38)なんてたって嶋岡晨

 もう30年も昔、僕が通っていた高校に
嶋岡 晨(東京都・1931年生)という著名な詩人がいた。家庭の事情による短い間の郷里高知での教員生活だったが、詩に小説にと大活躍の時代だった。高校1年の時、嶋岡さんが選をする高知新聞の詩壇に応募したりしていたが、学校では極力、嶋岡さんを避けていた。「著名な詩人にこちらから話しかけるものか」と思っていた。それが3年の時、嶋岡さんの国語の授業を受けるはめになってしまった。だから嶋岡さんとはじめて言葉をかわしたのは教室での出欠取りの時だった。
 嶋岡さんとはあまり詩の話しはしなかった。ただ酒を呑ましてくれたり、ストリップへ連れていってくれたり、ブルーフィルム(その頃は8ミリフィルムを回していた)を見たりして高校最後の年を過ごした。
 「ダイケ、詩とは手でつかむように書かんといかんぜよ。観念的な言葉を使こうたらいかんぜよ。エロチシズムじゃないといかんぜよ」。そう言われたことだけを記憶している。当時流行っていたフランスのヌーヴォ・ロマンの作家たち、ル・クレジオやロブ=グリエ、サロート、ビュトール、など新しい発想に「すごい、すごい」と叫びながらも、文芸部の女教師に「ダイケくん、こんな詩は文芸部の雑誌には載せれん」と拒否されつづけた、性を媒介にした詩を書きつづけたのも嶋岡さんの影響が大だったと思う。(もう一人、ピンク映画と称して人間の孤独を描きつづけた若松孝二の映画の影響もあるが)。性だけは人間生活のなかでゆいいつ政治からも経済からも社会からも影響を受けない私的なものである。その私的なものをキーワードに詩を書くことによって、「青春」という閉塞状況を打破できるのではないか、などとその頃本当にそう思っていたかどうかは怪しいが、嶋岡さんと若松孝二の影響のもと、性を媒介にすることによって私性を獲得し、のっぴきならない閉塞状況(思春期には生きていること自体が閉塞状況であると思われる時期がある)を打破したいと思っていた。だから、後年、若松孝二が極小プロダクションで撮っていたピンク映画を大手映画会社で撮ったときは失望した。性を描くのはゲリラ的戦法でいかなくては意味がないのだ。
 嶋岡さんは60歳を過ぎたいまもなおゲリラ的戦法で「S地区住民」である袋女や縄美人の出自とシニカルな愛の行為を書きつづけている。(詩集
『S地区住民誌』(1989年・新風舎・刊))。
 懐かしい詩集
『永久運動』(1964年・思潮社・刊)から「夢幻家族」を引用する。

  
そのやわらかいからだはまるで
  あふりかの奥地の沼に住む大なめくじで
  わたしにもたれかかりからみつきかぶりつくぐあいは
  わたしをついにはどろどろにしてすすりこもうという
   のである
  しゃぶしゃぶと舌でなめまわすしぐさは
  まるで家畜の心配をする牧場主のようで
  その情愛のかたことは
  屠殺の日にむかってげんしゅくにすすむとりっくなの
   だ
  こうしてこどものあまったるい吐息のために
  わたしはちちである自分をしびれさせ
  うなだれて生の草原をあゆむのである
  こどものははであるわたしの女は
  にくしんのにおやかなにくしみをこめて
  ただれる肉のひだをひらき
  すえた花ばなをわたしにささげる 
  ああ あるきつかれたわたしにむかい
  こどものこどものそのまたこどものたくさんのたくさ
   んのこどもらの
  まるまるとした手がおしよせてきて
  わた菓子のような霧をつかもうとするが
  わたしの目からは墨汁がしたたり
  ぽたぽたと家族の風景におちてにじむのだかつての日
  血のついた脱脂綿のうかぶ空のした
  めたふぃじっくの旅人が
  骨の笛ふきながらとおっていった
  そのおなじさびしい石ころみちを
  夢幻家族をひきつれて
  わたしはだまってあるいていく
  すべての死んだけものたちがよみがえり
  赤い海にむかって吠えはじめる
  あたらしい故郷のはてへ。



39)ネオ・ファンテジスム

  
木の中へ 女の子が入ってしまった
  水たまりの中へ 雲が入ってしまうように 出てきて
   も それはもうべつの女の子だ
  もとの女の子はその木の中で
  いつまでも鬼を まっている。

