三つの宝石の物語 元共同通信のナイロビ支局長で、1994年ザイールで事故死した沼沢均の「アフリカ通信」とでもいうべき『神よ、アフリカに祝福を』(集英社)を読んでいると、黙々と死んでいくアフリカの人々がでてくる。民族や宗教というアイデンティティーのために、あるいは全体主義、独裁者の権力欲のために黙々と殺されていく人たちがたくさん出てくる。ヒトの歴史が始まって以来どれほどの人が殺され、これから先ヒトの歴史が終わるまでにどれほどの人が殺されるのだろう、などと安穏と考えたりしていると、「死にたいする謙虚さがない」と批判されそうだが、この日本では、死は「非日常」という範疇でしか語られないのも、現実だ。 『三つの宝石の物語』(1994年、パレスチナ、イギリス、ベルギー制作。ミシェル・クレイフィ監督)の舞台は、イスラエル占領下のパレスチナで、父親は投獄され、兄は抵抗運動をしていて、母親と姉と暮らしている少年が主人公である。ヒトラーに虐殺されたユダヤ人が虐殺する側にまわっているのも「ヒトという種」の皮肉さを十二分にあらわしていたりして、民族や宗教にヒトとしてのアイデンティティーを求めることのつまらなさが理解できた。この映画の監督は(初見の監督なのだが)安直なプロパガンダを排して、少年が恋した少女の嘘のために、三つの宝石を探しに南米へ行こうとしてイスラエル兵に殺されてしまう少年を、親しみをこめて描いている。日本のように「死」を日常生活の場から隠匿したり隔離しない分、「ヒトの死」について率直に語り合えるのかもしれない。 愛知県で詩を書いている草野信子さんは、遠い国で戦のために殺されている人たちを「美しい暗喩」や「定型の批評」で語ってはいけない、「無傷の場」にいる私たちは、彼らの死に拮抗しうるだけの想像力を鍛えなければ、私たちの飢えは永遠に充たされない、と言っている。 ひとつだけ言えることは、「無傷の場」にいる僕たちは肉体的な死よりも精神的な死に恐怖を与えるというマジックをつかって、「黙々と殺されている人々」をボイコットし続けることで生き長らえているのかもしれない。 デカローグ(十誡)を観て ポーランド人の映画監督クシシュトフ・キェシロフスキが「モーゼの十誡」を題材に『デカローグ(十誡)』というタイトルで10本の短篇をつくった。そのうちの2本『第一話・ある運命に関する物語』と『第三話・あるクリスマス・イヴに関する物語』を観てきた。「モーゼの十誡」を題材に、と言われても、「汝、姦淫することなかれ」とか「汝、殺すなかれ」ぐらいしか知らなかったが、某参考書によると、唯一神礼拝や父母への尊敬など十条の掟が書かれてあり、古代イスラエル民族の宗教規定、倫理規定が示されている、とのことである。が、観客は日本人である(旧約聖書に精通している人もいたかもしれないが)、「十誡」から離れて観るしかない。 『第一話』は離婚をした父親と暮らしている少年が氷の張った池でスケートをしていて、池に落ちて死ぬ話である。 『第三話』はクリスマス・イヴにかつて不倫関係にあった男に、帰宅しない現在の恋人(結局は実在しないのだが)の行方を捜す片棒を担がせる話である。朝7時迄付き合った男にたいして女は、朝7時迄付き合ってくれるかどうか自分自身に賭けをしたのだ、と言う。もし付き合わなかったら?と男が訊くと、女はポケットから一錠の薬を取り出す、という終わり方をするのだが、こういう孤独の描き方は類型的である。 『第一話』のほうが、人の魂を信じていて、少年を教会へ通わそうとする伯母や、勝手に動き始め、「入力してください」というメッセージを出すコンピュータが出てきたりして、示唆に富んでいた。少年は父親に「死」とは何かと問いつづけるが、父親は即物的に応えるだけで結局、少年は父親から「死」について何も教わらないまま死んでいくのだが、前から3列目に座ったがために首を痛くしながら字幕を仰ぎ見ていた僕はこう考えている。人は死ぬために生きている。無から無にむかって移行しているにすぎない。その過程で、自分自身に注釈をつけることでかろうじて自らの生に耐えている。その注釈の中身は生きている人の数だけあるが、そのほとんどは、自らの生が、自分あるいは他者の誰かにたいしてなんらかの有効性を持っていると信じていることである。 ユリシーズの瞳 『ユリシーズの瞳』(テオ・アンゲロプロス監督、1995年、フランス・イタリア・ギリシャ)を観てきた。すでに映画を観ている県外の知人たちから興奮気味に伝わってくる評判や、ピカデリーで観た予告編から、仰々しさだけが先入観としてあったが、アンゲロプロスの映画らしくとても美しく静かな映画だった。僕は、映画は眠くなるような映画が好ましいと思っている。そこでは作者の思考がゆるやかに展開されて、僕もそのゆるやかな思考を楽しめることができるからである。