41)お楽しみ映画

 20年ほど前
『フラッシュ・ゴードン』(1980年、アメリカ、マイク・ホッジス監督)という映画を観た。アレックス・レイモンドという漫画家の作品が原作で、『スター・ウォーズ』のネタ本にもなったSFコミックスの映画化だという。「惑星モンゴ」へフットボール選手を送り込み悪の皇帝ミンを滅ぼすという話で、昔の東映時代劇を思い起こさせるようなハラハラドキドキの冒険活劇とでもいうもので、暇つぶしに観るしかない、というあっけらかんとした映画だった。
 
『マーズ・アタック!』(1996年、アメリカ、ティム・バートン監督)を観ていて、『フラッシュ・ゴードン』のことを思い出した。この映画はハラハラドキドキの冒険活劇ではないが、出演者たちが映画を楽しんでいると思わせるコミカルな演技が『フラッシュ・ゴードン』を思い出させて、奇想天外、波瀾万丈、抱腹絶倒、恐いもの見たさ、を満足させてくれる映画だった。火星人の姿は、グロテスクと滑稽が半々と言ったところで、古典的な火星人の容姿を受け継いでいるのも楽しい。
 昔、インベーダー・ゲームというのがあった。UFOの大群をやっつけるゲームだ。20年以上前、ほとんどの喫茶店にこのゲームが置かれていて、珈琲代よりも高くついたものだ。そのインベーダー・ゲームのUFOよりも何十倍もの数のUFOが地球を取り囲むところからこの映画は始まる。映画の冒頭、「バーベキューの臭いがする」というセリフに押し出されるように背中が燃えている牛の大群が登場するところから笑わせて、その後のコミカルな展開を期待させる。
 いきなり火星人の襲来を受けた地球人がバタバタと殺されていくが、優柔不断なアメリカ大統領は火星人との平和な交渉を求めて火星人とコンタクトを取ろうとするし、大統領側近にも火星人の善意を信じているものがいたり、火星人が地球へ来たらホテルが必要になるだろうと千載一遇のビジネスチャンスにしようとする実業家がいたりして、その反面、核弾道をぶち込みたい軍人がいたりして、そんな地球人のドタバタぶりをよそ目に火星人は、「仲間だよ、味方だよ」と言いながら地球人をバタバタと殺していく。
 この「仲間だよ、味方だよ」と言いながら殺戮を繰り返すところがいい。アメリカは昔も今も、「仲間だよ、味方だよ」と言いながら、「世界平和」のために殺戮を繰り返している。
 最終的には、秘密兵器を偶然に発見して、めでたしめでたし、となるのだが、細かく観ていると、火星人は一度その秘密兵器に遭遇しているのだが、そのときはまだ火星人が地球人を襲撃しているという活劇の真っ最中だったので、火星人にはなにも起こらないという整合性のなさがあるのだが、この手の映画はそんなことに憤っていてはいけない。B級SF映画の得意なジョン・カーペンターの
『ゼイブリ』(1988年、アメリカ)には地球に住み着いた異星人を見分けることのできる特殊サングラスが出てくるし、そのサングラスが映画の重要な決め手になるのだが、そんなサングラスをどのように制作したのかはおかまいなしに、まずサングラスあり、で話は進んでしまう。そういう細かなところにクレームをつけていてはこの手の映画は前へ進まない。1時間半を楽しむだけである。
 大統領とビジネスマンの二役をやるジャック・ニコルソンをはじめ、脇役で、マイケル・J・フォックス、トム・ジョーンズ、ロッド・スタイガーなどが出ているお楽しみ映画のひとつだった。

 

42)他者との対話

 旅行記を書くためレンタカーでアメリカを放浪するドイツ青年・フィリップは、旅行記も書けず、金もなくなり西ドイツへ帰ることになるが、空港で愛人のもとに戻った母親に捨てられたアリスという少女に出会い、不本意ながらも西ドイツにいるアリスの祖母を探す旅に出ることになる。アリスの不確かな記憶のもとでいくつかの都市を訪れるが、祖母のいる街は容易に見つからなかった。苛立ち、不機嫌になりながらも、アリスとの会話がフィリップの孤独を慰め、ようやく祖母のもとにアリスを送り届けることができたとき、アメリカでは書くことのできなかった旅行記が書けそうな気がしてくる。
 ヴィム・ヴェンダース監督の
『都会のアリス』(1974年、西ドイツ)は現代人の孤独からの回復の過程をオーソドックスに、かつ丁寧に描いている。ヒトは自我を認識したときから、双生児のように孤独を飼いはじめる。そして他者との関係のなかで束の間の充足を得るが、またその幻影が新たな孤独を呼び起こさずにはいられない。映画が終り、館内が明るくなったとき、僕はフィリップの新たな孤独を思わずにはいられなかった。
 10年後の
『パリ、テキサス』(1984、フランス・西ドイツ)でもまだ「フィリップ」は荒野を彷徨っていた。(ほんとうはこちらのほうを先に松竹で観ていたのだが)。
 テキサス砂漠のなかにあるという幻の町「パリ」を求めて彷徨っていたトラビスは4年前に捨てた息子と再会して、姿を消した妻=母を探しに旅に出る。妻=母を探しだしたトラビスは、息子と妻を残してまた旅に出る。
 「時代」そのものが不毛な荒野であり、束の間の交歓もヒトの心を繋ぎ留めることができない。自分自身によっても、他者によっても癒すことのできない孤独は、時代のなかを彷徨わされ、死をもってしか決着がつかない。
 ヒトが背負っている双生児はなんて厄介なものだろうと思う。
 だったら思いきってその双生児を背負って生きていけばいい、と思ったりするが、背負いきれないから人としての悲喜劇がこの地表で展開されているのかもしれない。
 ヴィム・ヴェンダースは孤独からの回復に「会話」を介在させる。少女との会話(都会のアリス)、妻との会話(パリ・テキサス)が重要なポイントとなっている。特に、妻との会話のシーンは秀逸である。トラビスの見つけた妻は、マジックミラーの向こう側で裸になって生活の糧を得ている。そんな妻にトラビスはとつとつとある男と女の話を語りかける。夫からは妻が見えるのに、妻からは夫が見えない。ようやく夫だと分かった妻は何とかして夫の顔を見ようと試みる。そんなにまでして再会したのにトラビスは妻と息子を置いて旅に出る。幻の町「パリ」を求めて。トラビスにとって重要なのはあるのかないのか解らない「パリ」を探すことである。だが「パリ」を見つけたなら、また新たなアイデンティティを求めて荒野を彷徨い歩くことになるのは目に見えているとしても。
 一時期、ロードムービーに魅かれつづけたことがある。そこには私的な困難さが(そこから、人間的成長へと結びつけるつまらない批評があったりしたが)その困難さだけあった。そこには闇も光も混在していて、映画をつくっている彼らの息遣いがそのままフィルムに焼き付けられていて、それを観る観客には混乱だけしかなく、映画は終わっても混乱は収まらなかった。ところがこの頃、彼らは、ジャームッシュもヴェンダースも映画づくりのおもしろさを知ったのか、彼ら自身の引っ掻き傷が映画をつくってきたということを忘れてしまったような映画(
『ナイト・オン・ザ・プラネット』『夢の涯てまでも』)をつくりだした。彼らの映画こそ僕のプリミティブを問いつづけていると思っていたのに。
 というのは、僕の勝手な思いこみでしかない。



