10月30日、クロード・レヴィ=ストロースが亡くなっていた、と11月5日の高知新聞の夕刊に載っていた。100歳も生きていた。

 ぼくのホームページの巻頭は「世界は人間なしにはじまったし、人間なしに終わるだろう」というかれの言葉(『悲しき熱帯』)を借りている。

 その『悲しき熱帯』のなかに次のような文明批判がある。55年も昔の文章なのにその批判がいまも有効なのはレヴィ=ストロースに先見の明があったのではなく、人類が賢明さとは遠く隔たった存在であることの証明にすぎないのだが。

 「文明はもはや、地方種の豊かな土地の、囲いをした片隅で人間が守り、骨折って育てたあの傷つきやすい花ではない。地方種は、その旺盛な活力によって脅威も与えるが、しかしその反面、変化に富んだ強壮な苗を生み出すことも可能にしていたのである。人類はいまや、本式に単一栽培を開始しようとしている。まるで砂糖大根のように、文明を大量生産する準備をしているのである。人類の常食は砂糖大根の料理ばかり、ということになるであろう。」

 レヴィ=ストロースは巧みな比喩を駆使して、西洋文明の驕りが、人類の多様性を破壊し、人類を自滅させる道を歩むのでは、という警告をしているが、それから55年、人類はまさにレヴィ=ストロースの危惧した道を歩んでいる。

 もっとも、ぼくはシニカルな性格なので、人類が賢明である必要はないし、人類が滅んだからといって悲しむことはない、とおもっている。生あるものはかならず滅びる。この社会を同一状態に置いておくことは不可能なのだから。

 レヴィ=ストロースは人間の理性の働きを重視する近代思想・哲学の西欧中心主義と鋭く対立し、当時の思想界の寵児だったサルトルの思想(人間の主体性を重視した実存主義)を批判し、未開社会にも独自に発達した秩序や構造が見いだせると、構造人類学を打ちたて、構造主義を築いた。

 1962年の『野生の思考』でサルトルに引導を渡したことは有名である。

 ベルナール・パンゴーは『サルトルと構造主義』のなかで「もはや〈意識〉や〈主体〉が語られることはなく、〈規則〉、〈法規〉、〈体系〉が語られている。人々はもはや実存主義者ではなく、構造主義者なのだ」と書いた。

 現在の思想はこの構造主義を軸に動いている。ぼくはこの構造主義から、レヴィ=ストロースやJ・ラカンらから、いろんなことを教えてもらった。いや、いまだに教えてもらっている。

 

 レヴィ=ストロースは文明批判だけではなく、「交叉イトコ婚」や「トーテミズムの幻想」、「神話」などを語ることで、この世界の無意識の構造のシステムを明らかにしつづけた。

 「社会集団はそれらの限られた要素を組み合わせて多様な構造を作り出している。だから、問いはこう立てられる。このときの選択の根拠は何か? 組み合わせの規則は何か?」(『構造人類学』)

 ヤーコブソンの『二項対立の音韻論』をもとに、この世界は2ビットで語ることができる、と。

 あのオイディプス神話の構造でさえ、2ビットで「親族システム」として語りつくしてしまった。

 レヴィ=ストロースの登場まで、「人間」が社会構造をつくりあげてきた、とおもっていたのだが、じつは、社会構造が「人間」という概念をつくりだしたのだ、とレヴィ=ストロースは解説してみせた。また、「人間性」と呼んでいるものも、じつは、社会システムの要請する機能にほかならない、ことを露わにした。そう、レヴィ=ストロースは世界をつくりかえてしまったのだ。

 

 吉貝甚蔵さんから『夏至まで』(書肆侃侃房)という詩集をいただいた。

 吉貝さんからは12年ぐらい前、『ハイホー』(石風社)という詩集をいただいて「言葉を体験する」という経験をさせていただいたことがある。その詩集の巻頭に置かれた「クチコの冒険」の書き出し部分を引用する。

 