 吉本隆明は1978年刊の
『戦後詩史論』(大和書房)のなかで、「戦争の痕跡をもたない詩人の詩」として、前掲した嶋岡晨さんの第一詩集『薔薇色の逆説』(1954年刊)に収録の「かくれんぼ」や谷川俊太郎や飯島耕一などの詩を引用して次のように言っている。「これらの若い世代の特徴をもっとも鋭くあらわしているのは、自己意識の単独性ということであろう。じぶんの精神的な体験の蓄積は、他のたれかと根底で歴史的な思想の脈とも、意識するといなとにかかわらずつながっているという自覚が無用なところに、ぽつんと佇立しているのが、この詩人たちの世代の特徴といえる。この単独性は、詩の問題としては思想的な意味の展開と重層化を不用にしたということができる」。
 その頃、嶋岡さんは、メタフィジック(形而上学)とリリック(抒情的)を結合した自由で人間的なネオ・ファンテジスム(新幻想主義)なるものを標榜していたので、吉本の「荒地」や「列島」との世代論的な評価など、嶋岡さんにはなんの有効性も持たなかったのではないかと思う。僕はそのネオ・ファンテジスムなるものがよくわからないのだが、僕が嶋岡さんの詩を読み出した頃、確かに幻想的でシニカルな詩を書いていたような記憶がある。昨日紹介した詩「夢幻家族」もそういうところがある。ところが「これがおれなんだ。(略)いってみれば、地球のはじっこにできた腫れ物みたいなものさ」とあとがきに書いた
『産卵』(国文社・刊・1970年)あたりから、社会と自己をめぐる直截的な制度批判へと傾いていったように思える。詩集を送って戴くたびに「こんな直截性では詩的想像力が衰弱するのではないか」などと偉そうなことを書いたりしていたが、「なにを、こわっぱが!」ぐらいに思われていただろうと思う。「やりゆうかよ?」という一言とともに送られてきた詩集『S地区住民誌』(新風舎・刊・1989年)から「商店街の海女」を引用して、嶋岡さんへの諸々の思いはこのへんで終わりにする。

  
S地区の時の焦点 商店街……
   汗屋は 瓶詰の新種の汗の大安売り
  「奴隷」印が懐かしい
  肉屋は 最後の大サービス
   自分の心臓まで秤にかける
  薬局は あらゆる毒のサンプルを ばらまく
  気前よく(チンドン屋のニュー・ミュージック!)

  老舗の菓子屋「地獄屋」では 金貨の飴の掴み取り
   「肝腎食堂」の魔秘酎は 良心的市民の 安極楽
  肴にも 未後悔の出し汁がたっぷり
  (チンドン湯のカラオケ 「公狂楽・第五」!)
  屋根をまぶかにかぶった屋根人間たちの
   かようのは 永遠の迷作「甘い夜」ばかり
  上映しつづける廃墟映画館……
       その裏口は なまめかしい人魂の飛ぶ乱交墓場へ……

  愛情質店「雑雑」からそっと出てくる わたしには
  とても信じられない
     自分が「折り畳み式の弁当箱」だったなんて
  まして こびりついた 一粒の飯粒でもあり得たなんて……
  あったかい「詩人焼き」を売る屋台の 路地裏の
  狭窄症の星空を見あげれば

  や 四十年前のコッペ・パンが 飛んでいくではないか
  恥ずかしげに!

  こんな夜だ 町はたちまち 海苔臭いガラスの水槽と化し
       ……えら呼吸して「失恋組」の海女が泳ぐ
  煮こごりの火の海を まっ白な足で切り裂いて。



40)あなたは理解されない

 
嵯峨恵子さん(千葉県)は30代後半だと思う(間違ってたらごめん)。いつも送ってくれる詩もエッセーもとても勢いがよくて、煙草なんて大っ嫌いだ、煙草喫みなんて大っ嫌いだ、なんて書いているのを読むとニコチン中毒の僕なんか一生付き合ってもらえないな、まあ千葉と高知でよかったか、なんて思っている。
 詩誌
『HOTEL』25号(1996年2月発行)から「あなたは理解できない」を引用する。なお「〜国境をさまよう詩人あるいは予言者の歌える〜」とサブタイトルがついている。

  
あなたの詩(うた)は理解されない
  湿った塩辛いこの地にあって
  あなたの作る冷たく鋭い言葉は
  珍しがられ大事にされても
  詩は理解されない

  あなたの声は理解されない
  チェロの響きにも似たあなたの声音は
  多くの耳にしみ入り酔わせるだろう
  いっしょに歌ってくれる者だっていようが 声は理解
   されない

  あなたは理解されない
  旅のそこかしこで子供たちは踊り
  あなたのために女たちは髪の毛をふりみだしてもくれ
   よう
  褒めたたえられ愛されこそすれ
  理解はされない

  あなたは理解されない
  あなたを理解し
  あなたを受け入れるのは
  焼けつく陽に照らされ石と砂を這うひとびと
  あなたを追放した憎むべきひとびとだ
  だが それを
  あなたは決して理解できない

