ロブ=グリエが死んだことからあれこれ思い出したこと     

                     SPACE  no.79  2008.5

 

 

 

 2月18日、アラン・ロブ=グリエが死去、と新聞の片隅に載っていた。85歳。心臓疾患とのこと。

 フランスのアルバネル文化・通信相が「文学における真の革命家だった」と最大級の弔文を出していて、すこしびっくりした。

 たしかに、言語を通じての表現形式という保守的な方法論から逃れ得ない小説という分野で、ロブ=グリエをはじめル・クレジオ、ナタリー・サロート、ミッシェル・ビュトールら「ヌーヴォー・ロマン」の人たちは、物語としての小説スタイルは乗り越えられなければならない、と試みつづけてきた。

 そのことは凄いとおもうし、同時代的に彼らの仕事に接してこれたぼくは運が良かったとおもう。

 彼らに魅かれながらも、自分の中で徹底することなく、遠目にやり過ごして歳を重ねてしまった。そのことがすこし残念だ、とおもっているぼくと、それはそれでまた「一局」だとおもっているぼくがいる。

 

 なお、「ヌーヴォー・ロマン」といっても、そういう運動体があったわけではなく、ロブ=グリエはじめ前述の作家たちが個別に新しい小説に挑戦していた総体を言っているのだが、「ヌーヴォー・ロマン」という言い方は、ロブ=グリエの著書『新しい小説のために』(新潮社、平岡篤頼・訳、1967年)という評論のタイトルからきている。そのなかでロブ=グリエは、

 「物語形式のあらゆる技術的要素─単純過去形と三人称の使用、年代記的展開順序の無条件の採用、線状の筋立て、情念の規則的な屈折、それぞれのエピソードの終局への指向、等々─はすべて、安定した、脈絡のとれた、連続的な、包括的な、すみずみまで解読可能な世界の像をおしつけることを目的としていた。世界の理解可能性は、疑義さえさしはさまれなかったから、物語るということは、なんら問題を生じなかった。小説の文章(エクリチュール)は潔白であることができた。ところが、フローベール以後、すべてがゆらぎはじめる。その後百年たって、いまではその体系全体が思い出にすぎなくなっている。この思い出、この死んでしまった体系に、なにがなんでも小説をしばりつけておこうというわけなのである。」と言っている。

 その意味では「ヌーヴォー・ロマン」の先導的役割を果たしたといえるだろうし、アルバネル文化・通信相の最大級の弔文もおおげさではないともいえるのだが。

 

 J・ブロック=ミシェルは『ヌヴォー・ロマン論』(紀伊國屋書店、島利雄、松崎芳隆・訳、1970年、第6刷)のなかで、

 「これから語る文学について、まずはじめにいわなければならないのは、この文学が大衆におもねらず、ほかの小説によく見られるたぐいの満足感を読者にもたらさない、ということである。すなわち「美しい文章の」書物でも、「熱狂させる」物語でもないし、「生き生きした」作中人物も、「本当らしい」冒険もない。ヌヴォー・ロマンの作家が提出するものは、その傾向からいうと、たいがいは廃人同然の作中人物が、発狂者や精神薄弱者や偏執者のように語る繰り言だらけの独り言であるか(たとえばベケット)、または世界の表面だけをひたすら記述した冷ややかなイメージであって(たとえばロブ=グリエ)、この世界に群がる人間存在も、しゃべらないか、しゃべってもたわ言をいっている」

 と、書いていた。20歳だった僕はすこし顔が赤らんだ。今までの「小説」とはどこか違うぞ、と。

 

 だから、ぼくの20代はル・クレジオやロブ=グリエの模倣から始まった。彼らの書く「別物の小説」に魅せられてしまった。

 彼らの本を見つけると買い集めた。その当時は高知の書店にも彼らの小説が平然と並べられていたので、幸運にもぼくは同時代的に彼らの小説を読むことができた。

 

 ロブ=グリエの第一作は『消しゴム』(河出書房新社・中村真一郎訳・70年初版)という小説で、銃口から発射された弾丸が24時間かけて、それを撃った男に命中する、という物語だが、通常のストーリーを楽しんだり、登場人物の心理を推理したり、といったそれまでの小説形式を踏襲していない。

