もう2ヶ月も前のことになるのだが、昨年11月『第15回 高知版画協会展』(高知市文化プラザ・かるぽーと)で見た
橋田嘉宏(1947年生)さんの『時の腑(ときのはらわた)と題する木版画に強烈な印象を受けた。その大きさもある(横240p、縦90p)のだが、壁面いっぱいにくねっている軟体動物の姿に圧倒された。橋田さん自身も、これぐらい大きければ版画でなくてもいいかもしれない、と言っているくらいの大きさだ。
 つい先日、写真が手に入ったので紹介したい。
 タイトル通り『時の腑』=臓腑をイメージしていると思うのだが、ぼくは、臓腑の軟質でぬめり気のある手触りではなく、硬質でかつ清潔な印象を受けた。これは臓腑という肉体ではなくて、臓腑という思索かもしれない、と思った。
 背景のきらめきは宇宙の星雲かもしれないし、体内の光る未知な生物かもしれない。
 ぼくらは宇宙や体内といった暗室の中でみずからが予想もできないほどの大きさの臓腑を抱えて、自分の大きさを測りかねているところがあるのではないだろうか。
 自分の大きさ、言い換えれば、世界と自我との距離の測り方、あるいは、決着の仕方、あるいは、やり過ごし方、がわからなくて、暗室の中の臓腑が自己増殖していることに気づかないでいる。
 自己増殖した臓腑は宿主に気づかれないように、その肉体を思索に変えて存在するという、宿主を殺さぬ方法に進化し、怠惰な宿主を乗っ取る策を実行に移しているのではないだろうか、などと橋田さんの版画の前で夢想したりしたが、ほんとうはどうだろう。
 宇宙には純然たる時間があって、その中に人間の時間とか、時代というものを描いてみたかった、と橋田さんは言っていたが、人間の時間とか歴史は人間が作りあげてきた以上に、人間の暗室に巣くっている臓腑が操作してきたのではないだろうか。
 生物学者リチャード・ドーキンスはその著書『利己的な遺伝子』のなかで、「人間の身体は遺伝子のヴィークル(乗り物)でしかない」という独自の見解を示し、遺伝子はひたすら自分のコピーを増やすという野望に支配されている、と言いはなって、ぼくらが「生存」の拠り所にしている「自我」とか「主体」などを「遺伝子の自我」あるいは「遺伝子の主体」と言い換えをしなくてはならないかもしれないという生存の根元を問いかける命題を出してきたことがあったが、橋田さんの臓腑もそれに似た緊張と迫力があった。
 ぼくらの、宇宙とか体内といった暗室の中には、ぼくらでは制御できない臓腑が、思索、という形態に姿を変えて巣くっているのだ。ぼくらは好きでも嫌いでもなく、ただ、その現実を受けとめるしか仕方がないのだが、受けとめた後の生き方はこれから先のことではある。暗室の中のことではある。





 県立美術館へ『THE EDGE』展を見に行く。八人の展示者の中でまず足が止まったのは
国吉晶子(1979年生)さん。『南風』と題する作品は縦160・2センチ、横391・5センチの巨大な油彩。(ジーンズファクトリー・所蔵)
 作者のダイナミズムが圧倒的なキャンバスの大きさとして表現されていた。パンフレットの質問事項に彼女は短かくこう答えていた。
 「あなたにとって絵画とは? =元気の素」。
 その元気さがキャンバスに投影されている至福な一点だとほれぼれと見入ってしまった。
 彼女のことは何回も書いているので改めて書くこともないのだが、今までは白の美しさが際立っていたが、今回は黒の美しさが刺激的だった。白が美しいのは過去、何万回も経験してきたことだが、ネガティブな存在に等しい黒がこんなにも美しいとは、感動的でさえあった。
 彼女の絵を見るたびにいつも思うのだ。彼女の“安定”と均衡を拒む気迫”はどこからくるのだろう、と。
 いや、彼女は何も拒んではいないかもしれない。自分の在り方を正直に示したらこうなったのだ、と彼女は単純な答を返すだけかもしれない。
 それを“気迫”と感じるのは、きっと、たぶん、ぼくが、日常という制度を、何も拒むことなく消費しているからだろう。ぼくは、言葉の周辺をただ巡っているように、毀れることを畏れながら、日常の周辺を巡っているだけではないのか。56歳にもなって。
 国吉さんの絵と対面するたび、そういうぼく自身の喪失感を意識させられてしまう。そのこと自体は辛いが、その反面、国吉さんの定型の美をはみ出さざるを得ない美”を目の前にすると、この絵に負けないような存在の在り方を、自分自身繋ぎとめなければならない、と普段は抱いたことのないプラス思考が湧いてきたりする。
 他者と遮断されたように生きていかなければならない黒の孤独と、その孤独が他者を優しく抱擁することもあるのだ、という新たな認識を持つことで、ぼくの想像力は衰弱から呼び戻されるのかもしれない、と国吉さんの油彩を見上げながら心細く思っているしかない。