43)「神」は恥ずかしい

 ソ連からイタリアへ亡命したアンドレイ・タルコフスキーは故国ロシアへの思いがたちがたく、
『ノスタルジア』(1983年、イタリア)ではその望郷の思いをめめしく吐露していたが、次の映画『サクリファイス』(1986年、フランス・スウェーデン)では「この映画は、スウェーデンでスウェーデンの俳優によって演じられたが、これはロシア映画である」と言ったそうだ。
 タルコフスキーはロシア大陸が見えるスウェーデンのゴトランド島の東海岸で『サクリファイス』を撮り終えるとわずか54歳で亡くなってしまった。
 「水の詩人」と言われて、評判のいい監督だが、僕はちょっと苦手である。
 たしかに、『サクリファイス』(日本語で、犠牲、という意味)の冒頭部分、誕生日に小さな息子と松の木を植えようとしているアレクサンデルが、息子と緑の野を散歩している冒頭部分、郵便配達人が自転車でやってきて、父親と息子と話しているような遠景をじっとカメラが追っているシーンはとても美しく(すこし審美的になりすぎているきらいはあるが)、アレクサンデルが息子に、決まった時間に水をやりつづけていると死んでいた木が生き返る、というような逸話を松の木の根っこに横になって話すところなんか美しくて、家族の食事の場面もいいなあ、と思っていたりして、こんなシーンばかりで繋いでくれるといいのにと思っていると、突然、全面核戦争がはじまったというラジオ放送が流れはじめると、アレクサンデルは、世界の平和と愛する人々の救済を願って自らが犠牲になっても悔いない、と神に救いを求めることになる。
 ここらへんが、日本人の僕にはわかりにくいところである。
 「神」の問題は日本人には苦手な問題の一つで、森のなかの神社や道端の道祖神、あるいは草や木や風にまで神を見る日本人とは「神」の認識が違う、と言ってしまえばそれだけであるが、やはり、よくわからない。
 と、言うよりも、「神」の問題を離れたところで考えてみても、全面核戦争がはじまったとき、世界の平和と愛する人々の救済を願って、自らの生命を犠牲にするという行為のみを考えてみても、その大仰な身ぶりやセリフが「恥ずかしい」と僕には思える。
 その「恥ずかしい」というのはたぶん、僕のような古い日本人の特性として、自分の感情をおおげさに表現しないという文化のなかで育ってきたからなのかもしれない、と思ったりする。どこかで、蓮實重彦(東大学長になってしまった映画評論家)が書いていたが、小津安二郎の映画に出てくる原節子の笑い顔がヨーロッパの人たちにはどうしても理解できないそうである。原節子の控えめな笑い顔が理解できないそうである。
 神との契約を第一義とし、神に全てを委ねることを文化としてきた国との些細だが、決定的な違いなのかも知れない。
 と、好意的に観たとしても、『サクリファイス』はタルコフスキーの世界と人類に対する博愛主義の講義を受けているような気分がしてきて、これは文化の違いではなく、個人の資質によるものでしかない、と思わずにはいられない。
 だから『ノスタルジア』や『サクリファイス』は、タルコフスキーの審美的な美しさと、その審美性を自らが破壊するような「神」の問題が整理されずに渾然と共生しているタルコフスキーの在り方を受け取るしかない。



44)イングマール・ベルイマン

 アンドレイ・タルコフスキーは、世界の平和と愛する人々の救済を願って自らが犠牲になっても悔いないと告白しているが、その側面には「神」という問題がかならず出てくる。「神」を信じ、「神」を疑い、「神」に救済を求める。
 スウェーデンの映画監督にイングマール・ベルイマンという僕の好きな監督がいるが、そのベルイマンにしても神と愛による救済が唯一のテーマといっても言いすぎではない。とくに
『鏡の中にある如く』(1961年、スウェーデン)では、「神を証明できるか」という息子の問いに父親は「できる」と断言している。「それは愛が真実として存在することだ。愛も神も同一であり、その思想はわたしの空虚さを救う。死刑執行が猶予になったように、空虚が人生の豊さに変わる」とまで言い切っている。ここまでいくと僕の手にはおえなくなってしまうが、「神と愛と救済」の三点セットはヒトという種の永遠のテーマなのかもしれない。
 僕に「神」のテーマはない。「愛と救済」はなんとなく恥ずかしい思いがする。どこから来て、どこへ行く僕であるのかよくわからないが、いま、僕が存在しているのなら、いま在ることの孤独に身体と心を任せてあるものをあるがままに受け入れながら生きていくのも、ひとつの方策であるのかもしれないと思っている。僕がなにものであるのか、永遠にわからないとしても。たった一人で、僕という個を生きていくしか仕方がない。僕が炭素になる日まで。
 
