6月末で東京・日比谷公園に開設した「年越し派遣村」が解散した、という。昨年末、TVで見た光景はすこし異様だった。まるで内戦のおこった国で避難民がさ迷っているような光景におもえた。

 ぼくの周辺には、彼らのように、今日明日の食や住に困っている人がいなかったので、あの光景はTVの中の出来事でしかない側面もあったが、たしかにひとつの現実であり、それは、TVのこちら側の、自分たちには関係のないことだとおもっている一人ひとりにも深く関わっていることだ、とおもいながらも、「派遣村」村長の湯浅誠さんやその周辺の人たちみたいな「人に対する信頼」を感じさす行動なんかぼくはとれないだろうなあ、とTVを見ていた。

 派遣村は解散するが、職に就けた人は一割程度で八割近くは生活保護を受けているという。

 もうだいぶ前のことだが、NHKで『セーフティネット・クライシス』という番組をやっていた。途中から見たし、だいぶ前のこと(1年以上前だとおもう)で詳しくは覚えていないが、健康保険料を払えなくなって保険証をとめられて病院にも行けなくなった人や、母子家庭が生活保護を停止されて高校を中退して働きに出た少年などの実例が紹介され、セーフティネットといわれる社会保障が破綻している現実をあぶりだすとともに、行政側からの出席者からいろいろ言質をとろうとしていたが、なんとなく、現実指摘で終わってしまったような印象がある。

 それから1年以上は経っているが、ますますクライシスが増大しているような気がしているのはぼくだけだろうか。

 2004年、新自由主義を掲げた小泉内閣が社会保険の削減に手をつけたことからセーフティネットの破綻が顕著になりはじめた。それまでも弱者が充分に保護されたことはなかったが、「自分のことは自分で」主義が横行しはじめてから、身障者をもふくめ、切り捨てに切り捨てられてしまっている。

 「保護から自立へ」をうたいながら、身障者と一緒になって現場で働く人たちに「障害者を殺す」とまで言われた『障害者自立支援法』を作った村木厚子は身障者の割引制度を悪用したとして逮捕されている。(本人は現時点では否認している)

 障害者が「自分のことは自分で」やりたいのは健常者以上に思っていることだ。「やりたいがやれない」のだ。そのとき、手を貸すのが行政だろうに、厚労官僚は障害者を利用して大型電気店の広告費を浮かすことに手を貸して平然としている。繰り返し見てきた構図だ。

 そのNHKの番組には政府の社会保障国民会議座長の吉川洋という人が出ていたが、この人は小泉構造改革の理論的中心人物だった人らしい。

 小泉構造改革といえば慶応大学教授で新自由主義者の竹中平蔵が中心人物だとおもっていたが、東大閥でかためられている霞ヶ関の官僚たちを動かしたのは東京大学の経済学の権威である吉川洋の理論だった、という。

 小泉という人が首相をしていた間はひどかった。郵政民営化でマスコミも市民もあおりにあおりたて、社会保障やその整備の問題など顧みられることもなかった。おまけに「二度と戦争を起こさない決意」と表して靖国神社へ参拝した。「二度と戦争を起こさない決意」なら、広島や長崎、沖縄で決意したらどうだろう。

 靖国、というと、昨年『靖国』という映画を見た。靖国神社に納める刀を作っている刀鍛冶(高知の90歳代の老人だが)の仕事の現場と靖国神社の日々を交互に描いていた。

 そのなかで、靖国神社に奉納した軍刀が中国大陸で中国人惨殺に使われたというニュース番組が流され、中国人の監督、李纓は90歳になる刀鍛冶に、刀を作りつづけている理由を引き出そうといろいろ質問する。

 90歳の刀鍛冶はへらへら笑って監督の質問をはぐらかせつづけていたが、一言だけ喋るシーンがある。それが、「小泉首相が靖国を参拝してくれて嬉しかった」というセリフだ。しかも、にこにこ笑いながら。

 このひとセリフがものすごく印象的だった。「靖国」という90歳の刀鍛冶のアイデンティティに一国の首相が参拝した、ということが、つい、笑顔が出るほど嬉しいのだ。彼の90年はそういう90年だったのだ、と了解するしか手がない。

 あと、靖国神社の部分は、たいした映像もなく、凡々たるものだった。

 たぶんその凡々とした印象しか受けなかったというのは、靖国の秘技が暴かれていなかったからだろうとおもう。

 靖国に集う右翼や左翼、中翼の生態は事細かに描写されていたが、それらはニュース番組の延長上でしかなく、「誰も知らなかった歴史がここにある」という謳い文句どうりなら、靖国神社の内部で行われている、物理的、精神的な秘技のありさまに迫ってほしかった、とおもうのだが、靖国神社がそう簡単に生身を曝すともおもえず(生身を曝した瞬間「靖国」は「靖国でなくなってしまうだろう)まあ、これぐらいの描写が限度だろうとはおもうが、ただただ「軍服の行列を見たなあ」という感想しかない映画だった。

 

 まあ、それはそれとして、簡単にセーフティネットというが、セーフティネットがほしいときにはネットがはずされているのが現実である。

 花形ブランコ乗りがサーカス団のために稼ぎに稼いだあと、体力がなくなり演技に不安になったとき、ふと気がつくと、いままであった安全ネットがいつの間にか取り外されていて、傍らには若くて機敏なブランコ乗りが待機している──現在のセーフティネットとはそんな状態だ。