 その小説方法についてロラン・バルト(記号学者・思想家)はこう言っていた。

 「ロブ=グリエの試みは、古典的小説家の意味のある実体でもって見つめるのを教えるのではなく、眼に見える光景以外の他の地平線もなく、視力以外の他の力も持たずに、都市のなかを歩く男の眼で持って見ることを教えるのである」

 そういうふうに、ロブ=グリエの小説は、バルザックなど十九世紀小説が完成させると同時に固定された「筋や人物」の扱い方に反対して、作品はそれ自身で意味を持ち、作品そのものを目的としていると主張していた。(『消しゴム』の解説・三輪秀彦)

 

 ロブ=グリエは「われわれの小説は人物を創造することも、物語を語ることも目的としない」と言っていたし、

 ル・クレジオは「どのように存在したいのか判断するために書くのです」と言っていた。

 

 そんな彼らにイカレたぼくは、高知で出している小説を中心とした同人雑誌に、彼らの模倣をしながら小説を書いて20代が終わった。

 たとえばこんなふうに。

 

 名付けたといって、あるいは名付けられたといって喜んではいけない。名付けられぬ数々の物質の反抗があるからだ。名付けられたものは名付けたものに組み入れられ、名付けられぬものからの手厳しい反抗を受けるだろう。

 あなたはとまどい、不思議に思うだろう。そう、あなたは名付けて、すっかり安心しきっているのだから。その安心こそすべての闇を生誕さすものだ。あなたの便利さや安心さのためにそれらの名前があるとあなたは考えちがいをしている。元々、それらは何もなかったのだ。だから我慢することさえできずに、それらをただ眺めているしかない。するとそれらはますます膨脹し、それら自身の要求をあなたに迫るだろう。そのとき、あなたはどのように対処するのか。そう、それがあなたのやり方だ。《もう名付けてるじゃないの》あなたはあなたの視界であなたの判断でそれらをそのように片付けてしまう。それが世界ではもっとも常識的なやり方だし、無難なやり方だ。だが、それらも馬鹿ではない。あなたの気付かぬところで着々と反抗の準備を整えている。永い年月が経過されるだろう。闇は闇を呼び、地下鉄の乗換駅で降りるかも知れない。

 

 24歳の時に書いた『一九七三年・夏』というタイトルの小説の部分で、〈あなた〉という二人称を主人公にして、物語からの逸脱を試みながら「小説」という形で何かできないか、とそんなことをおもいながら書きつづけた20代だった。(この作品はベケットやビュトールを模倣している)

 もっとも、ただの模倣だけでは芸がないとおもい、小説の中に主人公の部屋の見取り図を書き入れたり、香水のラベルを表示したり、あるいは、1ページを上下二段に区分して、上段には会話の文章、下段には風景描写、などといろいろ試みたりしていた。

 いまからおもえば小手先だけの小賢しさではあるのだが、今までにはない何かを、ということだっただろう。

 漫然と小説らしい小説を書くのではなく、小説という枠組みの中で何ができるか。自分らしいオリジナルをどう出していけるか。言葉とどう格闘すれば真正な自分を打ち出していけるか。そんなことを考えていた20代だった。

 

 20代後半から30代はじめは、暗黒舞踏出身の男たちと立ち上げたアマチュア劇団の座付き作家になって台本を書いた。主宰者が暗黒舞踏出身だったので、ぼくが何をどう書いても「斬新」ではなかった。暗黒舞踏出身の男に「言葉」がどう立ち向かえたのだろうか。いまだにわからないことではあるが。

 それに、ぼくのほうは初めての体験だったので「演劇」という制度の中で書かされていたような気がする。

 それでも自分なりに工夫しながら、自分らしいオリジナルなものを、と試しながら書いていた。

 第一回公演の第一幕は、日常の挨拶語だけのセリフを書いた。「お元気ですか」「いいお天気で」「それは結構で」「さようなら」そんなセリフを延々と書いた。演出のおかげで美しい一場面になった、と心ひそかにおもっている。

 

 劇団は、それぞれの個性のために空中分解した。

 新劇を志していた人たちから、新しい劇団を立ち上げるから、と誘われたが、いまさら「新劇」でもないだろう、と演劇からは手を引いた。

 その後は小説に戻らず、詩を書いた。なぜ、小説に戻らなかったのだろう。自分でもよく分からない。

 

