm)》の物体が光り輝いていた。(写真がうまく撮れていません)
 安井さんの暗幕の中は無限の暗黒ではなくて、青く輝いている物体があった。何かがあるということは人を安心させるものである。たとえそれが異邦人でも宇宙人でも、名付けられぬ物であったとしても。
 暗幕の中の物体は『原器』と名付けられている。では、何の基本標準なのだろう。
 それはたぶん、安井さんが日常をはみ出して産卵してしまったプリミティブな存在の在り方についての基本標準かもしれないし、安井さんが取りこぼすことなく、淡々と送っている日常の在り方についての基本標準かもしれない、と思う。
 『原器』なのだから、暗黒の中にあっても圧倒的な存在感を保っていて当然だが、FRP樹脂で作られたこの『原器』は自らは発光していない。紫外線を照射させることで、その存在感が浮かびあがるという仕組みになっている。観客という「他者」は紫外線を通した『原器』にしか出合えない仕組みになっている。それは、電磁波が吸収されていることでその存在をかろうじて知ることができるブラック・ホールの存在と、在り方を一にしている。このねじれた『原器』の存在は、このブラックボックスの中で消滅するのか、それとも、永遠の存在を獲得するのか、ぼくにはわからない。
 いずれにしろ安井さんは『原器』を公開することで、他者との関係性を受けて立つ決意をした、と言えるのかもしれない。安井さんが公開した『原器』に対して観客はどう応対すればいいのか。安井さんが公開した『原器』にたいして、観客の『原器』はどう公開すればいいのか。しばらくは答のないことではあるが。