 失業してもらえる雇用保険は3ヶ月から半年ぐらいが中心で(年齢や勤務期間によって変わるのだが)、しかも受給要件があって、就職しようとする積極的な意志があり、いつでも就職できる能力がある人に限られ、「病気やけがのためすぐには就職できない人」ははずされてしまう。

 会社が倒産したり、クビになった30歳未満の若い人は3ヶ月で次の仕事を探さなければならない。完全失業率5・2%、有効求人倍率0・44倍のこの時代、にである。

 09年版『労働経済の分析』(労働白書)でも、「非正規雇用労働者の雇い止めなどを集中的に実施した」と指摘している。使い勝手のいい調整弁として使われた労働者が路頭に迷っているこの時代、にである。

 これもNHKの番組からの受け売りだが、オランダでは雇用保険は4年間、もらっていた給料の九割が支給されるという。その間、さまざまな職業訓練を受け次の就職に備えるという。

 また、オランダでは、パートでも、契約社員でも各種の保険に加入が義務付けられているという。(実際はそんなにいい面ばかりではないとおもうのだが、それでも、ある程度の保障はある。この安心感はおおきい。)

 そんな話をすると、よく、働く気がない人がいて4年間働きもせず雇用保険をもらうケースがたくさん出てくる、という人がいるが、100人のうち90人が不心得のある人だったとしても、ほんとうに困っている人が10人いるとすれば、手厚いバックアップが必要だとおもうし、それがセーフティネットという意味だとおもう。

 じゃ、90人の不心得者が得するだけじゃないか、と言われれば、その人たちをうまく説得する技を持っていないが、やはり、セーフティネットを言うのなら、90人の不心得者がいようと10人の困窮者を助けるのが筋ではないだろうか。

 「財源はどうする?」と詰問する人がきっといるだろう。そんなとき「戦闘機や爆弾を買う金を回したら…」と言ってみるしかないが、こんな意見が多数派になるだろうか? ならないだろうな、とおもう。

 

 この前、櫻井よしこという人がTV番組で、あのソフトな語り口で、「国防、国防」と語っているのを聞いていると、「国防」なくして日本という国は存在しない、とつい、おもってしまったりする人がいるかもしれない、とよけいな心配をしてしまった。

 彼女の言うには、北朝鮮では核兵器の準備をしているし、中国の国防費は日本の10倍以上だし、アメリカも最近は中国を無視できなくなっている、そんな状況でこれ以上国防費が削除されたら、日本が成り立たない。日本という国がなくなっていいのか、とあのソフトな語り口で「軍備第一主義」をとうとうと語っていた。

 彼女の論理でいくと、北朝鮮から日本が侵略されないためには北朝鮮に負けない核兵器を持ち、中国から侵略されないためには中国を上まわる軍費を捻出しなければならない。そんな気絶してしまうような話を平然と語っていた。

 でも、ここはおもいきって、軍備ゼロ、にしてしまったらどうだろう、とダイケはおもう。アメリカさんにもお引き取りいただいて、丸裸になってみたらどうだろう。

 軍備にかけていた予算を社会保障や福祉、教育などに全部まわしたらどうだろう。いまよりはすこしましな社会になりそうな気がする。ゆとりのある社会になりそうな気がする。ましな社会、ゆとりのある社会になったら犯罪も若干減り、貧困も若干緩和されるとおもう。

 日本がそういう国になったら、世界のうちのいくつかの国が日本をうらやましくおもって、日本のやり方に追随してくれるかもしれない。

 それに、日本が丸裸になったら、北朝鮮も中国もびっくりして、見てはいけないものを見てしまった恥ずかしさから、自分たちの軍備を振り返って赤面するかもしれない。

 そうなれば万々歳だが、そうならない歴史が紀元前から延々とつづいている。丸裸になったら、ならず者国家が侵略してくる、と恐怖をかきたてるおおきな声だけが聞こえてきそうだ。

 でも、勇気をだして、一度だけ、丸裸になってみたらどうだろう。もし、侵略されて日本という国がなくなってしまえば、それはそれでいいではないか。どこから攻撃されるかわからない恐怖とともに軍備を増大させて、疑心暗鬼な国家論とともに生きながらえているよりは。

 話がとんでもない方向に捻れてしまった。軌道修正する。

 3ヶ月で雇用保険が切れた若い人は健康保険料も払えなくなって、健康保険証が無効になってしまう。で、病気になる。しかし保険証がないから、全額負担をしなければならない。たとえ保険証を持っていても三割の負担がいるから、失業者に払えるかどうかもわからないが、保険証が無効の人は全額負担である。病院なんかへどうして行ける?

