7月17日、
国吉晶子展(ギャラリーファウスト)を見る。
 「花」「ice」「border」と題した油彩が9点。
 この若い人(1979年生)の油彩を昨年初めて見せていただいたとき、その迫力にびっくりした記憶がある。
 その初めての記憶をぼくは次のように書き残した。
 
「そこにある“美しさ” が“美しさ” をはみ出て、自在さを獲得し、その結果“美しさ”が毀れたとしてもそれを後悔することはない、という気迫ある油彩だった」
 今回の印象も同じだった。気迫ある美しさが会場に張りつめていた。
 いい展覧会というものは、一言も声が出ないものだ。作者の思いの襞に耳を貸そうとすると、声など出ようはずもない。作者の気迫に圧倒されれば、声など出ようはずもない。
 ただた作品の前に立ちすくみ、作品の悲鳴と、悦楽の声を聞き留め、自らの生の貧しさを思い知ることでしかない。
 今回も前回同様、白の美しさが目立っていた。
 ギャラリー全体に展開されていたのは、「人の心のborder」が、「人の心の氷点」が、国吉さんの手で明らかにされた瞬間を追体験することだが、ほんとうはそのむこうで無防備的に展開されはじめる「新たな、人の心のborderや氷点」が、観客に転移していく過程が用意されているのだが、そのことの悲劇性に気づく者は少ない。気づかれなかった「新たな人の心のborderや氷点」は整然とした秩序を持ち得ないまま、誰かによって、破棄される。
 ひと月にどれほどの展覧会を見に行くのか記録を取ったことがないのでわからないが、それらの展覧会のほとんどが、“自前の美しさ”をあっけらかんと展示しているだけで、壁面に収まりきらない気迫が迫ってくることはない。
 もっとも、“気迫”を求めるのはぼくの勝手で、美術に関わっている人すべてが自らを壊しても悔いない闘いを日夜繰り広げているわけでもないだろうし、“自前の美しさ”すら漂わせていない作品もあるのだから、“自前の美しさ”を良しとしなければならないだろうし、ぼくにしたって、自らの生死を賭けた作品を毎回残しているわけでもない。日々安穏と、予定調和を良しとした愚かさを繰り返しているだけなのだから。
 たぶん、国吉さんだって、制作している作品すべてが、自らの心と肉体を賭けた作品だといっているわけでもないだろうが、国吉さんの作品はいつも(といっても、まだ2回目だが)、ぼくの目には、“美しさ”“美しさ”として安定することは愚かなことだ、ということを思い知らせてくれる気迫が漂っている。
 それらはたぶん、そこにあるだけの美しさ、を国吉さん自身が潔しとしていない結果だろうとおもう。それは、自分の存在をも潔しとしていないことに繋がっている、とおもうのだが、国吉さんはどうおもっているのだろう。






 高知市文化プラザ「かるぽーと」『OVERDRIVE EXHIBITION─新しい世代による造形表現─』で
石井葉子さんの「アナタとワタシのニンシキソウチ 2003年度型・ヨ・」と題するインスタレーションを見てきた。
 石井さんの作品は幾つか見ているのだが、ぼくが彼女の作品に惹かれるのは、自分の存在を怖れていない(ほんとうは怖れているのかもしれないが)、と思わせるような自己の提出の仕方だ。今度の作品も、堂々としたものだ。存在感で他を圧倒していた。
 私事で申し訳ないが、ぼくは10代の後半から20代の前半にかけて『自分自身のための広告』とか『個人的なるもの』といった誌名の個人雑誌を精力的に発行していた。その誌名の付け方には圧倒的な自我だけがあった。
 たとえ、詩は「乖離する自我」によって書かれ、「私のなかの他者」によって自立する、ものだということを認識しつつも、ひたすら、圧倒的な自我が世界を認識し凌駕する欲望、に身を焦がしていた。。
 石井さんがそうだ、とは言わないし、また、石井さんのことを爪の先ほどにも知らないのだが、石井さんの作品に接するたび、圧倒的な「石井葉子」に出会ってしまう。その出会い方は、年老いたぼくの、世界への婉曲した方法論を無言のうちに批判している、とさえ思える。しかし、いまさら、直截的な自己の放出も恥ずかしいので、その批判は黙って受けようとは思っているが、堂々とした石井さんの作品の前に立つと、その力業
(ちからわざ)にただただ感心するしかない。そういう意味では、石井さんの作品の前では、こしゃくな思考などなにほどのものだろう。圧倒的な存在感の前に観客が曝すのは、隠匿した恥部だけではないだろうか、と父親の世代であるぼくはついオタオタしてしまうだけだ。
 さて、作品だが、石井さんとおぼしき等身大の人物が宇宙服のようなものを身に付けて立っている。その前に立つと、手に持ったランプに灯りがともるというトリックが施されているが、それはオマケみたいなものだ。
 背中には5人の他者(あるいは自我)を背負っている。
 他者(あるいは自我)から伸びた首はその先端で手になっており、その手にはハサミやナイフが握られ、石井さんの脚や背中に食い込んでいる。かとおもえば、手に握られた白いペンキの刷毛が石井さんの靴の上を這っているし、手で握った三角定規が石井さんの背中に添えられ、なにかを測ろうとしている。
 そこには石井さんの、自己と他者との関係性の関数が提示されていると見ていい、とおもう。その値の関係性が「ワタシ」と「アナタ」の関係性を決定づけてしまうだろう。
 ジャック・ラカンふうに言えば、「ワタシ」という存在は「アナタ」が「ワタシ」を欲しているという願望のもとでしか存在し得ないし、そういう言い様をぼくは好んでいままで頻繁に使ってきたが、この作品の前に立っていると、すこし誤読したい気分にかられた。
 ここには、「アナタ」が「ワタシ」を欲していなくても、「ワタシ」が「アナタ」を欲していなくても、圧倒的な「ワタシ」はこのように存在するのだ、という石井さんの欲望だけが観客を見下ろしている、というふうに。