 「珍しがられ大事にされても」「いっしょに歌ってくれる者がいても」「褒めたたえられ愛されても」あなたは理解されない。あなたを理解するのは「焼けつく陽に照らされ石と砂を這うひとびと、あなたを追放した憎むべきひとびと」だけだが、あなたは「それを決して理解できない」。この絶望的でシニカルな世界観は僕らヒトという種の個体としての国境のありようを展開しているのだが、僕らはこの一見平穏な親和力に充ちあふれていると錯覚している炎天の地を石と砂を食みながら、理解されないという絶望の縁を歩みつづけることによって、ようやく自らがイメージする自己に辿りつけるのかもしれない。
 「あなた」を追放した人によってしか「あなた」は理解されないという反語的な正当性と、それを決して理解できない「あなた」の絶望的な孤独は形を変えて僕らの日常にもたたずんでいる。それを理解できないのは僕らの心が「一見平穏な親和力」に何の疑問も持たないだけのことだ。
 スウェーデンの映画監督イングマール・ベルイマンの作品に
『沈黙』という映画がある(この映画は今まで観た映画の中でベスト1だと秘かに思っている)。故郷へ帰る旅の途中、姉の急病のため外国の町に降り立った一日の物語だ。「肉体よりも精神」を求める姉はホテルの一室でオナニーにふけり、「精神よりも肉体」を求める妹は外国人の男とセックスをする。精神を求めても、肉体を求めても癒しきれない空洞が姉妹を脅迫しつづけている。快楽を求めても、抑制を求めても、僕らは癒しきれない孤独を抱えて生きつづけなければならない。「ヒトはなぜ死ぬために生きつづけているのだろう」ということを強く感じさせてくれる映画だ。この映画にはオマケがついていて、病の重くなった姉を残して、妹とその幼い息子が汽車に乗るのだが、姉が甥に託した紙切れには、途中下車した外国の言葉で「精神」と書かれてあった。いかにも「神の沈黙」を追求しつづけたベルイマンらしいラストだったが、肉体を求めても、精神を求めても「神」にすら理解されないヒトという種の孤独は、「無神論の国日本」においても「孤独な現実」でありつづけるだろう。 嵯峨さんの詩を読みながら、そんなことを考えている。



41)時代劇の詩

 
神尾和寿(愛媛県)さんは、たぶん僕よりすこし若い世代だと思うが、時代劇のファンだと自認している。善玉が悪玉をぶった切るクライマックスのシーンに狂喜するらしい。僕は子供の頃の東映時代劇三本立以来あまり観たことがないのだが、一時期、時代劇も勧善懲悪から近代的自我による組織と個の対立のようなテーマを扱っていたように思うが、TV時代劇の普及とともに再び勧善懲悪時代劇が復活したように思う。
 しかし、神尾さんの書く時代劇詩(?)は単純な勧善懲悪ではない。神尾さんが「ふたつの夢」というタイトルで連作している詩誌
『ガーネット』の昨年12月号、17から「介錯をする」を引用する。

 
武士が、私の家で腹を切るつもりだ。額の汗を拭いながら、「面目ない」と、しきりに繰り返す。
 私は、四畳半に筵をパッと敷く。

 末期の水を用意する。白い裃と黒い袴も借りてくる。
 「辞世の句を詠みとうござる」と、私の手を固く握り締めて、武士は願う。筆と墨と短冊も買ってくる。
 
 「桜の花が舞わなければ、ハラは掻っ切れませぬ」と、口を真一文字にして、武士はじりじりと迫る。
 私としては、明日のこともあるので、さっさと切ってほしい。チェリーの缶詰を、一ダースほど転がしてみる。

 武士が、艶のない腹に、短い刀を突き立てた。それから、アルファベットを描くようにして、自ら傷口を広げていく。
 ぜいぜいと咳き込みながら、「介錯を」と、声を洩らす。なるほど、これが虫の息というやつか。

 武士の首は、庭先に穴を掘って埋める。辞世の句を書いた短冊は、タンスのなかに仕舞う。血にまみれた筵については、もう捨てるしかないだろう。ひとつひとつのものを片付けながら、武士はちょっと威張りすぎていたのではないかと思う。

 この詩だけ引用しても、なんだ、と思われるかもしれないが、神尾さんがこの連作でやろうとしていることの一つに現在的自我のボイコットのようなものがうかがいしれる。たとえば僕らがいま生きて存在していることのアイデンティティを唯一の拠りどころとして僕らは自我に過剰な負荷を与え、あらゆる手を使って「現在的自我の夢」から逃れられないでいる。
 たとえば僕らが詩的想像力だと錯誤しているものが、現在的自我の喪失を隠蔽する工作であったり、現在的自我というアイデンティティしか持ちえない偏狭の私の酸素吸入器であったりしていないだろうか。
 武士のアイデンティティとは(僕は武士でないので、一方的な僕の思い込みではあるが)辞世の句を詠み、桜の花の舞う下で、刀を突き刺すと同時に介錯の刀が首をはねる、という美意識のなかの自足的な自我の表出にある(と勝手に思っているのだが)。
 そういう「現在的自我の夢」を抱えて死んでいく武士が切腹の終わったあと、神尾さんは「武士の現在的自我の夢」の残骸をひとつひとつ片付けながら、武士はちょっと威張りすぎていたのではないか、思う。
 現在的自我のボイコットのあとに何が来るのか、それはこの連作が終わってからのお話し。