『叫びとささやき』(1972年、スウェーデン)は、死と直面しているアグネスの苦しみを中心に、姉のコーリン、妹のマリヤ、の三人姉妹と召し使いのアンナが、死と生と、渇きと救いと許しのなかを螺旋状に墜ちていく物語だった。ここでもまた、神への不信、人間への嫌悪、死への恐怖、などが繰り返し繰り返し語られ、観ている間はいつも疲れるのだが、観おわって何日かたった後、人間の心の不思議さを思い起させてくれるから不思議だ。キザに言えば、彼の心が僕の心を繋ぎとめておくのだ。恐怖と不信と救いを求める、ヒトとして不可避的に持たされている何かががあると思う。
 そのベルイマンの作品のなかでも
『沈黙』(1963年、スウェーデン)を20代後半、テアトル土電で観たとき、フィルムが汚くて字幕が鮮明に読みとれなくて、よくわからない映画だったが、後年、TVでやっているのを観て、『沈黙』で展開されていた、精神を求める姉と、肉体を求める妹の葛藤と喪失感がわかるようになった。
 もっともこの映画のテーマは、ものの本によると、「神の不在」であり「人は宗教によって救済されるか」だそうであるが、そんなこと僕には理解できない。
 精神を求める姉がオナニーを繰り返し、肉体を求める妹が町で拾った男とセックスをしても、互いに充たされないまま、病弱な姉を置き去りにしたまま故郷に帰る妹の子どもに、姉は、「精神」と書いた紙を渡すラストシーンは、ベルイマンの困惑と苦悩がありありと描写されていて、それまで映画のなかで延々と語られた「神の不在」なんかどうでもよくなってしまう。おまけに、この「精神」という文字は、翻訳を仕事としている姉が母国語でない文字で書いてあり、そこにある「精神」の文字は子どもには理解ができない、という仕掛けがあり、「精神」もまた、判読不能な領域でしか存在できないのである。
 このへんは、ベルイマンの自慰的なシーンであると受け取られても仕方ないし、蓮實重彦(東大総長になってしまった映画評論家)のいう「彼が撮る映画は、映画以上のものでありたいという野心に醜くゆが」んでいるという批評を否定できないが、ベルイマンの志す「映画以上のもの」を取り外して観ると、けっこう日本人の僕にも刺激的な映画が多い。



45)私という欲望

 人間というものは不思議なものである。「私」という存在は、他者が「私」を欲しているという願望のもとでしか存在し得ないし、「私」という存在は言葉を発することでようやく「私」の意味を提出できるのみである。
 第二次大戦直後のシシリー島、映画会社の新人発掘を請け負っているという男が、3000リラと引き換えにカメラテストを行い、ローマの映画会社に送ってテストに合格すれば、映画スターの座が待っているという触れ込みで、トラックに撮影道具一式を載せて島中の村々を巡回している、という書き出しでジュゼッペ・トルナトーレ監督の
『明日を夢見て』(1995年・イタリア)は始まる。
 第二次大戦後のイタリア、混沌とした社会情勢の中で、明日も見えない日々を送っている人々にとって、映画スターになれるかもしれないという夢がとつぜん海を越えて撮影器具と共にやってきたのである。
 しかし、映画会社の新人発掘というのはとうぜん詐欺で、フィルムは使用済みのフィルムでしかない。しかし、スターになって一攫千金を夢見る村人たちは様々な思いでカメラテストを受ける。アメリカ兵と関係を持ったと邪推されて結婚もできない女、ホモの男、羊飼いの男、警察官、女優を夢見る女。巧妙な話術で山賊にまでカメラテストを受けさせてしまうのは立派と言うしかない。
 彼らがカメラの前で語るのは、私事に関するディテールである。カメラという他者(それは錯誤であるかもしれないが、「私を欲しているという欲望」でもある)を通して「私」は「私の由来」を言葉にすることで初めてアイデンティティにも似た隠されていた自己の表出という快楽を手にできるのである。3000リラがどれほどのものかは知らないが、その快楽に比べれば安いものである。このシーンは、映画のカメラテストというよりは、人生相談の相談者が一方的に喋っているようなものだ。
 そして、隠されていた自己を自らが白日のもとに晒すとき、人は、そこから初めて一歩先を歩むことができるのである。このとき詐欺師は詐欺師でなくなっている。
 現在の境遇から脱出しようとしている一人に、修道院で育った孤児の少女がいる。彼女もまた「私」を獲得できないでいる。映画スターになりたい少女は強引に詐欺師の後を追い、二人で旅をはじめるが、詐欺師の正体がばれ、詐欺師は2年間刑務所にはいることになる。
 出所した詐欺師は精神病院に入院している少女に出会う。少女にとって詐欺師は「私」という欲望を実現してくれる唯一の「他者」であったが、その「他者」を失うことで、少女は「私」を実現できないで、「私」を閉じこめざるを得なくなってしまっていた。
 ラストシーン、トラックを運転しながらカメラテストを受けた人々の顔を思い出している詐欺師もようやく「他者」を獲得できたのかもしれない。そんなことを考えながら観てしまった映画だった。
 この映画で僕が見たのは、「私」と「他者」の関係であるかも知れないが、実はそんなことは抜きにして、この映画は
『ニュー・シネマ・パラダイス』(1986年)同様「映画」へのオマージュである。「映画」を詐欺の手段に使いながらも「映画」に魅かれつづける男をセルジオ・カステリットが好演している。