 星ヶ岡アートヴィレッヂで見た
「三島敬子展」は、上記の石井さんとは対照的に、自我と他者とのバランス感覚の美しさが際だっていた。
 青の色を基調にした裸婦と花が美しかったし、その美しさが、三島さんと対象物との距離感が醸しだす美しさ、いいかえれば、三島さんが対象物(裸婦や花)と融合しながらも、他者(裸婦や花)の在り方を積極的に認識しようとする思いが作品の美しさを際だたせている、と言ったらいいのだろうか。
 三島さんの作品ははじめて見させていただいたのだが、裸婦にしろ、花にしろ、三島さんの色彩にたいする積極的な思いが感じられたし、それと同時に、三島さんの描く裸婦や花が湛えている秘やかな思い(それは観客の数だけあると思うのだが)が確かにそこにはある、という気配も感じた。
 最近あちこちで見る平面作品には、気配すら感じられず、ただ作者のあっけらかんとした自慢話しか残されていないものが多いが、三島さんの作品は、裸婦や花や色彩を通して、三島さんの抱えている精神の鼓動の振幅の気配が感じられるなか、観客であるぼくが、その作品のなかにどれだけの想像力を描くことができるのか、そんな関係性を求められてしまった空間だった。





 
吉田義昭さんから『ガリレオが笑った』という詩集をいただいた。
 その詩集を読んでいると、もう40年近いむかし、高校時代熱中して読んだ作家、ル・クレジオのことを思いだしてしまった。
 あの頃は、『物の味方』のフランシス・ポンジュや『水と夢─物質の想像力についての試論─』のガストン・バシュラール、『物質的恍惚』のル・クレジオ、など刺激的な書物がシュトゥルム・ウント・ドラングの時代だった。
 日本的情緒の系譜で、物質を人の隷属物として扱うのではなく、物質の復権が秘かに試みられていた時代だった。
 ぼくはル・クレジオのマネをして小説を書き、「ぼく自身の文体」という幻想を獲得しようと躍起になっていた時代だった。懐かしいと同時に冷や汗の出る時代だった。
 それから40年近く、ぼくの足跡は当時の意気込みとは違って貧しいものでしかないが、20代、同じ同人雑誌で詩を書いていた、同世代の吉田さんの20数年ぶりの新しい詩集を読みながら、日本的情緒の系譜とは隔たった場で詩を書きつづけていた吉田さんの持続力の確かさをうらやましく思っている。
 吉田さんの詩のよさは、物質を媒介とした想像力がめくるめく展開されていることだが、その快楽を甘受するには読者の体質が左右するような気がしている。
 しかし、言葉という想像力にかかわる楽しみは、予測しなかった快楽に巡り合えることだ。みずからの快楽の貧しさを指摘されることだ。
 その意味では、日々の暮らしの中で「ヒトとしての生きる道」を模索していたヒトも、していなかったヒトも、物質が、物質の官能を取り戻して、ヒトとの関係性の修正を要求してくるといった悦楽的な瞬間にたちあえる稀な機会がこの詩集にはある。
 集中の『水と大気の粒子論』という章のなかから「密度」という作品を転載する。

  
机の上に空のグラスが置かれている。内側に水滴。誰かが水を飲み
  干した後なのだろう。
  青く透き通ったガラス製のグラス。太陽光の青い光だけを透過させ、 
  壁に青白い影が映っていた。
  
