火星で孤独を克服する方法

火星で
マーズ・ローバーが行方不明になった

地球に届くはずだったマーズ・ローバーの声は
暗い物質や暗いエネルギーに行方を妨げられ
黒洞に行方を曲げられ
どこともいえない場所に迷い込んで
孤独な空間を
孤独に漂泊している

宇宙の闇を漂泊する記号の連鎖は
パルサーにもニュートリノにも3K背景放射にも
読みとられることなく
無用な雑音となって飛びつづけている
どこのだれだかわからない引力と斥力に
身を任せるしかない不幸を
胸にしまって
宇宙で氷ることもなく
ただひたすらに
ただひたすら
自らの意志など問われることもなく
ただひたすらに
無用な雑音でありつづけるマーズ・ローバーの声
雑音でさえありえないマーズ・ローバーの声

ともいえるが
もしかしたら
マーズ・ローバーは
孤独なマーズ・ローバーは
赤茶けた惑星にひとりで降りたったマーズ・ローバーは
他者の不在に
声をうしなったのかもしれない

だれにも認識されないマーズ・ローバーは
自分をいとおしくおもってもむなしい
憎しみをもってもさみしい
いや
いとおしさも
憎しみもない世界で
他者のいない自我
という
孤独なゆらぎ

胸うちひしがれてしまったのだ
ひとはだれでも
だれかの欲望によって
かろうじて生かされているのだし
マーズ・ローバーの失語もそれが原因だと
ぼくにはおもえるのだが
証明できない
だれも

証明できないことはぼくの住んでる惑星にも数かぎりなくある
ほら
あれとあれとあれだ
それに
あれもあれもあれも ある

そんな無責任ないいぐさがあるか 
と叱責されようと
あれとあれ
としかいいようのない不可思議な現実を
ぼくは生きているわけで
確実ななにかによりかかって生きている幻想を
もつことはない

火星で
マーズ・ローバーが孤独を克服して
たしかな現実という幻想を生き抜く方法を発見したら
どこにも
だれにも
届くことのない孤独のゆらぎを
胸にたたんで生きているぼくにも
有効だろうか

     
     
*2004年1月22日、NASAが打ち上げた無人火星探査車「マーズ・エク
      スプローション・ローバー」1号機から交信が途絶え、火星のデータを送信
      してこなくなった。



引力


引力を感じながら目醒める朝がある

子どものころ
“引力のなくなった日”というさし絵を見たことがある
地表から浮きあがっているのにみんな
恐怖にみちた顔をしていた
地表から解放されるのになぜうれしくないんだろうと
不思議におもった

引力がなくなることの理不尽さを知ったのはおとなになってからだった
引力がなくなればぼくら地球人は
地球人でなくなってしまう
かといって
宇宙人でもない
ただ
そこはかとなくさみしい塵になってしまう

引力を強く感じて目醒める朝はつよく呼吸ができない
そういう意味では
胃液も脳髄も血漿も末梢神経も平常心をうしなっている
(泣き言をいえば
 無用の長物として烈しく勃起するはずの男根も引力に閉ざされている)
そんなことを他人にいってみてもしかたないので
いつもの朝のようにふるまっているが
もしかしたら
地表に
はげしい力で取り残されているのはぼくだけではないか

とつぜん不安になったりする

そんなことはない
だろう
窓のむこうからはかすかなひとの声
ひとの声のむこうには
清潔な青空が発情している気配がしている

こんなぼくにもなにか意味があるのだろうか
きっと



境界

尾を曳いて青空を流れているのは
彗星
ではなく
空中分解したスペースシャトル
だというTVニュースを見ながら
子どものころの夢は
宇宙の涯てを見ること
だったことをゆっくりとおもいだしていた

200億年の距離の果て
という
無理難題な謎に胸躍らせたことが
ぼくにもあったのだ
秩序の沼に
見境もなく墜ちこんでしまうはるかむかしのことだが

アインシュタインは
宇宙は有限だが果てはない
といい
ホーキングは
宇宙の境界条件はそれが境界を持たないことだ
といった

宇宙の涯てを見るという願いはかなわなくて
もうすぐ55歳になるのだが
ぼくのこころとからだは
空中分解という劇的なこともなく
薄っぺらな膜にかこまれて
胎児のようなあやうい生をたたんできた
その薄い膜のなかで
スペースシャトルは空中分解し
彗星のように美しい余韻を曳いている

宇宙に境界はないとしても
あの青空の尾は
なにかの境界のようにまぶしい
あの美しい余韻のような尾のむこうとこちらで
決定的に区分されるものが
ある

     
*ぼくが子どものころ、宇宙は200億年前にできたといわれていた。
      現在では137億年前という観測がある。(そんな距離を観測するなんて……)