46)静謐さと荒唐無稽と

 先に
『ユリシーズの瞳』(1995年、フランス・イタリア・ギリシャ、テオ・アンゲロプロス監督)を観た。しばらくして『アンダーグラウンド』(1995年、フランス・ドイツ・ハンガリー、エミール・クストリッツァ監督)を観た。『ユリシーズの瞳』は静謐で思慮深い映画だった。最後の5分間は美しくて残酷だった。一方『アンダーグラウンド』は騒々しくて押しつけがましい映画だった。
 僕は緩やかな流れの映画、制作者の思考の流れのなかに僕の思考の流れを重ね合わすことのできる緩やかな流れの映画が好きである。だから観た当時は『ユリシーズの瞳』に軍配が上がっていたが、日にちを経るにつれて、『アンダーグラウンド』の荒唐無稽さと賑々しさが、この地表におけるヒトとしての存在への批評性がいつまでも残りつづけた。
 「人の命は地球よりも重たい」という、うさんくさいコピーがある。この一行には、行列をつくって故郷を追われている人たちや、飢えに苦しんでいる人たちの姿があぶりだされてくるのだが、誤解されることを承知で言えば、ウイルス、バクテリアも地球より重たいだろう。このうさんくさいコピーの背景には、地球はヒトという種の手の中に委ねられるべきだという傲慢さがある。おまけに、人の命と地球の軽重を反語的に使うことでヒトとは思慮深く賢明でかつ有効的な存在であることを示唆しているが、人の命と地球の重さは量り得ようもないものであるし、もっともいけないのはヒトという種は未来永劫この地球の特権的な存在であると言っている点である。そんなことは一言も言っていないという人もいるだろうが、このコピーはそう言っているのだ。
 『ユリシーズの瞳』は入口で「ユリシーズの瞳をより楽しむために」というバルカン半島の地図と歴史に関するパンフレットをもらったにもかかわらず、主人公の映画監督が20世紀の初頭、マナキス兄弟が撮ったという未現像のフィルムを求めてバルカン半島を距離と時間を越えて旅する話の詳細がよく理解できなくて、突然の場面転換や出来事についていけなかったが、かえって、それらの都市と歴史の意味を削ぎ落とすことで、民族や宗教を削ぎ落とすことで、『ユリシーズの瞳』という映画は、一映画監督が未現像の幻のフィルムを求めて歩くという初源的なものだけがくっきりと浮かびあがってきたのではないだろうか。
 『アンダーグラウンド』はヒトラーの時代から旧ユーゴが崩壊する現代まで、地下でナチスへの抵抗運動をつづけていると思いこんでいる人たちの地下での物語である。ここにはヒトラー亡き後も地下に閉じこめられていたような旧ユーゴの歴史が被さっているだろうが、この映画のラストシーン、地上に這いあがってきた人たちが、ある一組の結婚式に立ち会うシーンなのだが、そこには死んだ人も、裏切り者も出席を許されて、飲めや歌えの大騒ぎで賑々しい結婚式が延々と行われるのである。少々荒っぽいやり方ではあるが、このラストシーンにあるのは、個は国家との対立項としてあるのではなく、国家が策略した死も裏切りも、個の前では有効性を持っていない、ということなのかもしれない。全編を流れるこの荒唐無稽な騒々しさは、国家という幻想を無効にしてしまおうとする呪術だったのかも知れない。



47)アラビアのロレンス

 
『アラビアのロレンス』(1962年、アメリカ、デビッド・リーン監督)はピーター・オトゥールのための官能的な映画だった、と言ったら異議を唱える人がいるだろうか。
 中学3年か高校1年の時、土電ホールで立ったまま観た記憶がある。そのころは評判の高い映画は立って観なければならなかった。
 砂漠が美しい映画だった。砂漠の向こう、蜃気楼のなかからラクダに乗ったロレンスが現れるシーンが美しかった。列車を襲うシーンは西部劇を思い出させたりしたが、この映画が美しい映画だったことに異議を唱える人は少ないと思う。
 砂漠が好きで、砂漠の住人になりたくて、そのことが果たせなかった男の悲劇の物語でもある。イギリス人がアフリカで闘うことのアイデンティティを求めることは最初から不可能であったにも関わらず、ロレンスは砂漠を愛し、砂漠に自己を同化させようとするが、「軍隊」という機構の許で、彼の夢は挫折してしまう。
 冒頭にロレンスがオートバイに乗っているシーンが出てきて、もしかしたら自殺ではないかと思われるような事故死をしてしまうところから、回想のシーンに変わり、あの印象のある音楽が聴こえはじめて、ロレンスの砂漠での物語が始まる。
 ピーター・オトゥールのどこに官能性を感じたかというと、まずはロレンスを演じるピーター・オトゥールが敵に捕まって鞭打たれるシーンがあるのだが、そのときのピーター・オトゥールは鞭打たれることに酔っているのではないかと思われる仕草をするのだが、そのとき、ロレンスではなくて、ピーター・オトゥールは鞭打たれるという官能に酔っているのでは、と感じた。もう35年も前の映画なので、細部は間違っているかも知れないが、鞭打たれるピーター・オトゥールは快楽に身体をよじっていた、といまだに思っている。
 それから、ピーター・オトゥールと族長役のオマー・シャリフの関係である。この二人は愛し合っているのではないか、とさえ思われた。二人が見つめ合ったり、抱擁したりするシーンがあったわけではないが、この二人には二人だけが分かり合えるシグナルを出しているのではないかとさえ思えた。
 このあとピーター・オトゥールは
『将軍たちの夜』という映画で、猟奇的な殺人者のナチス将校を演じるのだが、考えてみれば、『チップス先生さようなら』での厳格な教師役といい、ピーター・オトゥールは自己の欲望を心の奥に秘めたナルシスト役が適任で、それは役作りと言うよりはピーター・オトゥール個人の資質のように思える。
 またオマー・シャリフは
『ドクトル・ジバゴ』で二人の女の間で揺れ動く優柔不断なめめしい男を演じたりしていたが、オマー・シャリフは女優相手のときは実につまらない演技をするものだ、と思ったりして、『アラビアのロレンス』のときに感じたピーター・オトゥールとの同性愛的な官能性を懐かしんだりしていたが。
 ほんとうはピーター・オトゥールが砂漠に寄せる官能性をもっとうまく引き出していたなら、『アラビアのロレンス』はピーター・オトゥールの持っている官能性を十二分に引き出せたのではないかと思うが、デビッド・リーンは大スペクタルを前面に押し出しすぎて、ピーター・オトゥールと砂漠の官能性など顧みなかったようだ。
 砂漠の官能性を映像で経験するには
『シェルタリング・スカイ』(1990年、イギリス、ベルナルド・ベルトルッチ監督)まで待たなければならなかった。