  クチコの好きなミルトの好きなキキの好きなクチコ

  の好きなキキの好きなミルトの好きなクチコ

  そして逆 あるいは歪み まとまり

  または分かれ

 

  一日は小指の先から暮れていく

 

  流離変貌する聖・多面体の中にいて

  迷子のクチコがなつかしいのだ

 

  ミルトとキキの疾走に

  クチコは挫折する

  石になるわ と キキ

  固くなるね と ミルト

  首振りながらクチコの口がもぐもぐ動けば

  キキはドキッと鳥になり

  ミルトはピチャリと魚になる

 

 この詩に限らず、『ハイホー』では、言葉が先行し、意味が後からついてくる、という特長を持っていた。

 ソシュールは、言葉は人間が現実を理解するための道具ではなく、言葉が人間の現実を作っている、と言っている。

 言葉が先にあって、モノは後からやってくるのだ。

 「クチコの冒険」を読んでいるとそれがよく分かった。

 先のレヴィ=ストロースも、原始時代、親族の違う部族が出会って、品物が交換されたとき、あるいは、その場で言葉を交わし合ったとき、交換される物品の価値や交わされた言葉の意味が最初からわかっているはずはない。物品や言葉の交換がはじまったおかげで、事後的効果(、、、、、)として財貨や言語という観念がうまれた、と言っている。

 吉貝さんの詩もそういう側面を強く持っている。

 まず、なにかしら言葉が現前する。吉貝さんにとって心地いい言葉、気になる言葉、不意に身体から飛び出てきた言葉、つまはじきしたい言葉、罵倒したい言葉、そんな言葉に誘われるようにして別な言葉が姿を現わす。そして一組の群れが生成されると、それらの群れが吉貝さんの存在を足元から揺り動かすようになる。そうなるとしめたもので、言葉が吉貝さんの現実を変成させはじめる、という幸運にであうことができる。それは読者にとっても幸運なことで、書き手と読み手の間で、言葉がその存在感を主張できる数少ない機会をかいま見ることができる。

 吉貝さんの詩はそのような成り立ちをしていた。だから、吉貝さん自身、自分の言葉がどこへ収まるのか予測不能な「言葉の恣意性」が優先するというスリリングさを楽しめただろうし、読者は読者で、そのような吉貝さんの「言葉の体験」を楽しむことができた。『ハイホー』はそんな詩集だった。

 

 新しい詩集『夏至まで』では、前詩集に見られたような言葉の恣意性が薄れ、言葉が志向性を持ちはじめているような印象を受けた。

 

  だよ だーね だね だーよ

  星だね ここだーよ

  渦巻く気流の

  中心だーね

  ボクは寒さの先に立つ

  鳥だーよ 魚だね

  花だーね 言葉だよ だよ

  名づけながら溺れるままに

  見れば

  背骨が路上を這っている

  あるいは 風の中 ねじれ

  ちょっとだね

  ボクらの時は

  いつだって

  ぶるるん だね だーよ でも

  海を越える背骨の軌跡に

  明日の空は 晴れ!

  ぱりん!

  誘惑の極へと走り出す前に

  ああ 今は

  グイと あふれる光を

  グイと 奈落を呑み込んで    (「海をわたる」全篇)

 

 言葉の恣意性を優先させているように見えているが、この詩には秩序がある。

 「だーね」「だーよ」で行頭から詩文のリズムを逸脱させているように見せているが、この「だーね」「だーよ」は吉貝さんの身体から発せられた言葉ではなく、吉貝さんの思惟が関与している、気配が感じられる。

 とはいっても吉貝さんの詩の特長から遠く隔たっていることはないのだが、(いま吉貝さんは50歳だから、この詩集は40歳代に書かれたものだろう)青年期の、ニュートラルで恣意的な言葉の先在から、壮年期の、言葉の内部に結晶する思惟性の承認へ、ゆるやかな転換がおこなわれているように感じるが、吉貝さんはどうおもっているのだろう。訊いてみたいところだ。