 セーフティネットとは、こういう状態のときにこそ威力を発揮するものではないだろうか。保険料がちゃんと払える人が保険料を払っている状態をセーフティネットとは言わない。

 金が払えないから病院には行かず死んでしまう。

 運よく、生活保護をもらうことができたとしても、2004年の小泉構造改革以来、厚生労働省が生活保護予算を削減し、各自治体に生活保護の見直しを求めて以来、病気で働けない人にも就職を求めたりして、セーフティネットの役割を放棄している。

 

 浜松市でおきた女性ホームレスの衰弱死の顛末は、これが日本か、とおもえるようなできごとだった。

 11月末、70歳の女性ホームレスが衰弱しているのを警察官が見つけ、119番通報したが、救急隊は女性が「4日間食事をしていない、ご飯が食べたい」というので、病院に搬送せず、市役所へ運んだという。警察官が「衰弱している」と119番通報したのだから病院へ搬送して点滴でも受けさすのが救急隊ではないだろうか。

 市役所に着くと女性は自力で降りたがすぐにアスファルト上に身を横たえたという。病院へ搬送しなかった救急隊も救急隊だが、そこから先の市の対応には唖然とする以外ない。

 連絡を受けた浜松市中区社会福祉課の職員は、アスファルト上に横たわっている女性を介護することもなく、非常用の乾燥米を渡した。食べるには袋を開け熱湯で20、30分待たなければならない乾燥米をただ渡しただけで、後は、見守っただけだという。

 その後も、守衛や同課の職員、保健師らが、ただ見守っていただけだという。衰弱して動けない70歳の女性に乾燥米を投げ渡して、その乾燥米が未開封のままであることも見ていながら、11月末の寒風吹きすさぶアスファルトの上の女性を「見守りつづけた」という。

 結局女性は再度の119番通報で病院に運ばれたが死んでいたという。この119番通報も、動かなくなった女性を見て、保健師が上司の許可を得るために上司をさがしたという。119番通報ひとつするのに上司の許可が必要なんだろう、この市役所では。

 「見守りつづけた」最中に死んでしまったのだ。「見守りつづけた善意の人たち」はなぜ殺人罪で告発されないのだろう。

 市民団体から抗議された市は「空腹を訴える女性に非常食を渡し、収容可能な福祉施設を検討した。職務逸脱や法的な義務を果たさなかった不作為は認められない」と釈明したそうだが、釈明になっていない。こういうのを「自己弁護」という。

 「空腹を訴える女性に非常食を渡した」というが、衰弱しきっている女性にすぐに食べられる食料をなぜ手渡さなかったのか。温かいスープでもなんでもいいではないか。

 乾燥米を渡そうとしたときでもお役所の仕事らしく、女性が「所定の申請書」を書かないので、最初、その乾燥米すら渡していなかったそうである。(渡されても困るだけの乾燥米ではあるが)

 それで、職員は「上司の許可」をもらって乾燥米を「女性の傍らに置いた」そうである。そんな人たちに、温かいスープのひと匙、を望むほうが無理だろう。

 「収容可能な福祉施設を検討した」というが、検討している間、衰弱している70歳の女性を冬のアスファルト上に置き去りにしていて、それで平気だったのか。検討の結論が出るまで、市役所の中の一室を空けようという気はまったくなかったみたいだ。もし(そんなことはないとおもうのだが)空き部屋がなかったとしたら、毛布の一枚でも掛けてやろうという心はなかったのだろうか。それとも、「余計なこと」をして「前例」を作ってしまうことを回避したかったのだろうか。

 もっとも、受け入れ先を検討したがどこも受け入れ先がなかったと後で弁明していたが。あらためてセーフティネットとはなんだろう、とおもわずにはいられない。

 「職務逸脱や法的な義務」に違反しなければ目の前で人が死んでしまっても、しかたない、と言ってしまえる根性を賞賛すればいいのか。「未必の故意」どころか、「殺人」ではないのか。

 まあそれでも、この女性は「職務に忠実な善良な公務員に見守られながら」死んでいったから幸せなほうかもしれない。福祉行政の谷間で、誰にも見守られず、孤独のうちに餓死したり、自殺して死んでいった人たちに比べれば。生活苦の中、認知症の母親を殺して自殺に失敗した高齢者に比べれば。

 

 なんでこんな世の中になったのだろうか。

 厚生労働省のHPでこんなやりとりがあった。労働政策審議会労働条件分科会の議事録だ。

 奥谷禮子という人は人材派遣会社の社長で、厚労省、内閣府、国土交通省、経産省、公正取引委員会などの委員を歴任して、政府の政策に提言する立場の人だ。この人達の意見が政策の参考意見になっているのだ。

 この人はずっと、「自己責任」を言いつづけている。自分の経営する人材派遣会社でも、優秀な人材は企業のほうからスカウトに来る、(だから)スカウトされない能なしの人間は本人の責任であり、企業や国が顧みる必要はない、という立場をとっている。

 この議事録でも長谷川という委員(話の流れからするとこの長谷川という人は労働者側の代表者だとおもうが)を相手に「自己責任」を言い募っている。

 

 奥谷委員 過労死まで行くというのは、やはり本人の自己管理ですよ。

 長谷川委員 でも自己管理だけではなく、会社も仕事をどんどん与えるのです。

 奥谷委員 でも、それをストップするというのも。

 長谷川委員 世の中は委員みたいな人ばかりではないのです。それが違うところなのです。

 奥谷委員 はっきり言って、労働者を甘やかしすぎだと思います。

 長谷川委員 管理者ですよ。管理者たちにそういうのが多いのです。

 奥谷委員 管理者も含めて、働いている一般労働者も含めて、全部他人の責任にするということは、甘やかしすぎですよ。

 長谷川委員 そんなことはないですよ。それは違います。

 奥谷委員 それはまた組合が甘やかしているからです。

 