48)パニック映画は嫌いじゃない

 子どもの頃、ディズニーの映画で
『砂漠は生きている』(1953年、アメリカ)という映画を観て、その頃はそのようなドキュメンタリーフィルムがなくて、地面からガスが吹き出しているような、初めて観る異世界の現象にびっくりした記憶がある。地表の下には溶岩があり、地球は熱の塊を中心に持っていることを知った。ときどき地中の熱が地表にはみ出してきたり、地中のエネルギーが振動するのだということを知った。
 僕たちは忘れているが、僕たちは地球という有機体の上で暮らしている。とくに日本は、中学校で習ったのだが、いろんな火山帯が日本を取り巻いていて、静岡県のあたりにはフォッサ・マグナというのがあって、それを境に日本は二つに別れているのだ、というようなことを習った記憶がある。
 北海道では火山活動の結果、昭和新山ができた。最近も雲仙普賢岳が活動したし、神戸を中心とする地震も記憶に新しい。
 僕たちの日常は、あるいは文明は「生きている地球」の上に成り立っている。
 だから映画でも火山の爆発、あるいは地震によるパニック映画が続々とつくられる。それらを現代文明への、人間の驕りに対する警告である、と得々と語る人がいるが、単なる地球現象である。人間活動の結果としての地球現象でない以上、そのことがなんらかの警告にさえ成り得ようがない。「地球は生きている」ただそれだけである。
 僕はただ単に、パニック映画が好きである。ハリウッドが大金をかけてつくるパニック映画もいいが、B級パニック映画も嫌いではない。というよりは乏しい資金のなかで工夫しようとしている様子がたまらなく楽しいが、ときどき張り子が見えることがある。
 パニック映画には人の力ではどうすることもできない自然現象があり、人間はただ逃げまどうのみである。僕たちはただ地球の上に生かされているだけであることを再認識するだけである。ただ逃げまどうだけの人々は、川が氾濫したから堤防を補強しろ、と行政に働きかけて、川をコンクリートで固めて藻やプランクトンが生息できない環境を平然と作り出して自分の生活の安定だけをはかるような人々よりも何万倍も美しい。
 
『ダンテズ・ピーク』(1997年、アメリカ、ロジャー・ドナルドソン監督)もそのような映画だった。
 アメリカ北西部の町ダンテズ・ピークが火山活動によって廃墟になってしまう大パニック映画である。パニック映画の常道として、これでもかこれでもか、という危機一髪が充分用意されていて不満はなかった。それに、主人公たちが火山灰の襲来から身を守り、生き延びるための伏線もちゃんとあって、至り尽くせりの映画だった。
 まず、小さな予兆があり、地質学者が調査に訪れる。調査の結果、住民の集会があり、それを信じる人、信じない人、と言う人間模様があり、一気に火山が爆発し、火山灰や溶岩が町を襲い、町は廃墟になってしまう。
 ちょっと意匠を凝らせているのはこの町の町長が子どもがふたりいる若くてきれいな女性ということで、調査に訪れていた地質学者の四人で、地獄のような火山流のなかを車で逃げまどう、というところだろう。タイヤが溶けても仕方がない場面もあったがそれはそれとして、最近のSFX撮影はこんな二流の映画でも巧みに使われていて、爆風が一気にやってくるところなんか上出来だった。
 このタイプの映画はヒーローやヒロインは死なない代わりに彼らの誰か大事な人物が死ぬ決まりがあるのだが、この映画でも、女市長の亡夫の母親と、地質学者の上司が死ぬことになっており、定型を踏んだストーリー展開で安心して観られた。



49)ヘミングウェイのアフリカ

 キリマンジャロは、高さ19,710フィートの、雪におおわれた山で、アフリカ第一の高峰だといわれる。その西の頂はマサイ語で、「神の家(ヌガイエ・ヌガイ)」と呼ばれ、その西の山頂のすぐそばには、ひからびて凍てついた一頭の豹の屍が横たわっている。そんな高いところまで、その豹が何を求めにきたのか、今まで誰も説明したものはない。

 引用したのは、アーネスト・ヘミングウェイの小説
『キリマンジャロの雪』(角川文庫・龍口直太郎訳)の冒頭部分である。この小説を下敷きに『キリマンジャロの雪』(1952年、アメリカ、ヘンリー・キング監督)という「死」を置き去りにしたメロドラマがつくられた。
 ヘミングウェイは「人間の尊厳と自由と希望」を夢見て、というよりも、信念として、スペイン市民戦争(1936〜39)に義勇兵として共和国軍に参加し、ファシストと戦うが、共和国軍内の裏切りや不正などに絶望してアフリカへ渡る。
 「アフリカでないと駄目なんだ」とヘミングウェイは言ったらしいが、西欧的な人間観、主義主張の裏に秘められた利己主義や権力闘争に厭気がさし、まだすこしでも、野性の力、ヒトの生命力の残っているアフリカに自分の居場所を求めたかったのかもしれないと思う。西欧的ヒューマニズムの理想主義が崩れたいまヘミングウェイにとっては西欧に対抗する土地が必要だったのだと思う。
 レヴィ・ストロース(人類学者)は、ヨーロッパ中心主義を批判し、未開地の無文字社会の文化のなかには具体的で豊かな野生の思考がある、と当時飛ぶ鳥をも射落とす勢いだったサルトル(哲学者)に敢然と異を唱え、構造主義という世界を切り開いたが、ヘミングウェイは未開の地で狩りをし、壊疽にかかり、パリ時代の自堕落な生活を回想しながら死んでいく小説「キリマンジャロの雪」を書いた。
 ヘミングウェイにとってキリマンジャロの冠雪は死の象徴であり、西の頂の一匹の豹の屍は、けっして腐ることのないヘミングウェイの死の美学の表出であり、そんな高いところに何を求めてきたのかだれも応えられない豹の存在は「人間の尊厳と自由と希望」を夢見たヘミングウェイその人でしかない。
 西欧文明に疲れて、アフリカという自我幻想のなかで自らの理想を引きずったまま死んでいくヘミングウェイにはアフリカの何が見えていたのだろう。
 アフリカから欧米に奴隷が送られていた時代、アフリカは未開地でありアフリカ人は自らすすんで奴隷となって文明地へ行きたがっている、というデマが欧米人によって流されたというが、コロンブスなどによって開拓された冒険と希望の大航海時代は、掠奪と侵略の時代でしかなかったのだ。
 いまアフリカは、民族と宗教と独裁者によって、欧米の憂欝を凌駕する困難な時代を生かされている。
 かつてヘミングウェイが猟銃片手にハンチングした草原も、双眼鏡片手の観光者を乗せたジープが右往左往している。
 そこにはヘミングウェイが夢見た野性と、ヒトの生命力に溢れたアフリカではなく、西欧文明に掠奪され侵略されつづけた後遺症を自らの生命であがなっているアフリカの姿が見えてくるだけである。