 『ハイホー』では見られなかった情緒的な作品もくわえ込みながら吉貝さんの言葉はどこへ行こうとしているのだろう。

 

  森を抜ける風の行方は

  知らない

  緑の記憶に

  風の出自を探れば

  遠い炸裂の

  まばたきがよぎる

 

  限りとは一個のボクである

 

  今 ここ を

  時に宿った日々の先

  明日 どこか につなげながら

  未明 降る 星 降り 空

  へだたりを渡る光の中で

  まばたき まなざしの

  まなざしに出会い

  ボクは君に気づくのだ

  その時 ざわめくだろうか森の木々

  それとも 世界は静止するのか

  ほんの少し ゆらぐ 限りに

  身震いするのはボクらとなる  (「多面の明日へ」全篇)

 

 映画『精神』(想田和弘監督、アメリカ・日本、2008年)を高知市立自由民権記念館で見る。

 精神科診療所「こらーる岡山」の患者と、「病気ではなく人を看る」「本人の話に耳を傾ける」「人薬(ひとぐすり)」をモットーとする山本昌知医師のドキュメント。

 映画のパンフから引用すれば、「病気に苦しみ自殺未遂を繰り返す人もいれば、病気とつきあいながら、哲学や信仰、芸術を深めていく人もいる。涙あり、笑いあり、母がいて、子がいて、孤独と出会いがある。そこに社会の縮図が見える。精神科病棟の鍵を取り払う運動に取り組んできた「現代の赤ひげ」とも言える山本医師は、患者たちが地域で暮らしていける方法を模索し続けている。」

 そんなかれらの日常が患者も含め、モザイクなしで記録されていた。

 時間帯が違ったが、弘井正さんも見てきたと言っていたので、コメントを求めると、

 「『精神』は、僕としては、患者さんの言葉が、記録を作っていることが嬉しかったです。いろんな患者さんがおられ、自殺していった人もあの中にはいたという、どうしようもない状況はあるのですが、患者さんの言葉を残したいい作品と思います。それには額縁をつけているわけですが・・・。そして、もの言わぬ患者さんも多いのです。」

 精神科医の弘井さんと違ってぼくはただの観客だったから、 ただただ「せつない」とだけの感想しかなかった。

 

 ぼくのまわりにも世間を渡っていくのが息苦しい人がたくさんいる。いわゆる「ウツ」とよばれている人たちだ。

 かれらは、自分に苛立つのだろう、ときとして攻撃的な発言をして、他人を傷つけることがある。自分にむかうべき言葉が他人にむかってしまうのだ。そして、自分と他人を傷つけて、また悩む。そのくり返しをぼくは見てきた。そういうのを見ていると「せつない」気分でいっぱいになる。だから、その時々、自分なりに精一杯付き合ってきた。

 しかし、かれらと付き合うには距離感が難しい。隙を見せればやみくもに懐へ飛び込んでくるし、すこし距離をとろうとすると、拒否されたとおもうらしい。「ダイケさんは味方じゃないの?」

 ぼくはかれらの父親にはなれない、母親にもなれない。だから、「これ以上は無理だ」とおもったら離れることにしている。距離を置くことでまた新たな関係がはじまることを願ってのことだが。まあ、理想はそうだが、現実はなかなか難しい。ぼくの存在そのものが憎しみの対象になってしまったりすることがある。

 

 ぼくが子どものころ、昭和30年代初め、近所には「変なおじさん」がいた。仕事もせず一日中ブラブラしていて、子どもたちが小学校から帰ってくると自分の部屋を開放して遊んでくれた。そのおじさんには特技があって、習字用紙に反対に文字が書ける。いまから考えれば簡単な漢字や平仮名、片仮名は反対側から簡単に書くことができるが、小学低学年の子どもたちには「奇跡」に近かった。