42)ライト・ヴァースと呼ばれて

 一時期、「ライト・ヴァース」という呼称が流行った。軽い詩と呼ばれ、日常語でいとも簡単に書かれたかのような詩がたくさん登場した。難しい難しいと言われつづけた現代詩もライト・ヴァースの登場で、一般の読者をたくさん獲得した、かというとそうでもないのが詩という分野のややこしいところだ。このライト・ヴァースの一群は、僕らより上の世代の詩人たちには当然のことのように評判が悪かった。主体がない、思慮がない、詩で遊んでいる、等々。若い詩人と年寄りの詩人の間にいる僕としては双方の言い分がわかるだけに、足場がしっかりしていなくて上の世代にも下の世代にも優柔不断だと非難をされたりするが、上の世代が自らの思考と文脈に頼り、「書き手の側の論理」を推し進めたきらいがあったのに対して、ライト・ヴァースの世代は、「読み手」の位置を視野にいれた柔軟な思考と、単純化した文法に現代詩の可能性を見いだそうとしているもので、どちらを支持しどちらを拒否するといったふうにはならない。しいていえば、良いものは良い、悪いものは悪い、としか言いようがない。では良い詩とは何か。若い頃は、オレという存在をかきまぜてくれる詩が良い詩だと思っていた。現在は、作者の書いていること以上の何かが届いてくる詩が良い詩だと思っている。それに近いことを加藤典洋(評論家・1948年生)が
『この時代の生き方』(講談社・刊)のなかで言っている。要約すると、「優れている詩」とは、その「優れ」ている所以がいささかも損なわれることなしに、それでは届かない、そういうコトバの通じない何かが顔を出しているのではないか、と。
 
伊藤芳博くん(岐阜県・1959年生)もライト・ヴァース世代といわれる世代の一人だ。詩誌『橄欖』42号(1995年1月)から「一匹のゴキブリと」を引用する。

  
ソファーで本を読んでいた
  『生命とは』なんていう難しい本だ
  眠くなる
  頭が言葉の重さに耐えられなくなったとき きみのお
   気に入りのポロシャツの上で
  何か動いた
  よく見る
  ゴキブリの子どもだ
  少し動いては 止まる
  かわいい
  と思う
  ちいさな触角がこちらをみている
  きみの触角も応じる
  フリフリ
  一匹のゴキブリと
  仲良くできたら
  きみは考える

  (中略)

  きみは一匹のニンゲンを考える
  おとうさん一匹
  おかあさん一匹
  おねえさんは? 
  おじいさんは?
  みんなで食事して
  バラバラにトイレに行く
  バラバラに仕事に行って
  みんなでまた食事する
  バラバラにフロに入って
  何組かに別れて寝る

  突然気づく
  自分も一匹なんだって
  一匹のゴキブリ
  かわいいと思う
  フリフリ
  けれど
  仲良くなんてなれそうにない
  ゴメン
  そう言いながら
  きみは
  ティッシュで掴んで
  クズカゴに捨てたんだ

 自分もまた一匹のゴキブリでしかないと認識せざるをえないこの世代の虚無にも似た自己諧謔の源泉がなんであるのかは、この短いコーナーでは書ききれないが、プロパガンダを嫌い、ひたすら自己を取り巻く私性の深淵を垣間見ようとする試みはつねに「ティッシュで掴まれてクズカゴに捨て」られる苦い認識で閉じられてしまう。だから僕は、上の世代のようにライト・ヴァースを簡単に切り捨てられない。



43)神戸の街で

 
 昨年の1月17日早朝、未曾有の大地震が阪神を襲った。壊滅した大都会、燃え上がる大都会をTVで見ながら近代文明も渦巻くマグマの上に構築されていることを思い知った。地球という原始的な惑星の上で幾多の文明が滅んでいったのだろう。この先も僕らの文明は消滅と再構築を繰りかえしながら地球の滅亡を待つだけなのだろうか。それとも新たな惑星を求めて地球を離れ、宇宙への民族大移動という冒険譚を書き残すのだろうか。
 しかしそんな思いも、神戸市長田区が燃えつづけているTV画面を前に悄然としてしまった。長田区には松木さんがいる。松木さんがいる。あの燃えつづけているなかに松木さんがいる。すぐ安否を問い合せる葉書を書いた。神戸まで届くのかわからなかったし、神戸まで届いても松木さんのいる避難所まで届くのかわからなかったが、書かずにはいられなかった。案の定、僕の葉書は神戸の空を彷徨っていたらしく、1ヵ月近くたって松木さんから返事が届いた。どう無事なのかはわからなかったが、無事だという返事が届いた。
 それから4ヵ月後、松木さんから彼の主宰する神戸の詩誌
『豹樹U』21が届いた。5人の同人はみんな無事だったらしく地震後の混乱の中から復活してくれたのがうれしかった。その詩誌のなかから松木俊治さん(兵庫県・1950年生)の「神戸」を引用する。

 
 六甲の中腹から海際まで見通せる
  路地のように細い坂道
  それが神戸の街だ
  煙草をくゆらせて
  きみが美しく揺れていた陽炎と
  ぼくを待っていた坂道が
  いまは嘘のように歪んで空につながっている
  真夜中にきみのまえで
  胃液まで吐き続けた側溝は地中深く埋もれた
  二〇年
  ぼくはあのまま
  この街に棲みついた
  ずいぶん会ってないきみに いま
  余震のおきるたびに会いたくなる
  会いたくてたまらなくなる
  きみなら
  きみの故郷・神戸を
  どう思うだろう そして
  なんと言うだろうか
  一九九五年一月一七日は
  きみの
  神戸を
  揺すっただろうか