 奥谷禮子の発言をいろいろ聞いていると、誰でも努力すれば同じ水準までいけることができるし、私はそうしてきた。私ができたことができないのは、努力が足りないからで、それは「自己責任」である。そういう人たちは会社や社会から無視されても致し方ない、という強者の論理だけである。

 この世の中、自分と同じ資質の人間だけが生きている、と錯覚しているどうしようもない人種である。努力しても奥谷禮子が決めたフィニッシュ点まで届かなければ、オシマイである。

 この世の中、相手の顔を見て話のできない人や、自分の思っていることの十分の一も言えない人などたくさんいる。あるいは、後ろ向きの考え方ばかりをしている人や、他人を罵倒しなければ生きていけない人など、さまざまな個性の人たちが生きているが、それらの人は自己責任をとらない、だから、抹殺してもいい、というのが奥谷禮子の言い分だ。

 ぼくのように、そこそこ(、、、、)で生きてきた人間なんか、やっぱり否定されるだろうな、とおもってしまう。

 小泉構造改革を旗頭に、先の吉川洋やこの奥谷禮子、あるいはオリックスの宮内義彦などがここ数年、日本の経済政策を引っぱってきた。そのひずみが今こうして出ている、と言っていいのかもしれない。

 

 かつての日本の社会、終身雇用制や、職業の規制のある社会がいいのか、それはよくわからないし、たぶん、一長一短あるだろう。その一長一短をうまく使いこなして自分の個性と交わらない個性を認め合いながら細々と生きていけばいい、とぼくはおもっているのだが、日本の社会はトヨタがこけたら日本中がこけてしまった、みたいな一点集中主義の中にどっぷり浸かってしまっている。ぼくの車もトヨタだが、もう18年も乗っている。トヨタの営業からはエコカーにすれば減税がある、と声をかけられる。

 「エコエコ」と「エコ」だけが正義であるかのような風潮が今また日本を襲っている。「エコ」が錦の御旗を掲げて歩いている。「エコ」を言わない者は賊軍である。ぼくのように燃費も悪くて排気ガスを多く出している車を18年も乗っている者は、である。

 

 派遣社員をしていた加藤智大が秋葉原で無差別殺人を犯して1年が経った。

 「勝ち組はみんな死んでしまえ」とか、「自分は必要のない人間だ」といったふうなネットの書き込みがあったらしい。大学を出ても派遣社員として働いていた加藤は奥谷禮子ふうに言えば「自己責任」で派遣社員をやっていた落ちこぼれというところだろう。

 将来への不安、今置かれている立場の不安定さ、過去の悔恨、いろんなものが混ざり合って7人もの人を殺してしまったのだろう。それを、加藤智大ひとりの特質と片付けてしまっていいのだろうか。うまくいっている時は少々の不安があってもなだめごまかし生きていけるが、すこし悪い方向に進みはじめると、そのなだめやごまかしが歯止めになってくれなくなる。

 以前、NHKの番組で、「落ち始めたらあっというまですよ、早いもんですよ」と語っていた失業者がいたが、たぶん、どうして自分はこんなことをしてるんだろう、と自分自身驚くような行為に走ってしまうのではないかとおもう。

 そのとき、それを押しとどめてくれる人や緩和してくれる人が傍らにいてくれたら、踏みとどまることができることもあるだろう。

 人間、嫉妬や罵倒や敵意で生きているのはさみしいが、それらから逃れられない人がいるのも事実だ。

 秋葉原を駆け抜けていたとき加藤は何を思い何を思わなかったのだろう。彼の脳裏に去来したものは何だったのだろう。後悔と、後悔と、後悔だっただろうか。

 だからといって、みながみな秋葉原を駆け抜けるわけではない。99パーセントの人がじっと耐えている。自分をかきむしりながら押さえこんでいる。孤独や喪失感、不在感のなかで生きている。

 で、再生はあるのか。鏡像のむこう側に再生の物語は用意されているのか。

 

 秋葉原を駆け抜けた加藤のことがずっと気になっていた。

 事件から1年が過ぎた。1年が過ぎたのに、事態はますます悪くなってきている。経済の回復とか、消費拡大とか言っているが、ほんとうに大事なことはそんなふうに目に見えることじゃない、とおもう。(こんな使い古された言い方をするのはシャクだが)目にもできないし、言葉にもできないが、みんなが抱えている喪失と再生の物語である。

 たしかにこの時代、いい時代だろう。スーパーに行けば食料は並んでいるし、山を削り田畑を埋めたてて新興住宅が建ち、自動車のない家庭は少ない。街には欲望が並び、精神よりも肉体の美を言い募る広告が溢れている。

 その一方で、瞬間瞬間の自己表現が巷に溢れ、持続する他者関係が失われている。自我は幾つにも分裂する悦びを抱え、一つであることの残忍さや苦しさに耐える力を失っている。

 昔がよかった、などといっても仕方ないし、太平洋戦争当時の全体主義よりも、このバカ騒ぎの個人主義のほうがまだましなのかもしれないが、この個人主義からもはじき出され、行き場を失った人たちがどんどん増えている。

 いつの時代も表もあれば裏もある。社会からはじき出されて右往左往する人の集団は現在に限ったことではないことは承知しているが、ぼくが子どものころ、社会からはずれた人も地域の人のさり気ない善意でその日をしのげていた。