 30代、40代といろんな本を読んで、いろんなことを学んだ。

 詩はけっして上手にはならなかったが。

 

 言語学者のソシュールは、ぼくたちが語っている言葉は厳密に言えば「私」そのものではなく、ぼくたちが習得した言語規則であり、習得した語彙であり、聞いたことのある言い回しである、と言っている。

 精神分析医のジャック・ラカンも、ぼくたちが語るものの大部分は他人の言葉である、と言っている。

 孔子は「述而不作 信而好古」─述べて作らず、信じて古を好む─と言っている。自分が話すことは私のオリジナルではない、古くからのことを学び、それを述べているだけだ、と言っている。

 

 そんな本を読んでいると、どこにもオリジナリティというものが見えてこなくなる。ぼくが書くことはすでに書かれたことである。手を変え品を変えてはいるが、すでに人びとの口にのぼっているものである。

 若いころぼくが考えていたオリジナリティとは、ただ単に言葉の配列の問題だけだったのだろうか、と考えてみたりもした。

 オリジナリティとは単に言葉の組み合わせの違いでしかないのではなかったのか、と。

 ぼくが詩や小説で書いてきた言葉はすでに誰かの使い古したもので、オリジナリティというのは幻想でしかない、というのだろうか。

 確かにそうかもしれない。ぼくは若いころ、先に書いたように、ル・クレジオやロブ=グリエを模倣した小説を書いていた。

 そのなかで、自分では自分なりにさまざまな試みをし、自分なりのオリジナリティを、とおもって試みたつもりだったが、すでにそれらの言葉は晒されてしまっていたのかもしれない。

 模倣をしながら、模倣の先に見えてくる、模倣を越えた言葉の組み合わせの斬新さに身を焦がしていただけなのかもしれない。

 それは「書き方」だけの問題であったのかもしれない。外部からやってくる言葉をどう順序だてるのか、だけが問題にされていたことに気付いていなかった、ということだろうか。

 

 どこかで、ある詩人が「私は先行の詩人の真似をしたことがない、あの作品はそうだと思ったこともない、真似をするとか、なぞるとか、そんなことをするぐらいなら詩は書かなければよいと思う」というようなことを書いていた。

 それを言ったらおしまいさ、とおもった。自分は盗作や盗用に関わっていない、というような意味あいで、高揚した気分で言ったかもしれないが、そう言いきってしまったら、自分の言葉で自分が身動きならない状態に陥ってしまうことになりそうだ、とおもった。

 自分の書いた言葉が他人から切り離されているなんてことはけっしてない。

 ぼくたちは赤ん坊の時代から母親や父親の口まねをしてきたように、誰かの口まねを習得して、その上に立って言葉を使っているにすぎない。

 詩の言葉が哲学用語のように日常語から切り離されているのなら話は別だが、詩の言葉は常に、日常語の意味のなかでその裸体を晒しだしている。

 メタファという巧妙さが優先しているとしても、日常語の延長であることに変わりはない。(日常語という言い方に違和を感じるなら、日本語と言い直してもいいが)

 先行する詩人の書き方を真似、心を真似、世界とはこうなのか、いや、もしかしたら、こうかもしれない。他者とは誰なのか。自我とは誰のことなのか。先行する詩人たちの道のりをたどりながら、自分なりの場所にたどり着こうとしているだけのことではないのか。

 だから、オリジナリティとは声高に主張するものではなく、心ひそかにみずからの懐に飼っていればいい、ぐらいのものだろう、とおもっている。

 模倣の先に、模倣では掬いきれなかった何かを表現したとすれば、そっと、それを、自分にだけは伝えておこう、「それがぼくのオリジナルだ」と。

 あるいは、オリジナリティが問題ではなく、自分が何を選んで、何を杖に生きているのか、ということだけが現前しているだけのことかもしれない。

 それとも、白日のもとに晒された言語の前で立ち往生しながらも、他者によってかろうじて生かされている、と言ってもいいだろうか。

 いや、他者との関係性のなかにオリジナリティを見つける、と言ってもいいかもしれない。いや、それもなんだか使い古されている言い方のような気がする。

 そうこう考えていると、オリジナリティは深い闇の底に閉じ込められた「奇跡の柩」のようだ。

 