  夜遅く帰宅すると
  洗面所の鏡が不思議に光っていた
  しろっぽく疲れた横顔に見いると
  不意に
  悲しくなって
  涙がこぼれそうになる
  息吐きかけてぼくの輪郭描きながら
  話しかけた
  ぼくには
  きみが友達だった
  そのことがわかる気がする
  ぼくの方は
  かわりばえしないけれど…
  きみは変わっただろうか
  しばらく見あっていて やっぱり
  もう会うことないかも知れないと思う
  それでいいような気もして

  もう一度いってみた
  (元気でな)

 この詩は45年間、松木さんの心をはぐくんでくれた神戸の街への惜別の詩である。



44)エロス的世界

 
宇佐美孝二さん(愛知県・1954年生)の詩集『ぼくの太りかたなど』(七月堂・刊)は光の陰影のなかで宇佐美さんの皮膚感覚、呼吸感覚による知覚の世界が、誰によっても決定的に名付けられぬものとして、不安と衝動の繰りかえしが唯一ヒトを生かしている根拠であることを指し示している。その詩集から「ひかる耳」を引用する。

 
ふとした瞬間がぼくを不安にする。それはある娘の、眼でも髪でもなかった。娘が何気なくおろして束ね直した髪の、すぐそばに目に付く耳の形だった。覚えず眼はそこに吸いよせられた。娘はぼくに鋭い一瞥を投げたあともとのうつむきかげんの姿勢に戻って髪を束ね終えた。
 耳だけがひかってみえた。

 そのときぼくは少年期を脱したばかりの頃で、娘もたしか同い歳だったとおもう。彼女の誕生日だけを憶えているのはどうしたことか、二月二三日というとぼくと一ケ月程しか違わない日付の、トランプ遊びで手を重ね合わせたせいかもしれぬ。

 硝子ごしの彼女の下着姿。
 残されていった、窓につり下げられた(ドライ)フラワー。
 まだある。だがそのことはどうでもよい。
 うつくしい耳に、ぼくが魅かれはじめたのはあの時からだったか。

 年経てぼくは、耳の形が人の胎児を模していることを知った。逆さになった胎児の、頭も手も脚も内臓も、ことごとく耳のなかに蔵(しま)われている。東洋医学の、経絡研究の由来ともきく。

 そういえば、君もよくぼくの耳に舌を射し入れてきた。こめかみから顎にかけてひとすじの快感が降(お)ち、耳の中で軟体動物が濡れてひかっている。そのひかりに誘われてか、かかる息のあたたかさのせいか、胎児が闇間にうっすらと眼をひらきはじめる。
 だがぼくたちには見えない。児は親となるだろう男と女の睦みあいを耳からじっと窺っている・・・。  

 そんな幻にとらわれて以来、耳に視線をはしらせる習性(くせ)がぬけない。話している女が眼をおとす時、ぼくはすばやく耳を盗み見るのだ。

 ひかる耳。だが闇の中で凝視(みつ)めている耳。
 君の耳にときどき指を沈めることがある。指は深く潜んでもうずっと長いあいだ浮かんでこないみたいだ。

 エロスという観念的な機能がヒトの実存を支配してしまう瞬間がある。エロスなくして彼の(あるいは彼女の)精神生活が成立せず、エロスなくして身体の実体がないという、本来対立項としてあるはずの精神と身体がエロスという観念に包括される瞬間がある。宇佐美さんは胎児を模している耳に不安と充足の一典型を見ている。
 竹田青嗣(評論家・1947年生)は
『エロスの世界像』(三省堂・刊)のなかで次のように言っている。「人間のエロスは「自我」のエロスであるがゆえに、人間の「世界」はその秩序形成においてふたつの源泉を持っている。それは「不安」とエロス的「可能性」である。前者は、エロスを味わう前提としての「自我」および「世界」そのものの危機にかかわる。そして後者は、「自我」および「世界」を拡張しつつ、つねに新たなエロス的対象を見出だしこれをわがものとする「可能性」にほかならない。」



45)誕生日の贈物

 親しい人の誕生日に、花や画集やCDのように詩集を贈ってもらいたいと願っている詩人がいる。世の中に恋愛小説があるのなら恋愛詩集もあっていいのではないか、とも言っている。
 その
尾世川正明さん(千葉県・1950年生)の詩集『誕生日の贈物』(土曜美術社出版販売・刊)から「九官鳥の嘘」を引用する。

  
うしろを向いたら鏡はみえない
  顔を洗いながら目をさます
  水素のりんごは毒りんご
  食べてみたいけれど勇気がない
  塩入り歯磨粉で歯をみがき
  大きめのバスタオルにくるまりながら
  さても今日はなにを食べよう
  なにを喋ろうかと考える
  子供の頃から考えていた
  宇宙の果ての仕組みでもいい
  小鳥の巣箱を十五個も作って
  僕のうちに置きっぱなしにしている
  女友達の病気のこととか
  神さまの食べ残したムール貝のドリアだとか
  話したいことはいくらでもあるのだけれども
  僕がどういう人間で
  君がどういう人間なのか
  わかり合うための糸口は
  どうやっても見つかりそうにない
  鳥篭の中の九官鳥は
  僕よりとってもうまく嘘をつくから
  今日も飛び切り上等の餌をあげて
  僕はちょっとずるい期待をする
  きっと今日も僕たちは
  数えきれないほどの話をして
  おなかが捩れるほどに笑いながら
  最後には九官鳥に喋らせて
  恥ずかしそうに見つめ合って
  からっぽの溜め息してさよならなんだ

