病院へ続く道

 

いつもなら通り過ぎる駅を降りる

会社からここまで

いくつもの階段を焦る心で上り降りした

街はすっかり夕暮れ

商店街を抜ける病院への道には

お団子屋さんがあり

電気屋さんがあり

ジーンズ・ショップだってある

パチンコ屋をすぎたあたり

自動販売機で熱いウーロン茶を買うのが

近頃の習慣になった

この暑いのに母は靴下を離さない

病院のベッドで熱いお湯と水を持ち

簡易トイレのそばで

体を拭き歯磨きをする

母の儀式のような時間が始まるのだ

汚れた洗濯物を抱えて

帰る道はもっと暗い

ひと足早く帰った

父は家で夕飯を作っているだろう

休日には部屋を片付けなくては

すでにスーパーの角は曲がった

明るいハンバーガー屋の店内を横に

母のいる病院は影の形で

目の前に近づいてくる

薬と病気の匂いに満ちた自動扉に立ち

私はなんでもない顔をして

二階の病室への

階段を上りはじめる

肩にカバンを掛けなおして

 

 

 

Tシャツの夏

 

今年の夏は母親が入院したので

遠い所へは出かけず家にいて

世界のTシャツを着て暮らした

 

顔がひとつで体がみっつの

アフリカの精霊が踊っている絵のシャツは

娘さんがタンザニアにいるひとからもらった

LILANGAと作者自身のサインがついていて

クリーム色がかった地は

アニミズムの素朴な絵にあっている

 

バニーガールと一緒に車に乗った

ロジャー・ラビットのシャツは

ヨガの先生のアメリカ土産

英語の文字部分に青いゴムのようなものがくっついていて

そこだけ出っ張っている

がっちりした縫いでなかなか丈夫だ

 

水着姿のコアラのカップルが仲良く並んでいる

イラストはケン・ドーンのもの

元気だった頃 母がオーストラリアで買ってきた

現地サイズのMのため

シャツを中に入れると

コアラたちの上半身しか見えなくなってしまうのが玉に傷    

 

ダリかミロを思わせるデザインの

ねじれた時計の文字盤が大きく描いてある

灰色のシャツは日本で買ったスペイン製

驚くべき安さで

病院の前にあるショッピングセンターのバーゲンの最中

吊るしてあった

 

黒いフレンチ・スリーブのTシャツは

ジャンパー・スカートと一緒に通信販売で求めた

スカートと一緒の出番は意外に少ない

ちょっとおしゃれに「WINDBLOWN」なんて

白文字が打ってあるけれども

これは日本製

 

わが家にたどりついたTシャツたちは

物干し竿でぱたぱたしたり

籠で日光浴したり

地球のあちこちでは厭きもせず

紛争やら内乱やらが続いていたらしいが

けんかもせず

洗濯機の中でごちゃごちゃ絡まっていたりして

一九九二年のひと夏は過ぎた

 

 

 

走って走って

 

父のいない日

私は走って家に帰る

会社を出るのは新入社員より早い

湯船から母が自力で上がれなかった夕方

母を引っぱり出し、父と私は運んだ

あれから

母にはひとりで風呂に入ることは固く禁じてきたが

信号の変わらぬうちに横断歩道は走って

駅のホームの階段を駆け上がり

地下道の通路を抜けて電車に乗る

一本遅れれば、二十分私の駅まで行く電車はない

車内では走ったって同じだから

読むのが追いつかない本か雑誌を広げる

空いた席に座れた時は

大抵前のめりになって寝てしまう

四十五分

私は運ばれていく物にすぎない

夢も見ない

駅前のバス停留所にはもう長蛇の列が出来ている

昨日 私の本をはじめて読んだ人から手紙をもらった

「傷つくことを恐れてはいけません」

木枯らしが吹く冬の町では「傷」という言葉すら甘美だ

走って

私は夕闇にたどり着く

痩せこけた母が風呂場に棒切れよろしくころがる姿

傷より鋭く

恐れより素早く

走って走って

わが家の中まで

走り込む