50)隕石がやってきた

 1979年のアメリカ映画に
『メテオ』(ロナルド・ニーム監督)という映画があった。アメリカとソ連の冷戦時代、核兵器を搭載した人工衛星を打ち上げた両国は相手の国に照準をむけながらも核の抑止力でかろうじて均衡を保っている、という政治的な状況のなか、巨大な隕石が地球めがけてやってくることがわかり、米ソは互いの国にむけていた核兵器の照準を宇宙の方角にむけなおし、一致協力して隕石を破壊し、地球の平和は守られる、という物語であり、核兵器は地球の危機にも役立つ、という80年代へのメッセージが色濃く漂っていたアメリカ映画だった。
 実際、地球に接近し衝突する可能性のある小惑星や彗星は米航空宇宙局(NASA)によれば、直径1キロを超えるものだけで約2000個あり、そのうち300個近くが発見されて軌道計算の結果地球には衝突しないことが確認されており、残りも発見に努力し危険度に応じて分類する、としているが、考えてみれば、丸裸のような地球の上で僕たちは暮らしているのだ。
 それに、1957年に世界初の人工衛星スプートニクが打ち上げられて以来地球の軌道に乗った衛星は5000個以上を数え、以前はキラー衛星と呼ばれる衛星破壊兵器で衛星を破壊していたこともあって、現在では260万個ものゴミが地球の周りを漂っていて、それらはときどき大気圏に突入し、ほとんどは燃え尽きてしまうが、燃え尽きないで地球に落下する物体もあるという。
 子どもの頃、少年雑誌に掲載されていた「引力の無くなった日」という、顔を恐怖に歪めた人たちが無重力空間を漂っていた漫画のことを今でも覚えている。もう40年以上昔の漫画を覚えているというのは、その漫画のインパクトが強烈だったからだと思う。
 人間の力ではどうすることもできない天変地異の恐怖は昔から漫画になり小説になり映画になってきて、ときどきの権力者はその恐怖を上手に利用して体制の正当性を主張するのだ。
 今年の夏に観た
『ディープ・インパクト』という映画は、隕石よりも巨大な彗星が地球を脅かす物語である。
 宇宙船に核弾頭を乗せて彗星を迎え撃つという、ここでもいざという危機には核が有効であるというアメリカ映画の伝統を踏襲しているが、今回は見事失敗して、巨大な彗星は小さな彗星と大きな彗星に分裂しただけで、地上からの核攻撃も失敗してしまい、アメリカ大統領は、地下に造ったシェルター(=方舟)に100万人のアメリカ国民を収容し、残りは見捨てる決意をする。まず、小さな彗星が大西洋上に墜落し、津波によって多数のアメリカ人が死に、次に、大きな彗星も衝突して地球最大の危機に見舞われようとしたとき、核攻撃に失敗した宇宙船が四個の核弾道とともに大きな彗星にカミカゼ突撃をして木っ端微塵にしてしまい、地球は救われるという物語である。
 アメリカ映画らしく、人と物の大動員と、大津波の特撮、「方舟」に選ばれた者がその権利を他人に譲って津波に呑み込まれるエピソードなど映画的効果はサスペンス、ヒューマニズム、死と再生、と盛り沢山だった。
 危機が去ったあとの大統領の再生を呼びかける演説には泣かされるものがあったが、選ばれた者と選ばれなかった者の和解は遂げられるだろうか。エンドマークを見ながら、ふとそんなことを思った。



51)ウイルスとは誰?

 3年前の5月、アフリカ・ザイール南西部の街キクウィト郊外の森林で炭焼きをしていた35歳の男性から始まったエボラ出血熱は感染者296人のうち233人が亡くなって終息した。これは実際の話である。
 それと期を同じくして上映されていたダスティン・ホフマン主演の
『アウトブレイク』(1995年、アメリカ、ウォルフガング・ペーターゼン監督)というアメリカ映画は「モターバ・ウイルス」というウイルスがアフリカからアメリカへ持ち込まれ、ワクチンもなく人類は滅亡するのか、というサスペンス仕立てだった。もっともアメリカ映画らしいといえばアメリカ映画らしいが、ウイルスには軍が関係しており、感染した街を、感染者非感染者問わず、消滅させてしまおうという「種の保存」を優先しようとする軍に、スーパーマンのような活躍で住民の生命を救おうとする一科学者が抵抗し、「モターバ・ウイルス」の宿主である猿を捜し出し、ワクチンを製造して人類滅亡の危機は避けられるという「正義は勝つ」方程式が導入されている。
 もともと地球上にはヒトもいればウイルスもいる。ウイルスは動物や植物に寄生し増殖する。宿主が死ねばウイルスも死んでしまうから、ウイルスは生き延びるために宿主の間を移動したり、宿主を殺さないために潜伏したりする。一方、宿主の動植物はウイルスと共存するための方法を編み出して進化してきた。しかし、いつの頃かヒトはウイルスとの共存能力を失ない、ウイルスの自然宿主としての権利を失ってしまった。
 かつてヒトは抗生物質の開発によって、細菌感染に勝利したという経験を持つ。その経験を生かして、対ウイルス研究をつづけているが、ウイルスの遺伝子がヒトの細胞内に侵入するとその細胞の遺伝子のような顔をして分身を作り出したり、細胞を殺したりしてしまう。だからウイルスに勝つためにはヒトは自らの細胞の遺伝子の働きや免疫機能を知らなければいけないことになり、ヒトはヒトの生命の装置を解明しなければウイルスに勝てないことになっている。
 アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスの病院で「変な病気が起こっている」と話題になりはじめたのは1981年のことだった。その病気はまず、ホモグループを中心に感染が始まったおかげで、ホモの肛門性交を容易にする「ポッパー」という薬が原因ではないかとか、ホモの精液が問題ではないかというデマが飛びかった。僕の友人の同性愛者も「同性愛者を絶滅させるためのアメリカ政府の陰謀である」と憤慨していたが、1982年9月3日付けの肝炎ワクチンの安全性をめぐる報告のなかで、その奇病はエイズ・ウイルスによる感染で「後天性免疫不全症候群」と名付けられた。
 エイズは血液からの感染が主であるが、男女間の性交からも感染することから、一部の保守的な階層からは、倫理的な問題を突出させて、性道徳のほうに誘導する気配もあるが、エイズはウイルス感染であり、性道徳とは何の関係もないものである。しかし、やっかいなことに性行為で感染してしまうのも事実であり、感染すればまだ治療薬もなく死へ至るしかないから、いまのところ、エイズはヒトの種の保存にかかわる問題になっている。
 ヒトはこの問題をどう捉えるのか、を問われているのかもしれない。
 これから先、長い年月をかけてヒトはエイズ・ウイルスの自然宿主になり、共生することができるのか、それとも、遺伝子の領域にまで踏み込み、エイズ・ウイルスを駆逐する方策を発見するのか、あるいはなすすべもなくヒトは滅亡してしまうのか、それとも、健全なヒトのみが生き延びていくのか。あるいはもっと単純な道があるのか。