 非常にわかりやすい詩である。これなら誕生日の贈物に、という人がたくさんいるか、というと、尾世川さんの詩集が誕生日の贈物になってたくさん売れたという話は聞いていない。なにも尾世川さんを非難しているのではない。ひとつには流通の問題がある。それは商業ペースに乗って流通しているという自負を背景にした鈴木志郎康(詩人)が揶揄して言うように「郵便配達詩集」で、「詩人」と呼ばれている人の詩集は友人知人に贈っておしまいである。けっして書店には並ばない。僕は若い頃、鈴木志郎康のファンだったが、ファンをやめた。
 そんなことはどうでもよくて、尾世川さんの詩のことだが「話したいことはいくらでもあるのだけれども 僕がどういう人間で 君がどういう人間なのか わかり合うための糸口は どうやっても見つかりそうにない」というところがポイントで、ここが力の見せ所で、僕などついつい力んでこ難しくこねくりまわすのが常だが、尾世川さんは何の技巧もこらさずに、思いのたけをひっそりと書く。このひっそりさが尾世川さんの特長でもある。僕は百人の詩人には百の想像力があり、百人の読者には百の詩があるべきだと思っている。尾世川さんの詩はたぶん、現代詩という袋小路を知らない読者には、言葉による率直な心情の吐露として受け入れてもらえるだろう。そこのところが尾世川さんが、詩集が「花や画集やCDの代わりに贈物になってほしい」と願うところだと思う。



46)伏せ字のある詩

 全体主義が一国を支配するようになると、反対勢力は正当な抗議ができなくなる。言論が、思想および武力に押さえこまれ精神的肉体的虐待を受ける。いま現在、世界中の国でどれだけの人の言論が押さえつけられているのか、無学な僕にはわからない。日本でも先の大戦で負けるまで言論の自由が侵されていた。たとえば詩や小説においては、全体主義者に都合の悪いところは伏せ字という処理を施された。高知県関係で言えば、詩人・槙村浩の初出の作品など伏せ字だらけで、詩人・槙村浩の時代の痛みが切実と伝わってくる。時代はいま、1996年・平成8年、民主主義、表現の自由の時代である。だから僕らの表現はまったく自由である、かというとそうでもないらしい。ふたつの検閲がある、と僕は思っている。ひとつは時代と社会慣習によるもの、もうひとつは自己検閲。前者は個々の責任において闘えばいいのだから問題はないのだが、後者の場合、自分が気付かずにいたり、指摘されてもその重大さがわからない場合や、それがわかっても自己の保身のため、あるいは本来は唾棄すべき権威や名誉といった幻影に執着するがために気付かぬふりをしている人がいる。詩の世界でもざらにそういう人がいる。詩を書くという行為は、以前にも書いたが、社会や組織や制度や、自分自身への異義申し立てである。それは個の責任としてたったひとりで闘うべきである。詩人と呼称される人々の群れ集う最低条件は「同人雑誌」である。本来は拒否すべきことの第一に挙げるべき「肩書」を欲しがる人のなんと多いことか。そういう人たちの作品を読むと朱筆で伏せ字を付けたくなる。
 そんな僕の思いとはまったく違うのだが、
宮田昭隆さん(岡山県)の詩集『模造の添景』(ブロス・刊)から「伏せ字のあるコラージュ」を引用する。

  
暗い階段教室の底で
  激しく舞踏しているものたち あるいは
  そこは場末の旧い劇場かもしれない
    《完熟した自我》についての
    退屈な講義のつづいている課程で
    《〇〇は集団的狂気であり……》
    《狂気は個人的〇〇である……》

  エレベーターの下降してゆく音が
  エレベーターの上昇する音に
  あれは巻揚機(ウインチ)というのでしょうか
  わたしは〇〇を捜しているのです
  わたしは入口を塞いでしまったのです
    蒸し暑い植民地の〇〇の一室で
    俘虜の少尉は卑屈な作り笑いを浮かべ換気孔に通
    じる通気孔
    通気孔に通じている換気孔を
    的確に指差してくれました

  モデルの裸婦になることは
  〇〇になることでしょうか……!
    《三〇年代の都市風俗について述べよ》
    三〇年代とは《一九三〇年代……?》それとも
    《セウワ三〇年代……?》
  裸電球の温かい光のなかで
  その男は 自分が〇〇であることを自覚した
    《卑屈さ》の取り扱いについて
    《対人恐怖症》の効用について
    《牛乳瓶の底に固着した昆虫》の〇〇ニツイテ…