作者の想像力の上に僕の想像力を重ね合わすことのできるゆるやかな展開が好ましいと思っている。アンドレイ・タルコフスキーやイングマール・ベルイマンの映画が好きなのもその理由による。アンゲロプロスの作品も『旅芸人の記録』をはじめ眠くなるような作品が多い。『旅芸人の記録』といえばこの映画でも『旅芸人の記録』で見せた群衆のシーンが、どんよりとした風景が、美しかった。霧のサラエボが美しかった。この映画は20世紀の初頭、マナキス兄弟が撮ったという未現像のままのギリシャで初めての映画を求めて、一人の映画監督がギリシャを起点に激動のバルカン半島を距離と時間を超えて旅する、というとてつもない「意味性」を持たされた映画だったかも知れないが、バルカン半島の情勢が全くわからない僕には(入口で「ユリシーズの瞳をより楽しむために」というパンフレットをもらったにもかかわらず)かえって、それらの都市と時代の意味性、民族や宗教という意味性、をすっかり削ぎ落としてしまうと、一映画監督が最初の映画を求めて歩くという初源的なもの、始源的なものがくっきりと見えてきた。僕らはかつて自らの始源を求めて未知の道をたどったことがあるだろうか、という自問と共に。この映画は、極端にシンプルに観ることによって、観客自らの始源的なものをぼんやりと考えはじめることのできる映画ではなかっただろうか。 明日を夢見て 人間というものは不思議なものである。「私」という存在は、他者が「私」を欲しているという願望のもとでしか存在し得ないし、「私」という存在は言葉を発することでようやく「私」の意味を提出できるのみである。 第二次大戦直後のシシリー島、映画会社の新人発掘を請け負っているという男が、3000リラと引き換えにカメラテストを行い、ローマの映画会社に送ってテストに合格すれば、映画スターの座が待っているという触れ込みで、トラックに撮影道具一式を載せて島中の村々を巡回している、という書き出しでジュゼッペ・トルナトーレ監督の『明日を夢見て』(1995年・イタリア)は始まる。 映画会社の新人発掘というのはとうぜん詐欺だが、村人たちは様々な思いでカメラテストを受ける。アメリカ兵と関係を持ったと邪推されて結婚もできない女、ホモの男、羊飼いの男、警察官、女優を夢見る女。巧妙な話術で山賊にまでカメラテストを受けさせてしまうのは立派と言うしかない。 彼らがカメラの前で語るのは、私事に関するディテールである。カメラという他者(それは錯誤であるかもしれないが、「私を欲しているという欲望」でもある)を通して「私」は「私の由来」を言葉にすることで初めてアイデンティティーにも似た隠されていた自己の表出という快楽を手にできるのである。3000リラがどれほどのものかは知らないが、その快楽に比べれば安いものである。 現在の境遇から脱出しようとしている一人に、修道院で育った孤児の少女がいる。少女は強引に詐欺師の後を追い、二人で旅をはじめるが、詐欺師の正体がばれ、詐欺師は2年間刑務所にはいることになる。出所した詐欺師は精神病院に入院している少女に出会う。少女にとって詐欺師は「私」という欲望を実現してくれる唯一の他者であったが、その他者を失うことで、少女は「私」を実現できないで、「私」を閉じこめざるを得なくなってしまっていた。 ラストシーン、トラックを運転しながらカメラテストを受けた人々の顔を思い出している詐欺師もようやく「他者」を獲得できたのかもしれない。そんなことを考えながら観てしまった映画だった。 アンダーグラウンド 『アンダーグラウンド』(エミール・クストリッツァ監督)を観てきた。荒唐無稽に騒々しく、押しつけがましい映画だった。 ヒトラーが旧ユーゴへ侵攻した日から映画は始まる。共産党に入党して、抵抗運動をしていた二人の男のうち、一人の男が負傷し、地下の倉庫のようなところで、避難してきた多くの人達と暮らしはじめ、ナチスへの抵抗運動のために武器を造ることになる。もう一人の男は地上でナチスへの抵抗運動をつづけ、やがてはチトー大統領の側近になって権力を得ていく。地下ではナチスへの抵抗運動のつもりで武器を造りつづけ(戦車まで造ってしまう)、地上ではその武器を密売して富を得る。そして時代は現代、いまだにナチスへの抵抗運動をつづけていると思っていた地下の男が地上で見たものは、民族と宗教のために失われてしまった祖国でしかなかった、というのがおおよその粗筋だ。はじめに荒唐無稽に騒々しく、押しつけがましい映画だ、と書いたが、臆面もなく前言を撤回すれば、この映画的要素を十二分に使いこなした荒唐無稽に騒々しく押しつけがましさがあるがために、国家という幻想、あるいは僕らが無意識のうちに抱えている国家と個の、従属、対立意識が鮮明に浮きあがってきた、と言うことができる。 とくにこの映画のラストは秀逸と言っていいだろう。