  私はそのグラスの内側に、一辺が1センチメートルの四面体の水の
  形を空想した。そして、その四面体ごと、水たちが激しく移動して
  いる様子を空想した。

  じっと見つめていると、水とグラスの、どちらが容器なのかわから
  なくなり、不意に、水たちが体積や質量で定義されることを拒んで
  いるような気がしてならなかった。

  かつて私は、一辺が1センチメートルの四面体の質量で、初めて、
  物たちを判別した男の夢を見たことがある。彼は自分は科学者では
  なく、物の真実の見える思想家だと嘘をついていたが。
  それから、また、いくつかの時代が過ぎ、誰が、水で出来た四面体
  の質量を、1グラムと決めたのだろう。私はまだその男と、夢の中
  でさえ会っていない。

  青く輝いた空のグラスに触れてみた。既に内側は乾ききり、一滴の
  水滴もなかった。グラスばかりに見とれていた。そしてこれもまた
  想像上のことだが、おもむろに古ぼけた精密天秤を、グラスの横に
  置いてみた。と同時に、水だけで出来た一辺が1センチメートルの
  四面体を、そっと空のグラスから取り出し天秤に載せる自分の姿を
  空想した。

  指先に生温かい温度を感じた。堅さもなく、柔らかさもなく、奇妙
  な感触だった。その四面体を震える手で天秤に載せる。正確に1グ
  ラムの質量を示すと予想した。無感動に、その目盛りを見つめてい
  る私の姿をまた空想した。それでも、ここにいる私の方が、水たち
  に調べられている気がしてならなかった。





 2002年12月12日 
山中雅史展(1961年生)「ゆらぐものから」(かるぽーと市民ギャラリー)を見に行く。
 繊細な感覚で作者の心象風景が描かれている、と聞いていたが、和紙、漆喰、アクリルなどで構成された作品は山中さんという表現者の懐の大きさを感じさせるものがたてつづけに並んでいて、圧倒されてしまった。繊細、というよりは、骨太で、明確な形を伴った作者の在り方が力強く展示されていて、作者の野太い呼吸が観客の耳元に届いてくるような力強さのある作品群に魅かれた。
 いつの時代にも世界は孤独に満たされている。
 一つには、豊饒と貧困、抑圧と非抑圧、それらの断層を繋ぐ言葉が失われている、という孤独。その言葉の回復の困難さは世界が破壊されるよりも難しいと思われる。どちらの側の人々も一見、無気力な振りをして、懐に狂気を隠し持っている。狂気の出しどころをはかっているようなところがあるのに、互いに、否、と言える言葉を失っている。
 断層をめぐる物語は、100年、1000年と続き、その時々に明と暗が提示されたが、断層を繋ぐ言葉の回復は常に絶望的でさえあったし、断層をめぐる物語すらなかったものにしてしまおうとする勢力の台頭は言葉の無力さをまざまざと見せつけられた。
 しかし、断層をめぐる物語のなかに細々と登場する人たち。けっして主人公ではないし、敵役でもなく、道化役でもなく、主人公の危機一髪を救うおいしい役でもなく、ただ、物語が破天荒な展開を見せはじめたとき、人々の注意を物語の核心に振り向かせる、という地味で困難な役を選んでいる人たち。そんな人たちのおかげで、断層をめぐる物語は解体されることなく、その意味を失うことなく、今日までつづいている。
 だから、ぼくたちにできることは、その物語を読みつづけること。自らの感性で解釈しつづけること。その物語を他者に伝えつづけていくこと。そうすれば、そのうち、物語の核心だった、断層を繋ぐ言葉の再構築にたどり着けるかも知れない\\山中さんの作品を見ながら、そんな時間を費やした。





 2003年1月20日、星ヶ岡アートヴィレッジで見た
安芸真奈さん(1960年生)の木版画展も、世界が孤独であることを真正面に見据えることを避けてはいけない、ことを語りかけていた。
 黒い部分は墨、白い部分は線刻、地は和紙(土佐、福井、島根)だそうである。
 黒と白、あるいは、線と楕円、のシンプルな対比が繰り返される作品の前に佇んでいると、日々の暮らしの中に埋もれている、生きていることで生じてくる寂寞感があぶりだされてくる。ヒトはこんなに単純だが、永遠に解き明かすことのできない謎にとらわれているのだ、と。世界が永遠に孤独であることと引き替えに、ぼくらもまた、解くことのできない謎を抱えたまま生き、そして、死んでいくのか、というシンプルな問いを観客に語りかけることだけにそれらの作品は存在している、と思わずにはいられなかった。作者の問いの前で、ぼくらはどれだけ苦しむことができるのか、それをためされているような「単純さ」が美しかった。
 