 昭和20年代後半、当時住んでいた土佐山田町という小さな町には今でいうホームレスが二人住んでいたが、母たちは米や野菜を分け与えていた。そんなことが本質的な解決にはならないとしても、社会の谷間で生きなければならなかった人たちの日々の暮らしは地域の人々の善意でまかなわれていた。

 

 本誌の前号に発表した「わたしは」という詩は、秋葉原を駆け抜ける加藤智大の姿がぼくの脳裏から離れなかった詩だ。

 

  内乱である

  わたしは内乱である

  街角で発生した内乱である

  固有名詞を抱えた内乱である

  燦めきという幻想を持った内乱である

  (だれにとっての幻想であるのかは別にして)

  捨て身の悪意が保証してくれる内乱である

  対自をうしなって全身蒼白で駆けている内乱である

  蜿蜿長蛇の他人事の懐に税込1764円の(イタリア料理に欠かせないトマトやチーズが気持ちよくきれいに切れます)ナイフで切り込む内乱である

  茫然自失の歩道で吃音した内乱である

  失禁した内乱である

  内緒話が露見した内乱である

  わたくしごとがひとり歩きした内乱である

 

 あれは内乱だとおもった。加藤が抱えていた悪意と憎悪と喪失がこの社会に撒き散らされた内乱だとおもった。彼は内緒話にしておくべき内乱をさらけ出してしまったのだ。

 しかし、しかし……

 

  しかし

  自分のことはよくわからない

  あの日

  走りぬけたのは絶望と悪意の塊であったとしても

  ため息とともに走りぬけた歩道だったとしても

 

 誰にも自分のことはわからない。わからないから悪意や絶望が繰り返され、憎悪や悲しみが自分を逆襲する。

 ここから先、ぼくらはどういう想像力と共に生きていけばいいのだろう。

 若いころ、大江健三郎の『芽むしり仔撃ち』を読んで、想像力で生きていこう、と決めたことがあった(そんなに強い決意ではなかったが)。いま、60歳を過ぎて、ぼくの想像力はぼくを生かしているのか、他人をも生かしているのか、すこし疑わしい、とおもっている。

 

 書店を覗くと辺見庸の新刊本があった。『美と破局』(毎日新聞社)。

 若いころ、辺見庸の仕事を目にするたび、頑張っているなあ、という感想を持っていたが、ここ数年、脳出血で倒れ、ガンに冒されながらも、積極的に発言している姿を見ていると、頑張っているなあ、どころか、鬼気すら感じてしまう。

 ぼくなんかこの60年間、ふにょふにょと生きてきて、ほとんど頑張ったことなどないので、4歳年上の辺見庸の「最期の闘い」のような姿に何となくパワーをもらっている昨今だ、なんて書いているけど、こんなふうなこと書く男なんか辺見庸は嫌いだろうな、という確信がある。

 まあ、こちらの一方的な片思いといったところだろう。

 

 巻頭に置かれた作品は「甘美な極悪、愛なき神性」と題したジャズトランペッター、チェット・ベイカー論だ。

 いや「論」ではない。チェット・ベイカーへの罵声と唾棄だ。

 「彼(チェット・ベイカー)は最初から最後まで崇高な目的をもたず、むろん、そのための努力もなんらすることなく、屁のように無為であった。音楽表現、人物ともに、どこか客観的実在性を欠いていた、なんやら仮象のようなミュージシャンであったのだ。彼には世界平和や環境保護や労働の意義や人類愛などについて、多々弁ずる動機も関心も意欲も教養も能力も、他のミュージシャンにくらべ、あきれるほどなかった」

 チェット・ベイカーというトランペット吹き兼歌手、ぼくはほとんど興味がなかった。若いころ聴いたことはあるが、その情緒性と感傷性を前面に押し出したトランペットとヴォーカルには興味をひかれなかった。あまり聴いた覚えがないのでこれ以上言うことはない。

 若いころはコルトレーンなどを聴きながら「肉体よりも精神」とおもいつづけていたし(現実はそれほど清廉潔白ではなかったが)、クリフォード・ブラウンなどの夭折にあこがれていたし(老害のこの歳まで生きのびてしまったが)、セロニアス・モンクたちの前衛性に自分の未来を見ようと願っていた(この歳になっても前衛≠ニいう言葉はわくわくする)。

 だから辺見庸がチェット・ベイカーを罵倒しながら何を語り出すのか楽しみだった。

 「チェットという甘美な悪は、あまりにも爛れているために、それ自体が底の底まで病んだ消費資本主義の市場でさえ、大っぴらに流通させ、消費させ、再生産するのがためらわれる質のものではないか、という点である。チェットという人物は、家庭や労働や愛や貯蓄や奉仕や投票、信仰といった関係性、社会性、品性を、だれよりもきれいさっぱり躰からこそげつくし、自己存在のすべてを麻薬と音楽のみに(恐らくドラッグが主、音楽は従に)収斂してしまった、たぐいまれなアーティストであり、最終的には自身が麻薬と化した亡霊でもあった。いかなる悪をも流通、消費させる後期資本主義そしてポスト資本主義のいまにあっても、チェットほどの無為、無意味、空虚は生産財としての回収がむずかしく、CM化すなわち資本のための物語化と認証も不可能にちかい。まして、国家権力がチェットを利用しようとしても国家の崩壊につながりかねないワースト・ジャンキー≠ネのだ。それこそがチェットの逆説的偉大さなのである。」