地下から地上に戻ってきた男の息子の結婚式が賑々しく行なわれる。息子も婚約者も、妻も、彼を裏切った男も愛人も、彼ら死んだ者たちがみんな出席して、賑々しく結婚式が行なわれる。少々荒っぽいやり方ではあるが、ここには時代も民族も宗教もイデオロギーも超えた、ヒトとしての賑々しさがある。そして、彼らが至福の饗宴を行なっている海岸(岬といってもいいが)が地割れを起こして、彼らを乗せたまま〈ひょっこりひょうたん島〉のように漂流をはじめる。気がつかないのか、それとも気がついても、ケ・セラ・セラ、なのか、彼らの饗宴は賑々しくつづけられる。そこでは、個は国家の対立項としてではなくあくまでも個に帰すだけでしかないことが暗示されていて、この荒唐無稽の賑々しさも国家という幻想に立ちむかう呪術だったのかもしれない。 イル・ポスティーノ 人は短かい一生のうちに、特別な誰かと出会うことがある。その出会いを感受性豊かに獲得できるという至福な出会いはそう多いものではない。イタリアの貧しい島で職もなくアメリカへ行けば金が稼げるかも知れないと思っているマリオには二度もそういう至福な瞬間が訪れた、というのが『イル・ポスティーノ』という映画である。 1953年、チリの著名な詩人であるパブロ・ネルーダがマリオの島へ亡命してくる。偶然、郵便配達人の職を得たマリオは、世界各国からのファンレターをパブロに配達する仕事に就き、パブロの知己を得る。またマリオは居酒屋で働く娘に恋をし、パブロの応援と、立会人を得て、娘と結婚をする。亡命生活の終わったパブロはチリへ帰り、世界中を旅しているという報道がマリオの島にも届くが、マリオの元へは亡命時の荷物の整理を依頼するパブロの秘書からの手紙が届くだけである。島民の揶揄のなか、マリオのパブロへの思いは変わらず、マリオは詩を書き、共産党大会(パブロはチリ共産党の党員でもある)で、パブロに捧げる詩を朗読することになるが、警察隊との衝突で死んでしまう。後年、島を訪れたパブロはその事を知り、マリオがパブロのために録音していた、波の音、風の音、夜空の音を聴き、マリオとの思い出の海岸を散策するシーンで映画は終わるのだが、この映画は、世界的な著名人のパブロがどう生きたかではなくて、文字もたどたどしくしか読めなくて、週に一度映画を見るぐらいの給料しかもらっていない貧しい青年が、他者と出会うことで、どう変わることができたか、というのがひとつの視点だと思う。僕らは知らず知らずのうちにいろいろな他者と出会っているが、ともすると、他者との関係の大きさを測ることができなくて無為に日々を消化しているのではないかという、心もとなさのなかで生きている。出会う他者が著名な詩人でなくてもいい。隣に座っているおじさんおばさんでいい。僕らがほんとうに出会おうという気にさえなれば僕らの知らない世界が垣間みられるかも知れない。 足立正生のこと 2月15日、レバノンで日本赤軍のメンバーとその支援者が逮捕された、というニュースが届いた。そのなかに岡本公三と足立正生の名前があって、亡霊が顔を出したような感じだった。事実、ベイルートの日本大使館で「岡本公三」の名が読み上げられたとき、集まった報道陣から「おおっ」というどよめきが起こったそうである。が、これは僕ら団塊の世代の郷愁である。 足立正生はいまから30年近く前、若松孝二らと映画を作っていた。ぼくは高校生で、高知では、足立正生の映画は一本も観ることができなかったが、若松孝二の映画は、アサヒ劇場や OS劇場へ来るたびに出かけていた。当然「18才未満お断り」付きの成人映画だったが、若松孝二の映画は時代と格闘する淋しさに充ちていた。時代の閉塞状況に対する困惑さに充ちていたし、その閉塞感に「性」というキーワードで対峙しようとする姿勢に充ちていた。だから若松孝二と一緒に映画作りをしていた足立正生の映画を1本も観られなかったのは残念だったという思いが強い。 その若松孝二がパレスチナゲリラの活動を記録した『赤軍 PFLP・世界戦争宣言』を発表したのは、1972年頃だったと思う。若松孝二が15万円渡した岡本公三はテルアビブ空港で銃を乱射しパレスチナの英雄になり、足立正生も映画作りをやめて、パレスチナへ行く。若松孝二は60歳になったいまも映画を撮りつづけている。 世界同時革命を標榜して日本を脱出した彼らへの思いは「同時代人」としてのぼくらの年代分だけあると思うが、ぼくはいま、日本という奇妙な国で、飽食することにためらいをおぼえず、老後と福祉というぼくらの時代の共同幻想の中で映画を観て、こんな文章を書きながら生きている。そのことの是非は、まだ解らない。いや、もしかしたら、「是非」という価値観に囚われていることじたいが、「団塊の世代」という奇妙な一群の在り方を刻印しているのかもしれない。 足立正生、57歳である。 トップページへ |