 そのおじさんは子どもたちの人気者だったが、おとなたちの世界では、たぶん厄介者でしかなかったとおもう。

 それでも、排除されたり隔離されたりすることなく、世間の中でそれなりに暮らしていた。(簡単に「それなりに」と書いてしまったが、そんなに簡単なことでもなかっただろう)

 

 現在では、そういう人たちは「発達障害」と病名(、、)をつけられている。知能は低くはないが、世間が求めている「常識」や「規律」をうまく理解できず、「ちょっと変わってる人」のことだ。変わっていてどこが悪い、とぼくなどはおもうのだが、変わっていることは社会に順応できないことだ。

 ぼくたちの共同体はそこに住んでいる人たちの多様性を許容しあうものであるはずなのに、なんとなく、「世間」というものに流通してしまっている価値観からはずれた言動や行動をとる人の居心地は悪くなっている。

 とくに、病名(、、)をつけることで、「他とは違う」ことを決定づける。そして「治療」しようとする。素人のぼくなんか、「治療」なんて発想よりも、共同体の中で「違う生き方の人たち」と共に生きていけばいい、とおもうのだが、経済優先のこの時代、効率の悪い社会を容認するようにはならないだろう。

 

 それでも、そんな「変わった人」の中から、ときとして「異才」を放って「天才」と呼ばれる人が出てくる。昔から天才は普通の人間と考え方がちょっと違うといわれてきた。天才は世間の常識を逸脱するものだとみんなおもってきた。

 「天才」と「変わった人」の違いは、世間の仕組みに貢献するかしないかだけの違いでしかないのだ。「天才」は世間に貢献するから、それが「変わった人」であったとしても、世間は両手を広げて迎え入れてくれる。貢献しない人は無視される。排除される。

 

 あのアインシュタインも、あのエジソンも発達障害だった。

 少年時代のエジソンの「天才ぶり」の有名な逸話に粘土の話がある。一個の粘土と一個の粘土を足すと幾つになるか、という問いに少年エジソンが「二個」と答えずに、「大きな一個の粘土になる」と答える逸話だ。「常識」にとらわれない、いい答だとぼくもおもう。ほんとうの話か、後世の人が作った話かは知らないが、エジソンの天才ぶりをあらわす逸話としてはじょうずにできている。

 しかし、「天才の逸話」ならそれでいいだろうが、「天才でない普通の発達障害者」にはそんな逸話はいらない。いらないどころか、そんな逸話は生きていくのを阻害する。というか、それが「逸話」にならない。重い枷になる。

 だからかれらは、ユニークな発想で世間を煙にまくことよりも、常識の範囲内で心おだやかに生きていきたい、と願っている。

 

 ウツや発達障害の人たちばかりではなく、そういうハンディをおっていない人たちもそうだが、人には、自分の存在価値を確認したいという欲望、ヘーゲル的に言うと「自己欲望」を背負っている。

 自分の価値をだれか他人に認めてもらいたい、自分のことを愛してもらいたい、尊敬してもらいたい、あるいは仕事を評価してもらいたい、賞賛してもらいたい、というふうに、人間の欲望は他者の承認(、、、、、)を必要としている。

 それは、人ならだれもそういう欲望を背負っているが、ウツや発達障害の人たちはより強くそういう他者からの承認を求めているようにおもう。社会の仕組みをうまく把握しきれないで生きていても、だれかが自分を認めてくれている、自分を必要としてくれているとおもって生きていたいものだ。そうおもうことが生きている糧になる

 しかし、他者と折り合えてやっていく技術を持っていないかれらに、他者からの承認が容易に訪れるはずもない。承認が訪れないことでかれらは自分の存在価値を自分自身承認することができなくなる。それに苛立ってつい身近な者に攻撃をかけてしまう。「なぜ私を認めてくれないのか。なぜ私を愛してくれないのか」

 

 ぼくはウツではないが、ウツ気味な状態がときとして訪れる。そんなときはだれにも会いたくないし、だれとも話したくない。家族とも口をきかなくなる。口をきくことが面倒になり、つまらなくなり、ときとして、生きているのもつまらなくなる。なにを見ても輝かないし、なにをしても充足することがない。