 良くも悪くも、資本主義の潤滑油の一滴として汗水流しているわれわれの前に、チェット・ベイカーは、資本主義を破綻させる者、あるいは、資本主義そのものを無に帰する存在として立ち現れているのではないか、と辺見庸は言うのだ。無為であることは、資本主義の仕組みに組み入れられることのない唯一の方策かもしれない、と。何も生産せず、貯蓄せず、消費せず(麻薬だけは消費するとしても)、愛や信仰といったことにも無関心で生きること、それが資本主義の魔の手から逃れられる唯一の術である、と。

 資本主義を脅かす存在として、無為、無意味、空虚のチェット・ベイカーを据えようというのである。

 

 共産主義が解体してしまった現在、残るは資本主義だが、資本主義を解体したあとには何が残るのだろう。バブル崩壊を招いたグローバル資本主義に取って代わろうとしたのは新自由主義だが、公共の利益よりも個人の利益を優先し、小さな政府の下で、市場主義を優先しようとした新自由主義もあちこちで綻びを見せはじめているし、本来の意味での資本主義は70年代に終わっている、と言う人もいるが、資本主義は腐っても資本主義である。修正に修正を重ねて生きのびる方策を考えていくだろう。(ポスト資本主義って何だろう)

 

 資本主義についてはドゥルーズ=ガタリがおもしろいことを言っている。(たしか『アンチ・オイディプス』だったとおもうが)分裂症とは衝動や欲望が内部に向かって押し潰されることである、と彼らは定義する。そしてその分裂症は、古代や中世近世には少なかった、と。

 分裂症は資本主義の台頭とともに増えてきている。そうだとしたら資本主義というものは衝動や欲望を内部に押し潰してしまう欲望機械であり、分裂症は資本主義のなかで自分の欲望に走ろうとしている者だったら誰でも発病するものである、と。資本主義とはもともとそういう性質を持っていたのではないか、と言うのだ。

 勝手な読み方をすれば、資本主義経済はたえず衝動や欲望を隠蔽しながら分裂症に似た症状を世間に強いながら生きのびている。それは人間の持つ本質的な隠蔽行動に似ているため人類は資本主義から逃れられない──などとドゥルーズ=ガタリは言ってはいないが、そう解釈すれば資本主義の網の目に絡みとられて右往左往しているわれわれの姿が現わになってくるだろう。

 

 ぼくは経済にはまったく疎いので、資本主義がこれからどうなっていくのかはわからないし、興味もないのだが、資本主義の形態そのものと闘っている辺見庸は、宿敵である資本主義を脅かすにはチェット・ベイカーの無為、無意味なあり方が唯一の手段である、と、闘いよりも、めめしい抱きつき戦法が有効である物言いをしながら、そのチェット・ベイカーに自らの身を重ねている。

 「あぶない病気になり病室でよこたわっているしかなかったとき、こころにもっとも深くしみたのは、好きなセロニアス・モンクやマイルスではなく、好きでなかったチェットの歌とトランペットであった。最期にはこれがあるよ、と思わせてくれたのだ。猛毒入りの塗布剤のような、はてしなく堕ちていく者の音楽が、痛みをなおすのでもなくいやすのでもなく、苦痛の存在そのものをひたすら忘れさせてくれた。くりかえすが、彼の音楽に後悔や感傷は、あるように見せかけているだけで、じつはない。〈人生に重要なことなどなにもありはしない。はじめから終わりまでただ漂うだけ……〉というかすかな示唆以外には、教えてくれるものもとくにありはしない。生きるということの本質的な無為、無目的を、呆けたような声でなぞるチェットには、ただ致死性の、語りえない哀しみがある。」

 と、章を閉じている。

 この辺になると、自分の病気のことに絡ませて、ちょっと感傷的、虚無的になりすぎているきらいはあるが、〈人生に重要なことなどなにもありはしない。はじめから終わりまでただ漂うだけ……〉という辺見庸の死生観がぼんやりと見えはじめる。それは誰もが抱く死生観のひとつであるだろうが、闘いに闘ってきた辺見庸が辿りつく死生観としてはすこし違和感があったりするが、他人の死生観に違和感があるなんて言ってみたところで失礼千万な話だが、辺見庸はどこかで、死ぬまで闘う、というような発言をしていた記憶があるので、チェット・ベイカーの生きるということの本質的な無為、無目的≠容認してしまっているのはなぜだろう、とすこしおもっただけだ。

 死ぬまで闘うことと、生きるということの本質的な無為、は同根、同質なのだろうか。それは、闘った者だけにわかる究極の到達点で、辺見庸ほどに闘った記憶のないぼくにはわからないことかもしれないが。

 で、ぼくの死生観だが、まだ、なにもない。すこしだけおもっているのは、死んでしまえばすべて良し≠セが、それはおそらく負け惜しみで、死は、死のほうから勝手にやってくるもので、ぼくが死に対してどうのこうのと言える立場にはない、と。

 