 話は変わるが、ぼくは俳句≠フ良さがよくわからない人間である。

 ロラン・バルトに言わせると「俳句の読解の企ては、言語を宙吊りにすることであって、言語を喚起することではない」そうだ。

 日本見聞録である『表徴の帝国』(新潮社、宗左近・訳)のなかでバルトは次のように言っている。

 「俳句においては、言語に見切りをつけるということが、わたしたち西洋人の思い描くこともできない重要な関心事なのである。意味が溶けでることがない、内在化することがない、にじみでることがない、はずれでることがない、暗喩の無限、象徴の気圏のなかにさまよいでることがない、こういうことを表現するために、たいせつなのは簡潔であること(つまり意味されるものの濃密を減少させることなしに、意味するものを要約すること)ではなく、逆にその意味の根源そのものに働きかけることなのである。俳句の簡潔は形体のためのものではない。俳句は、短い形式に還元された豊かな思念ではなくて、一挙にその正当な形をとった短い終局なのである」

 なるほど、と思ったりする。

 ぼくは言葉を積み重ねることで「言葉自身の欲情」と同衾したいという欲望にとらわれているのだろうか。修辞から逃れられないでいるのだろうか。自分のことは耳くそほどにもわからないのだが、そう考えると、俳句の良さがわからない理由の一端がよくわかる、ような気がしてくる。

 ぼくは、ぼく自信を削ぎ落としていないのだ。

 

 ここに一句ある。

 

 古寺に斧こだまする寒さかな

 

 この句をひたすら玩味し、意味が剥落するまでそれを噛みつづけるとこの句はどうなってしまうのだろう。

 普通に読んでいけば、ここはたぶん、山深い古寺だろう。そこに立っていると、山の方から木を倒す斧の音が冬の清明な空気をとおしてこだましてくる。その音が、冬の寒さを増幅して、作者の無常感や寂寞感、虚無感、孤独感が横たわっている。

 あるいは反対に、冬の寒さとこだまを楽しんでいる作者の立ち姿も見えてきたりもするが、この句は、冬の寒さを古寺と斧のこだまで表現している、と言っていいだろう。

 それ以上の解釈は読者の領分になるだろう。

 では、次の句はどうだろう。

 

 一ところ残る青空吹雪くなり

 

 こういう矛盾した表現を対比させることが俳句としていいのはどうかはわからないし、俳句に慣れ親しんでいる人たちがこの句をどう評価するのか、見当もつかないが、ぼくがふだん慣れ親しんでいる現代詩の一行と考えるとなんとなくおもしろい一行だ。

 満天の雪空のなか、一ところだけ青空が残っている。しかしそこは見かけの青空とは裏腹に、猛烈に吹雪いている、という心象風景が読みとれる。逆転した風景がある。

 作者の屈折した心情とかみあった読者のみがこの句を鑑賞できそうな気もする。

 が、バルトは「たいせつなのは、言語に〈見切りをつける〉ことなのであり、たえず象徴が執念深く事物にとってかわろうとする働きを独特の旋回運動のなかにまきこんで、たえず表現へと導いてしまう言葉の独楽を停止させることなのである」と言っているから、こういう屈折した心象風景を読みとるのはまずいような気がする。

 句の優劣は別にして、この二句は共に作者がいて、読者がいて、作品が成り立っている、と普通の俳句ならそうなるはずである。

 オリジナリティを重視する人なら前句よりも後句のほうにオリジナリティを感じるかもしれない。意外性がオリジナリティと混同される場合もあるのだから。

 

 この二句は黒崎政男(哲学者)の著書『哲学者はアンドロイドの夢を見たか』(哲学書房)に出てくる。

 この二句はBASIC(プログラミング言語の分類でコンピュータに行わせる作業の、手順を記述することに重きを置いた言語)での簡単なプログラムが、五七五を組み合わせて作句したものだそうだ。だから、今までの意味での作者はいない。作者はコンピュータのプログラマーで、それも、プログラマーの意図しない「偶然」が作者である。厳密に言えばこの句には「作者」がいない。