52)メスの逞しさ

 イ・ドゥヨン監督の
『桑の葉』(韓国・1985年)は1920年代の韓国の貧しい村を舞台に、メスの逞しさとオスの切なさをダイナミックかつユーモラスに描いている。
 村一番の美女アンヒョプの夫サムボは自称賭博師で賭場から賭場を渡り歩く生活をしている。アンヒョプは夫の留守に米や指輪と引き替えに、村中の男と寝ている。夫を寝取られた女たちからの依頼でアンヒョプを村から追放しようとやってきた長老まで肉体を武器に丸め込んでしまう。
 が、村で一人だけ彼女と寝てもらえない男がいる。養蚕をやっている女の下男のサムドルだ。牛のように吠えるサムドルは何とか彼女と寝ようと、絹布をプレゼントしたり、夫に言い付けると脅したり、硬軟両手で攻めるが、アンヒョプはどうしても寝ようとはしない。久しぶりに帰ってきたサムボにアンヒョプは恨み辛みを言うが、「おまえほど可愛い女はいない」とかなんとか言ってアンヒョプの気持ちをくすぐっておいて、また、旅に出る。
 たったこれだけの話である。
 アンヒョプの夫サムボは自称賭博師だが、彼が村に戻ってくると日本軍の憲兵が現われ、村で喧嘩があったときその喧嘩を仲裁してくれるよう村人が憲兵に頼むが、「それは、俺の仕事ではない」と日本語で言って仲裁をしようともしないことから、サムボが単なる賭博師ではないことを暗示していて(反日運動の連絡員で村から村を渡り歩いているのではないかという暗示である)、いまだに日本が韓国に残している傷の深さを暗示させているが、この映画のなかでは重要ではあるが決定的なエピソードではない。
 この映画はただただ、アンヒョプをはじめ村の女たち=メスの逞しさと、彼女たちをとりまく男たち=オスのだらしなさが延々と描かれているだけで、観ているオスとしては涙なしには観られなかった。
 ああ
『にっぽん昆虫記』(今村昌平監督・1963年・日活)みたいだ、とひとりで感動(?)していた。
 どうしてこうもオスはメスの肉体に虜われつづけているのだろうか。肉体の美しさに魅かれるからだろうか、母性を求めるからだろうか、それとも単に染色体の問題だろうか。〈種の保存〉という原始的遺伝子の命題からあまりにもかけはなれてしまった〈性への衝動〉についてヒトは処しがたい心の孤独を養いつづけている。
 もっとも、〈種の保存〉という命題のみを前面に押し出してしまうと、〈個〉がないがしろにされ、ひいては〈個〉の抹殺に至ってしまうのはさまざまな映画が予見しているところである。〈種〉を超えた〈個〉の悲喜劇が映画では常に描かれているのだ。
 ヒトの社会は肉体よりも精神の優位性を信仰する悪癖がある。そのために〈性への衝動〉はヒトの心の奥底に芥のように押しこめられてしまう。だから、眠っていた〈性への衝動〉が何かの衝動によって揺り起こされたとき、ヒトの力では処しきれない力を伴ってしまうことがある。
 ほんとうはこう認識しなければならない。肉体よりも精神を欲する日々があり、精神よりも肉体を欲する日々がある、ということを。この危ういバランスのうえに僕らの日常は成り立っているということを。
 しかしそんな蛇足を凌駕するかのようにこの映画は、ヒトの持つ〈性の解放への期待〉が笑いとともに描かれていて、この明るいエロティシズムはどこからやってくるのだろうと考えざるを得なかった。
 