 前記のドゥルーズ=ガタリには有名な概念がある。「器官なき身体」である。彼らはこう書いている。

 「ある意味では、何も動かず、何も作動しない方がいいのかもしれない。生まれないこと、生誕の運命の外に出ること、母乳を吸う口も、糞をする肛門ももつことなく」

 身体には有機体的働きをする身体とは別に欲望する身体が存在し、それは自己の身体を他者として見出している。

 だとすれば(ここから先はダイケの勝手な言い分だが)言語もまた、有機体的働きをする言語を他者として見出している言語がある。

 言語が一義性を失って、読み手の暴力的な解釈を受動することをその身体に気づかせることで、言語が舞踏家のような肉体を獲得することがある。

 (ダイケの付き合ってきた)舞踏家の肉体は、肉体の多様性と差異性を獲得することで、この世界がいく通りにも解釈され、いく通りにも存在することをゆるやかに寛容している。

 そのように世界は、同一的な世界観、というみせかけのシステムから解放され、あいまいな差異として、分散化と緩用を見せつつ存在したがっているのではないか。

 原田道子さんの詩集『曳舟』(砂小屋書房)を読みながら、そんなことをおもっていた。

 

  ああ 草の「むおん」に抱きしめられる

 

  瞬きひとつない蒼穹の「月」にとどく鋭角な

  (しろいもののけの(にほひ(ではなく

 

  しっているかぎり子宮(こ みや)のかすかな会話ににている感覚

  なのにだから 神々の声色にもっともちかい

 

  「いま」がそのとき 風邪を()める 皮膚も()まる

 

  ふたたびみたびひっそりと語られる寓話なのだ

                                (「もののけ)朝」部分)

 

  お)ち)て)く)る)太陽

  

  宇麻志(う ま し)の神がそこにあるそんな日こそ

 

  そういえば身覚えのある

  間近な戦慄(おの のき)かと か。ぜ。 紐解けば

 

  まってまってまって奔らない〈葦〉かびの

  なりなりてなりひびく「むおん」の転写は

 

  「こころ」がおいつくあいさつのまえの

  いっぱいに深呼吸をする吐くときの色だ

 

  かつて(はだら)の渦あのあたりに棲んでいたこともある

                                     (「古文書」部分)

 

  ひかって)傷ついたまなうらのイクサを超えていききする

 

  まみどりがゆらすふるまい 幣がゆれる 神木に

  彼岸と此岸が交叉する祝祭がみえるとしよう

 

  ()()に聞き(おどろ)くだろう

 

  耳そばだてれば

  いたいたしいほど精緻な

  孤独な粒子の謀

  みちみちるそのとき

  なぁんにもない〈ばば〉の(そら)に飛翔しようと

  まなうらのあたたかい滑走路にまぎれて

 

  しなやかに孵ろうとする「こ」らよ

                                     (「おかえり」部分)

 

 原田さんの詩の特質についてドゥルーズ=ガタリふうに語ると、言葉のさまざまな側面が超越的な一義性に統一されることなく、ゆるやかな差異として書きつけられる。書きつけられた言葉は差異や齟齬をその身体に潜ませたまま、読者という媒介者と出会い、内的共振を得ることではじめて言語が他者として原田さんに訪れてくる、ということだろうか。

 原田さんのこの一冊は、「もろもろの器官の下にいまわしい蛆虫や寄生虫がうごめくのを感じ」(ドゥルーズ=ガタリ)ながら言語が有効性や意味性にとらわれることなく、一点に集約することなく、言語の欲望に隷属することをおそれることのない倒錯を誠実に生ききろうとしている原田さんの姿が活写されていて、あらためて言語のふるまいについて考えさせられる一冊だった。

 

 今号から八木幹夫さんの「詩を読む速度」と題したコラムの連載がはじまった。第1回目は松岡政則さんだ。

 その松岡さんからあたらしい詩集『ちかしい喉』(思潮社)をいただいた。

 

センセイにはがっかりしました いいえそれ以下です センセイはがっかり以下でした あの時センセイが慌てられたミツイシを ぼくは知っているのですよ ミツイシは空音ではありません 男女の(さま)でもありません あれは燃えあがる一軒の家 炎によってくる蛾の乱舞 センセイはそのことに 気づいておられたはずです

センセイはもう以前のセンセイではありませんでした その話しぶりもどこか不潔で 捩くれた悪意さえ感じました それには気づかぬフリで ぼくがへらへらと笑っていたからでしょうか オ前ガソウ言ッタト噂デ聞イタケド 本当ノトコロハドウナンダ あの時センセイは同じことを二度訊かれました それはセンセイ自身がそう思っておられるということです その 人をなめ切った傲慢な態度といい 濁った眼の奥のうすく笑っているといい 血くだが煮えくり返りました いいえ血のかたまりのような躰でした ぼくはぬるりとしたものがいつ口から漏れ出すかと 気が気ではなかったのでした そんな闇など 気づきもしないというふうで まったくセンセイには胸が悪くなりました いいえそれ以下です センセイは胸が悪くなる以下でした ぼくは知っているのですよミツイシを ミツイシは土地の名ではありません 人の名でもありません あれは爆ぜながら燃えさかる一件の家 化けもののように暴れまくる黒烟や熱風の動勢 それこそが死者たちの願いです 家が叫びながらみるみる燃え落ちていく それこそがミツイシの正しい姿です センセイ 事実とは何でしょうか いまさらミツイシの原意を説き明かそうとされても無駄なことです ミツイシは調べようがありません ネットでも検索できません だからといって このまま隠しおおせることでもありません ミツイシはじきに作動します もう誰にも止めることができません ミツイシは一つの覚悟であり 非合法の単独決起であり それ故に美しい宣言なのですから