 だから、人間は本来孤独なものであり、虚無感と喪失感が人間の本質だ、なんて考えたりしてその日その日をやり過ごしているのだが、困ったことに、こんな考えを持っているぼくをだれか他者に承認してもらいたい、という欲望なしにはぼくの「孤独」は存在しないのだ。どこまでいっても「私」は「他者」に規制されている。

 

 最近、若い人のなかでレヴィナスという哲学者が読まれているらしい。ぼくはレヴィナスには詳しくないが(というか、かれの本は難しい。読み切れていない)、レヴィナスは「他者は私に『他者に無関心であってはならない』と命令している」と言っている。「他者の呼びかけの言葉は『なんじ殺すなかれ』である」とも言っている。このあたりが若い人の支持を得ているのだろうか。(内田樹は「愛の現象学」と呼んでいる)

 かれはフランス国籍のユダヤ人で、第二次大戦中はドイツ軍の捕虜になっていたが、その間かれのリトアニアの親族は全員強制収容所で殺されていた。かれにとって、なぜ自分だけが生き残ったのか、ということが一生涯のテーマになった。

 

 で、その「他者」のことだが、他者と接するとき、ぼくは、他者を無視することも、見捨てることも、手を差しのべることもできる。どれを選択するかはぼくに任されている。そのようにしてぼくは他者との倫理的関係に巻き込まれてしまう。どのようにふるまうかはぼくの自由であるにしても。他者との関係性には、ぼくには選択権がないのだから、引きずりこまれた他者との関係性のなかで他者にどう対処すればいいのか。ぼくにはうまく答えられない。ウツや発達障害の人たち以上にぼく自身が他者との関係をうまく把握できないのだから。

 ぼくとしては、その場その場の対処法、臨床的な対処法でしか他者との関係性は保てない、としか言えない。対人関係は相対的なものだから──といってしまったらポストモダンに陥ってしまうのだろうか。

 

 しかし、レヴィナスは「他者」についてこう言っている。(いろんなものを端折って簡単に書くのだが)

 他者に出会うということは自分の好みに合う人、自分に都合のいい人、自分の気にいる人に出会うことではない。それは自分に出会っているにすぎない。そうではなくて、偶然に出会った人、助けを求めている人、逃げ出したいような人、関わり合いを持ちたくないような人と出会うということが、他者と出会うことだ。助けを求めている人、傷ついた人、死にかけている人にどこまでも関わることが他者に出会うということだ。それは、責任を背負うということであり、責任とは自分で選ぶものではなく、それは逃れようもなく課せられているものだ──と、まあ、そんなふうなことを言っている。そんな毅然さに接すると、ぼくなんかすこし身を引いてしまうのだが。しかし、こういう誠実さというか、決意がいまの若い人たちを魅了しているのかもしれない。

 

 ぼくが子どものころからくらべたら、いまの世の中、効率とか、効果とか、利潤とか、そんなものに支配されているようにおもう。そんな世間は「変なおじさん」が小学生を騙して拍手喝采を受けながら生きていける世間ではなくなっている。

 だからといって、昭和30年代に戻ればいい、なんて乱暴なことを言ってもしかたないのだが、この世間でだれもがそれぞれの姿で生きていける方策はないものだろうか、と無理を承知でおもってはいるのだが、この世間、善意の人ばかりではないのも承知している。

 平成のこの時代、世界規模の経済戦争に勝たなければならない──と世間は忙しい。忙しいから「変な人」にかまってはいられない。かまっていたら経済が停滞する。経済が停滞したら豊かな暮らしが阻害される。豊かで便利な暮らしをするためには一部の邪魔な人たちを無視しなければならない。

 「ああ、変な人は変な人でかってに生きていけばいい。ああ、忙しい、忙しい、私は忙しい。」