 国吉さんの油彩が強烈な黒を軸に展開して、その美しさとダイナミズムをあますところなく発揮していた、とするならば、モノクロの油彩だが、国吉さんのダイナミズムにまさるとも劣らない作品がもう一点あった。(こういう日は、儲けものをした気分だ)
 
和田朋子(1980年生)さんの『夜働く若者の食事する姿』
 パンフレット内での質問事項の和田さんの答は「あなたにとって絵画とは? =生きることを味わえるもの」。
 街灯の下で簡素な食事をしている若者。そこには孤独の姿が濃く投影されているにもかかわらず、若者の毅然とした“休息の一瞬”が描かれていて、まさに「生きることを味わえるもの」を提出しているといっていいと思う。
 和田さんがこの若者に共感を得たのはきっと、ヒトは孤独であることを生きていくしかないが、孤独にたいして卑屈にも優越にもなってはいけない。孤独を自らの等身大として共存していくことで、ヒトは、自分にも、他者にも、いとしさを抱いて生きていくことができるのだ、という思いをもっているからに他ならない──とかってに思っているのだが、この油彩は、若者の孤独を描くことで、孤独はマイナス要素だけではなく、プラス要素もあるのだ、ということを表現しているし、孤独の力強さを描くことで、若者の孤独の背後にある“未来”を信じている、と言っていい。
 この若者はきっと、孤独と共に幸せになるのだ。





 高知市文化プラザでの『フラクタル21展』での
安井勝宏(1969年生)さんの『記憶の発掘』もダイナミックな作品だった。大きさ(縦185センチ、横890センチ)もそうだが、布に鉄粉を吹き付けただけの赤茶けた世界は、世界の始まりとも、世界の終わりとも言えそうな世界だが、安井さんは、この巨大なキャンバスに鉄粉を吹き付けながらどんな記憶の発掘を試みていたのだろう、と興味深かった。
 ヒトとしてのプリミティブな在り方がぼくらの記憶の底には眠っていて、表現者はそれを取り戻す困難な作業をしているのだ、というような手垢のついた説明はないだろう。
 安井さんはここでは作品を3点出品していた。『FLAT MACHINE』という作品ではベニヤ板とアクリル樹脂。『曖昧な空間』という立体作品では発泡スチロールとルミライトカラー、紫外線というように、従来の絵画の記憶からは遠く離れている材料を持ち込んでいる。
 それらは絵画にとっては安定した記憶ではないはずだ。未知の記憶は常に不安定で恐怖に満ちている。なぜなら、絵画みずからの基準が通用しないからだ。
 その不安定や恐怖に耐えようとすれば、未知の記憶を無抵抗に取り込んで、免疫を作り出すか、排除しようと試みるか、どちらかだ。
 妥協や闘いが繰り返されたすえ、未知な記憶はどうなっていくだろう。
 安井さんは『記憶の発掘』と言いながら、だれの脳にも記憶されていなかったことを記憶だと言える時がくるのをじっと待っていたのだろうか。
 絵画という制度の記憶をかき混ぜることで、新たな表現の道は探れないものか──安井さんはそんなことをこの作品で語っている。記憶の発掘は記憶の創造とも、記憶の再構築とも繋がっていく。
 ヒトは、みずからの記憶を、みずから創造し、再構築する、というダイナミズムを獲得することで、はじめて、表現者として他者に欲望されるのだ。
 ぼくらの記憶は、ぼくらの存在を過去へ遡るのではなく未知の方向からやって来るのを積極的に受動することで、再生するのだ。
 それらのことが、この壁面に記されている。