 あの日 女は確かに言い切った
 《魔性の領域に属する〇〇が振り向いたときマジマジとその貌を見た・・・》と……
   冬枯れの木の下みち 〇〇の
   亡霊たちがみちびく闇のかなたに
   ロートレック伯爵の股下が伸びる

 
 ここにあるのは日常的言語を漫然と使って詩を書くことへの疑問形がある。日常という奇妙に安定した錯誤の時間から生み出された非日常的言語が、僕らの不安と日常との微細なズレから生じた硬質な想像力の成果である。宮田さんの伏せ字は、本来もっとも自我が試されるべきである日常を錯誤して詩を書いている人たちへの疑問符である。



47)色彩について

 「色彩」をテーマにした一冊の詩集がある。
鈴木 漠さん(兵庫県)の詩集『色彩論』(書肆季節社・刊)は十九色の色が鈴木さんの豊かな想像力で「色」が「色彩」として復活、復権、再生されている。僕らが詩を書くという行為を選び取る理由のひとつに、僕らが無意識のうちに捨て去っているものを取り戻そうという切実な思いがこめられている。鈴木さんは言葉が本来持っているはずの色彩ということについて、考えようじゃないかと言っている。色彩のなかに人間としての本質的な存在理由を探している。
 鈴木さんの詩を引用する前に鈴木さんがあとがきで引用している画家パウル・クレーの言葉を引用する。
 「…色彩は私を捉えた。自分の方から探し求めるまでもなく、色彩が私を捉えたのだ、永遠に。いまや、私と色彩は一体だ。私は色彩画家(パントル)なのだ」
 鈴木さん自身言っているようにこのような至福の瞬間もしくは啓示など、僕ら凡庸な人間には訪れるべくもないが、その至福への困難な過程をこの詩集は見せてくれる。

 
 寂とした中に賑わいがあるのだ
  初御空(みそら)あるいは初景色
  わけても初茜という言葉はよい
  やがて空は染まるであろう
  古代色にしてモダンなそフ色調に
  きのうに続く今日 のはずだが
  何かが改まろうとしている
  人々は待っているのだ
  見えない巨きな手によって
  目前のページが繰られるのを

  淑気(しゅくき)という言葉はよい
  凛として胸に鳴るものがあるだろう
  人々は日の出を待っているが
  たぶん自らは気付かぬままに
  歴史の証人たらんとしているのだ

              (茜・全編)

  
雲間から差す日の光が
  街と港のたたずまいを
  人々の日々の思いを
  縞模様に染め上げる

  沖はいちだんと輝いて
  その藍色を濃くするだろう
  扇のように 港は
  開かれたり閉じられたり
  そのたびに賑わしく
  船が出入りする

  たぶん街は衣装なのだ
  祭の日の晴れ着や
  くつろいだ午後のふだん着
  移り変わる心に合わせて
  人々は
  街の風景を着るのだ

              (藍・全編)

 ガストン・バシュラールを持ち出すまでもなく、たとえば「水」には、精神的領域と物質的領域がある。フランシス・ポンジュを持ち出すまでもなく、たとえば「樹木」にも精神的領域と物質的領域がある。当然「色彩」にも精神的領域と物質的領域がある。鈴木さんもまた、言葉による「色彩」への挑戦を試みている。



48)雨のあがった街で

 何冊か詩集を戴いた
福原恒雄さん(神奈川県・1935年生)の詩は、非常におもしろいテーマを扱っているのだが、そのテーマと一緒になって自分も駆け出してしまっている、という印象が強かった。駆け出した分、僕には福原さんの細部が見えず、福原さんが必死の形相で走っていることしかわからない。(もっとも、最近の詩はディテールにこだわるがために、大胆な語り口や図太い肉体の力などが忘れられているきらいはあるのだが)。
 そういう福原さんの手法はそれなりに理解はしていたが、言葉が、福原さんに使われた言葉が、そこで使われた以上の世界を展開してくれないことに少々不満を感じていた。昨年戴いた詩集
『生きもの叙説』(ワニ・プロダクション刊)もまた福原さんの饒舌な世界が拡がっているのだが、何編かの詩はいつもの福原さんの詩とは異なる方法で書かれていて、それをどう評価するかは意見の別れるところかも知れないが、僕には興味深いものだった。その中の一編、モノトーンの言葉が屈折しながら居場所を間違えたように何かに途惑っているかのような詩「ゆで卵」を引用する。

 
 暗いなあ
  剥いている手が止まった
  不粋なにわか雨だ
  青白いカーブが
  とぎれて
  まごつく

  こーひーショップでの沈黙
  ひとりのひる
  滑る重量
  跳ぶ都合
  こんな時におもいだしてしまったものは
  いっしょくたに
  皿に
  並べる

  食べられてしまった
  木の飢えや虫の亡骸やすぐに醗酵する土たちの
  なつかしいさむさも
  皿の
  影に

  がくっと 震え
  吉日を
  失笑する
  眼に
  青白いカーブが
  ふたたび
  弓なりに
  よいしょと
  雨あしがゆるんできたみたいなのだ
  やむかもしれない
  やまないかもしれない