 オリジナリティを主張しようにも主張する作者が存在しないのだ。

 このことについて黒崎政男は次のように、至極まっとうなことを言っていて、はぐらかされてしまうのだが。

 「読み手はこれらの句の背後に(ゝゝゝゝゝゝゝゝゝ)(意識するしないにかかわらず)虚無点としての作者(ゝゝゝゝゝゝゝゝゝ)を想定しており、そこから読みとってくるものは実は読み手自身の心情や思想にほかならないのだ。実作者の存在する俳句においても実は同じことが起こっている。その意味で、作者は読み手なのだ(傍点は作者)」

 もっともこの本は「人工知能」がテーマで、「知能というものはある存在者(人間やコンピュータ)そのものに内属している性質なのか(知能の実体論的把握)、それとも知能は他の存在者とのかかわりの場において成立する事態(知能の関係論的把握)なのだろうか」を考察していて、楽しい一冊だったが、ここでは触れない。

 

 コンピュータ、あるいはインターネットといえば、内田(たつる)(大学教授・思想家)がロラン・バルトの「テクストはさまざまな文化的出自をもつ多様なエクリチュールによって構成されている。そのエクリチュールたちは対話をかわし、模倣し合い、いがみ合う。しかし、この多様性が収斂する場がある。その場とは、これまで信じられてきたように作者ではない。読者である。(略)テクストの統一性はその起源ではなく、その宛先のうちにある。(略)読者の誕生は作者の死によって贖わなければならない」(ロラン・バルト著『作者の死』)という言葉を引用して、「このことはそのままインターネット・テクストに当てはめることができる」と言っている。(『寝ながら学べる構造主義』(文春新書))

 内田樹はこの本の中で、リナックスOSというオープンソースのOS(リーナス・トーバルズというフィンランド人が開発したOS。彼は著作権を設定せず、誰でも改造できるOSとして公開した。一方、ウインドウズというOSを開発して、著作権を設定したビル・ゲイツは小さな国の国家予算なみの所得を得ている)を引き合いに出して、「作家やアーティストたちが、コピーライトを行使して得られる金銭的リターンよりも、自分のアイデアや創意工夫や知見が全世界の人々に共有され享受されているという事実のうちに深い満足を見出すようになる、という作品のあり方のほうに惹かれるものを感じる」と語っていて、それが、「快楽を求めたバルトの姿勢を受け継ぐ考え方のように思われる」と、オリジナリティなんてみみっちいことを言うんじゃないよ、と言っている。 

 実際のところ、インターネット上に貼り付けられたテクストの場合、無法状態になっている感がある。

 内田樹の言っていることもわからないではない。ぼくなんか、無名で、たいした文章も書いていないので、「自分のアイデアや創意工夫や知見が全世界の人々に共有され享受される」ということなんかおこりえないだろうが、そうなったとしたら、それはそれで楽しいことだろう。

 ぼくに欠如していたものを誰かが補ってくれて、新たな展開が待っている、なんてことはすこしワクワクするが、一方で、欠如は欠如のままにしておけばいい、と「欠如」を負と見なさない生き方も大事じゃないか、とおもったりする。このへんが優柔不断なところだ。

 もっとも、古今東西、著名な哲学者や思想家の知見は引用に引用を重ねられ、全世界の人々に共有され享受されている。既存の思索に創意工夫が加えられ、新たな展開がくり返されている。

 

 もうすこしバルトのことに触れると、バルトは「作者の死」ということを言い、「テクスト論」を展開している。

 バルトは、それまでの小説の批評家たちが、作者のバックボーン、幼児体験や性的嗜好、宗教性、党派性、家族環境などを通して作品を読解し、作品の「初期条件」を探り当てるという近代的な批評方法──「作品」の意味を「作者」の意図や主題、時代性、作者の生涯、などへ還元することで「作品」を読み解くという方法を退け、「テクストが生成するプロセスにはそもそも『初期条件』は存在しない」と主張し、「作品」と「作者」の関係を遮断し、「作品」を書かれたものの単独性、あるいは、書かれたものの相互の関係性の中において、考察しようした。

 軸足を「作者」から「作品」に移そう、とバルトは言っている。

 大事なのは作者の思惑ではない。書かれたものが織物を織りこむように絡み合いながら、みずからを生成し、みずからを織り上げていくことが大切だ、と。「テクスト」とは「織り上げられたもの」のことだから、と。

 

 ロブ=グリエからは遠く離れてしまったが、2月18日、アラン・ロブ=グリエが死んだ。