53)地球外知的生命体

 
『アビス』(1989年、アメリカ、ジェームズ・キャメロン監督)は美しい映画だった。水中での撮影でこれほどまでに美しい映像は今までになかった。
 深海で座礁したアメリカの原子力潜水艦・モンタナの乗組員の安否を確かめるため、近くで石油採掘をしていた民間の削掘基地のクルーが海軍の要請を受け、深海へ潜っていく冒険物語である。
 前半は削掘基地のキャップ・バッドをはじめとするクルーと、軍の命令で行動するコフィ大尉ら軍人との核弾道を巡る物語で、後半は、深海に住んでいた地球外知的生命体との接触を描いている。
 核弾道を巡る物語は軍人側の敗北に終わり、その結果、削掘基地のクルーという民間人を危機的状況に陥れるのだが、軍人は国家の存続が第一義である、という批評よりも、深海での閉ざされた空間で心理的圧迫を受けながらも上官の命令を唯一としなければならない軍人が陥ってしまう狂気、が深海での潜航艇の追いつ追われつのスリリングなシーンを通して描かれていて、水中での美しい撮影が印象的だった。
 軍は兵器で国の存続を目指している集団である。この映画はまだソビエトという国があった時代の話だから深海を200ノット(といってもどれほどのスピードかはわからないが、潜水艦の艦長が、考えられないスピードだ、と言うほどのスピードであろう)のスピードで動き回る未確認物体をソビエトの潜水艦と誤認、というよりも一種の恐怖に近いものだろうが、誤認して核弾道を準備して削掘基地のクルーと対立するあたりは、兵器に対する直接的な恐怖と言うよりは、「敵の核弾道」という幻影に恐怖しているところがかいま見えて、核時代の恐怖とはこんなものだろう、となんとなく説得させられるシーンだった。
 後半は、地球外知的生命体との接触のシーンが美しかった。透き通ったアメーバのような生命体が美しかった。
 5000メートルを超す深溝に墜ちていった核弾道の信管を外すためにバッドは液体酸素を使って5000メートル以上を潜水服で降りていくのだが、そんなことが可能かどうかは別として(映画を観るということは非常に個人的なもので、好きになれない映画なら潜水服だけで5000メートルも潜れるものか、と反発し、好きな映画なら、そんなことが可能かどうかは別として、と言ってしまう)、核の爆発を止めたバッドは、残りの液体酸素が少ないのを知り、死を覚悟する。その時、バッドは「片道飛行はわかっていた。しかし、来ずにはいられなかった」と核爆発と自分の生命の交換という「自己犠牲」を語る。ここのところは、アメリカ映画らしいかな、という印象だった。
 その時、人の手の届かない深海に住んでいた地球外知的生命体が現われ、バッドの生命を救ってくれるのだが、その理由がこの映画のテーマにもなっているのだが、シニカルな僕としてはテーマは別にしておいて、水中での美しい映像を楽しませてもらった、と思うことにする。
 地球外知的生命体はバッドに地球における戦争や核実験のニュースフィルムを見せ、巨大な津波を起こして地球を全滅させようとする意志があることを示した後、津波を回避する行動に出る。バッドが「なぜ?」と訊ねると、バッドの「片道飛行はわかっていた。しかし、来ずにはいられなかった」という言葉を水中のスクリーンに流す。自己を犠牲にしても核爆発から世界を守ろうとしたバッドの人道主義に地球人の希望を託そうとするのである。
 うがった見方をすれば、個人の自己犠牲を強要しなければ世界の平和は守れない、と言っているようでもあるし、もう少し言えば、地球人が殺し合いをしているからと言って地球外知的生命体に津波を起こされて全滅されるような筋合いはない。地球人が愚かであったとしても、愚かでない生命体など存在するのだろうか。
 というようなアメリカ映画臭さはあったが、美しい映画だった。



54)至福な瞬間

 この短かい連載も最後になった。最後になにを書こうかと考えていたがやはりこの映画で終わろうと思った。いまさらこの映画のことを書いても仕方がない、と思えるほど、映画ファンには語りつくされた映画であるが、やはりこの映画に触れずにはいられない。
 それはこの映画が映画的至福をラストシーンに用意しているという一点を理由とするからである。
 アルフレッドはシチリア島の小さな村の映画館の映写技師である。上映前には村の教会の司教が試写をして、キスシーンがでてくると鈴を鳴らせてカットさせる。それを劇場の入口から少年トトが眺めている。そんなふうにして
『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989年、イタリア、ジョゼッペ・トルナトーレ監督)ははじまる。
 映画自体は、村の小さな映画館を舞台に、映写技師アルフレッドと少年トトの交遊(映写技師と少年の組み合わせという、最初から泣かせるような設定である)が淡々と描かれていて、ユーモアとペーソスが交差しながら、僕らの、娯楽が唯一映画であった頃の郷愁をかきたてながら進行する。
 それは「昔はよかった」という感傷を引き出したりするが、「昔はよかった」という言葉は、僕らの記憶は猥雑物を濾過し、単純で快い記憶のみを取り残していたいという願望によるものだと思うが、ほんとうは「昔」もよくないことばかりで、それらは記憶の裏側へ閉じこめられているにすぎないのだが、「昔はよかった」というキーワードで僕らは「昔」を正当化し、懐かしんでいるにすぎない。
 この映画を観ながら、風景も登場人物も宗教も、僕が育った日本とはなんの共通項も無いながら、たまらなく懐かしくなるのは、昔は映画はこのような共同体のなかで共有されていたという映画への思いが刺激されたからかも知れない。
 ある夜、アルフレッドはフィルムを燃やし、映画館を全焼させ、自分も火傷を負ってしまう。宝くじで大金を当てた男が映画館を再建し、トトが映写技師になる。青年になったトトが村を出る日、アルフレッドは何があってもこの村に帰ってくるなといってトトを見送る。たぶんこの凡庸と流れる田舎での生活は老人のものでしかない、とでも言いたかったのかも知れない。
 時が過ぎて、映画監督になったトトがアルフレッドの葬式に帰ってきた日は、村唯一の映画館「ニュー・シネマ・パラダイス」の廃館の日だった。トトに残されたアルフレッドの遺品を持ち帰って試写室で見はじめたトトの顔に笑いが満ちてくるラストシーン、この映画はこのラストシーンの秀逸さで何度も繰り返し観られる映画となるだろう。
 それは遠いむかし、司教の鈴の合図とともにカットされたキスシーンをつなぎあわせたフィルムだった。後から後からでてくるキスシーンにトトはアルフレッドとの至福の日々を思い出さずにはいられなかっただろうと思う。
 このラストシーンは、「劇的」といえるだろう。僕たちの日常で、愛した人の死後、至福な回想が目の前で展開されるということなどまれにしかないと思う。それと同時に人と人の関わりは、繋ぎ合わせたキスシーンのようにささやかな日常の風景という形をとって心を和ませてくれることをこのラストシーンは教えてくれる。
 至福な瞬間・・映画を観ていると時々そのような瞬間に出合うことがある。その瞬間に出合うことだけを楽しみに映画を観ていると言った方がいいかもしれない。これからも至福な瞬間に出会える楽しみをもって映画を観ていきたい。
 二ヶ月間ありがとうございました。





      
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