 慌ただしく時間を消費するだけの日常のなかでほんの一瞬、まるで偶然かのように静謐で無意味な時間を持つことがある。
 喫茶店での午後、ゆで卵を剥いていると、窓の外をにわか雨が走った。それをぼんやり見ていると些細なことが思いだされてくる。思いだしたものを皿にのせて眺めていると、僕らが永い時間をかけて自らの手で壊しつづけているものの影が皿の影と重なってしまう。窓の外では雨足がゆるんできたみたいだが、僕の心のなかの「なつかしいさむさ」のような雨は「やむかもしれない やまないかもしれない」。
 ごく稀に、至福な錯誤のように「世界の輪郭」を見いだすことがある。にわか雨の去ったあと、空気の汚れが取り払われて町中の建物がくっきりと見える瞬間がある。そんな時「世界」を構成している分子や微粒子や微生物の姿がくっきりと目に飛び込んできて、「ああ世界はこういうもので構成されているのか」と奇妙な感動を覚えながら立ちつくすことがある。「世界」を構成しているものの輪郭がくっきり見えるという、至福でもあり錯誤でもある瞬間がある。しかしそんな瞬間も永くはつづかない。クラクションや罵声が「世界の輪郭」を粉々にして、赤信号の真っ只中に立ちすくんでいる自分を見つけて、ふたたび日常の彼方にまぎれこんでしまう。
 福原さんは雨のあがった街で何を見るのだろう。このモノトーンの言葉のゆくえに何があるのか、僕はそれを知りたい。



49)水惑星の北半球のまちで

 今日でこの連載も終わりである。辛抱強く付き合ってくださった方々に感謝したい。
 さまざまな側面を持った現在進行形の現代詩を60編あまり紹介させてもらったが、こんなことで現代詩の読者を大量に獲得しようなどとは思わないが、一人でも現代詩に興味を持ってくれる人が増えてくれれば望外の喜びである。
 人間たかだか60年か70年の命である。無理をして困難で苦渋の一生を送る必要もない。喜びに溢れ快い一生を送れるならばそれにこしたことはない。しかし「たかだか60年か70年の命」の不思議について考えてみることも悪いことではない。「人はなぜ生きているのか」そんな単純な謎についてすこし立ち止まってみるのも悪いことではない。僕らが生きているということはとても不思議なことの積み重ねである。その不思議なことの一つ一つに自分の言葉で自分なりの答えを出していくことの楽しさを知るのも悪いことではない。この連載のはじめのほうでも書いたが、宇宙という壮大な謎のなかで地球のように文明を持つ生命体の存在する惑星は無に等しいというのが生物学者のおおよその意見である。僕らヒトという種は100億年とも150億年ともいわれる壮大な宇宙という時間のなかで限りなく無に近い存在である。この「限りなく無に近い存在」の意味を考えることは頭の痛いことだし、明晰な答えの出るものでもない。だからといってこの謎の何も知らずに死んでいくのはすこし口惜しい。
 地球という水惑星の北半球にある日本というささやかな国で僕らは、地球の意味や、ヒトという種の意味や、死ぬために生きているということの意味を考えたり、考えなかったりして生きている。
 
原田勇男さん(宮城県・1937年生)の詩集『水惑星の北半球のまちで』(書肆みずき・刊)から「水惑星の北半球のまちで」を引用してこの連載を終わりにしたい。

  
今こうして水惑星の北半球のまちで
  あたらしい年の風に吹かれているのが
  とても不思議でならないのだ
  どこの国からきたのか知らないし
  どこへ帰るのかも知らされていない

  こどものころの謎は揺籃の茂みにまぎれた 生きると
   は夢の皮を一枚ずつ剥ぐことか
  芒洋とした歳月の渚をここまで歩いてきた あたらし
   い年の光にまばたきしながら
  垂直に輝く未知の時にあいさつをおくる

  ことしもこの地上で
  好きな木々と交感できるのは幸せだ
  タイの国ではタマリンドの木が
  こどもたちの青い未来を
  たわわに繁らせているだろうか
 
  スペインとフランスの国境に近く
  地図にもない幻の国バスクでは
  ゲルニカの樫の木が自由を求めて 
  今日もはげしくゆれているだろうか

  そしてこのうつくしい北国のまちでは
  りんごの頬のこどもたちが
  夢のフィールドでサッカーボールを蹴る
  はじける歓声や陽気なホイッスルが響き合い
  あたらしい年の汗が湯気を立てている

  定禅寺通のけやき並木が冬空に問いかける 季節の魔
   法はことしもきっとめぐってくるね
  今は凍結した時間の甕に耐えているが
  根の深みから枝先までほとばしる春の樹液 こうして
   五月のみずみずしい樹木が蘇る
  だから人も不遇の日々を呪ってはいけない
  神社の参道を登る初詣での人びとは
  どんな熱い願いを秘めているのだろう
  手を合わせて祈るしぐさに邪気はない
  さまざまな思いが人びとの背にこもっている
  それは少しでも希望のかたちに似ているか
  今こうして水惑星の北半球のまちで 
 青葉城址から魅惑的な都市を見下ろす
  この空の下で人びとは固有の深い時を生きる
  ことしこそ仕事も愛も熱く稔るように
  すべての人びとが幸せであるように





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