センセイ おぼえていて下さい センセイが慌てられたミツイシを ぼくは知っているのですよ あの時死者たちの眼も 遐くから気色取っていたのですよ ミツイシにはノガルがありません イヒヒラクがありません あれはひどい焼け方です 群がる蛾もつぎつぎと炎の舌に巻かれ ジジッジジッと焼け死んでいく音や その臭いまでが届いてくるようです あれは誰にも止められません 誰にも近づけません いいえそうやってただひたすらに ミツイシは打倒されなければなりません 

 

 集中の「ミツイシ」全篇である。昨年この詩をある同人雑誌(なんという同人雑誌だったか忘れたが)で読ませてもらったとき、奇妙な戦慄を受けた。言葉がその身体性をぐんぐん押しだしている言語空間に愉楽のようなものを感じた。

 発表当時はタイトルが違っていた。それに初出のタイトルでは「磊」という漢字を使っていたという記憶がある。

 「磊」は辞書などで調べて若干のことがわかったが、作品の中で松岡さんは「ミツイシは調べようがありません ネットでも検索できません」と言っているし、初出のタイトルの「磊」も「ミツイシ」に変更しているから、「磊」のことは忘れて、あらためてこの詩を読ませてもらった。

 とは言いつつ、「ミツイシ」とはなんなのか。「ミツイシ」を前に「ぼく」と「センセイ」の確執が延々と語られて、「ミツイシ」は打倒されなければならない、と断言されるのだが、「ミツイシ」の実体についてはなにもわからないから、読者はなにを了解すればいいのか、ととまどってしまうかもしれないが、ここで語られている「ミツイシ」は、説明するものでもなく、説明されるものでもなく、「ミツイシ」という言語を「体験」するだけである。

 「ミツイシ」を持ち出して、「ぼく」は徹底的に「センセイ」を非難するが、だからといって「ぼく」に「ミツイシ」の正体がわかっているわけではない。

 「ミツイシ」についてあれこれ言っているのは、あれこれ言わなければ不安になってくるからだ。「ミツイシ」が実在しなければ「センセイ」を罵倒することができないからだ。では、なぜそんなにも「センセイ」を罵倒したいのだろう。きっとそれは、「センセイ」が「ぼく」だからである。罵倒されるべき相手は、ほんとうは「センセイ」ではなくて「ぼく」であるはずなのに、どこかでなにかが入れ替わって「ぼく」は「ミツイシ」を受胎し、懐胎し、出産しようとしている。そのまがまがしさに「センセイ」を罵倒するしかないのだ。

 罵倒しているうちに、なんでもなかった「ミツイシ」が身体性を獲得しはじめて、「ぼく」の存在をも脅かそうとしてくるではないか。

 「ミツイシ」という言語に作者がおびやかされ、松岡さんに付き合った読者が心をかき乱される、それが松岡さんの「ミツイシ」だ。

 「ミツイシ」とは、吉本隆明ふうに言うと、指示表出であると同時に自己表出であり、もっと言えば、「ミツイシ」は欠如しているもの、あるいは、余剰なるものである。「ぼく」のなかで「ミツイシ」という「存在の自在さ」が身体性を持ちはじめるのである。

 そう、松岡さんは、言葉は何かを説明することや、なにかについて語る役割をおっているのではなく、「言葉」そのものをさらけ出すことでしか読者と関われない、とおもっているのだ。

 「ミツイシ」はなにも説明しない、なにも指示しない、なにも引用しない、なにも修辞しない、ただ、「ミツイシ」という言葉の在りようが松岡さんの詩を詩たらしめている。

 「ミツイシ」は言葉で説明できるほどヤワじゃない、と松岡さんはおもっている。「ミツイシ」をなにかの「謂い」である、とおもっていると痛い目をみる、と松岡さんはおもっている。「ミツイシ」は存在そのものであり、思考そのものである。

 松岡さんの詩には「ムラ」が多く出てくる。この「ミツイシ」も「ムラ」でのできごとである。

 「ムラ」で生まれ育って、「ムラ」が原風景として身体的にも精神的にも刻印されている松岡さんは、町に出てきても、おとなになっても、ムラで見聞きしたハレやケの(あるいはケガレの)日々を忘れることができない。

 「ムラ」はかつては忌避するところであったが、「ムラ」を言語化することで、容認、承諾、認知することができ、その結果として「ムラ」との共生が可能になった、と理解していいとおもうのだが、その一方、松岡さんの「ムラ」は読者の理解とか、解釈を必要としない松岡さん固有の身体性を持った「ムラ」でしかないことを読者は、松岡さんの詩を読みつづけるうちに思いしらされるのである。

 詩集名の『ちかしい喉』の由来を「あとがき」でこう書いている。

 「ことばを声に体現できないでいる喉を、そのさみしい微熱を書いてみたいと思った。なぜとはなしに、詩に近づけると直感したからだ。」

 ことばを声に体現できない喉が詩に近づける手段だ、と松岡さんは言っている。言葉が発語する直前の、言葉が世間の安直さに身を晒す直前の、喉の動きが詩にちかしい、と。

 言葉として発せられたもの、指示し、解釈し、意味として流れ出した言葉など、「詩」からもっとも遠い存在である、と。