 


 
麻生秀顕(1966年生)さんから『草原の草原のアクシス』という詩集をいただいた。巻頭の「蝶と旅人」という詩を転載する。

 
白い蝶の夢を見た
 草原を歩く旅人の指先に止まり
 蜜を吸おうと口吻を伸ばした
 戸惑う旅人が払う指先に
 離れては止まり離れては止まり
 草原の道はただ真夏の陽光に輝いていた

 なぜ自然が教えるまま
 肉体を振り向けなかったのか
 夜の夢と昼の夢の王冠を繰り返し
 さわやかな草いきれに
 溶けてしまわなかったのか
 小さな帽子など
 泉の中に投げ捨てればよかったのに

 白い蝶のりんぷんは
 刃先に削られて風に舞った
 事態を正確につかめず
 何度か旅人に降りようとしたが
 蜜は血のようなものに変わり
 ささやきはなげきに捩れて
 海のある方へと飛び去るしかなかった
 抉られた羽には悲しみをつづる
 同じ文ばかり連ねられた
 
 その日旅人は草原を追放された
 だが追放されたことに気付かない
 秘石がまだ手中にあると思っている
 われ知らずはぐれた旅人のうしろで
 透明な影の子どもが手を振っている

 ここには草原の蝶と旅人との蜜月はない。蝶は旅人に拒否され、旅人もまた草原から拒否されている。そんな夢を見ている筆者もまた、夢に拒否されている。
 世界はいつも単純な姿で、深い孤独を抱え込んでいる。世界を追放されたことに気づかないぼくらののっぺらぼうな日常はなにによって癒されるのか。それとも、永遠に癒されることのない孤独をさまよいつづけるのだろうか。





 
下村泰臣(1944〜2000年)さんの詩集を三冊(『黄金岬』『ハドソン河畔の男』『ビッキの外れ』)いただいた。二〇〇〇年に亡くなった下村さんの遺稿集を三冊にわけて妹さんが出された。以前にも下村さんの詩集をいただいているが、下村さんとは交友がなかったから、今回もまた、発行者の仲山清さんのご厚意だと思う。
 下村さんの作品の魅力は一口に言ってしまえば、プラスとマイナスのエネルギーがせめぎ合う隘路に、言葉だけでなく、自分の存在を無造作に投げ込んでいて、理路整然とした生き方を良しとしなかったところにある、と思う。
 別な言い方をすれば、自らが毀れるかもしれないという隘路(′サ代詩)を畏れながらも恐れることがなかった、ということだ。
 「猫その他」を転載する。
 
 
ひとかたまりのものが
 部屋へ入って来る
 行為は続いている終わりはない
 ベッドに腰かけている視線の
 そのままの低い先で
 そのままの視野の重さで
 幾度も確かめている
 周りの限られた人の残存が
 他の不在者にはならず
 不在の猫になるということ
 飼ったことはないのに
 人間と世界の間を
 追い詰める
 通り過ぎ再びやって来るもの
 苦しんでそれを猫と
 言ってみるだけなのだろう
 まばたきしない目が
 背骨に沿って
 互いの位置を読み取ろうとしている

 世界の孤独、などと大仰な書き方をしてきたが、「世界」は、そこらの路地に転がっている。その路地の片隅に「孤独」を見つける不運な人と、見つけることのない幸運な人がいる。不運な人と幸運な人、どちらが幸運かはわからないが、下村さんは、路地のそこかしこに「孤独」を見つける、というよりも、見据えつづけた人だった。孤独など見つけない方が心地いい死に際を迎えることができるというのに、下村さんは自らが、「孤独」を出迎えにいった人だ。
 下村にとって、「世界」とは、路地に吐かれた唾であり、路地で目を光らせている猫であり、路地で酩酊するお姉さん達である。
 だから、路地に脱糞のごとく転がっている「孤独」は、路地で暮らす下村さんにとっては避けて通ることができないものではなかったのではないか、とぼくはいま下村さんの三冊を読み終えてそう思っている。



s

 短歌に詳しくないぼくが、短歌の世界は情緒の世界だと思っていた、などと言ってしまうと罵倒されるかも知れないが、ぼくの貧しい体験では短歌は情緒の世界だった。唯一愛読した道浦母都子の世界にしても情緒の世界を漂っていた。
 情緒の世界を非難しているわけではない。情緒の世界が苦手なだけのことだ。
 知人を通していただいた
森尻理恵さんの歌集『グリーンフラッシュ』はぼくの貧しい先入観を覆してくれた。短歌の世界でも情緒に溺れることなく、自前の理性を際だたせる方法論をもった短歌があることを知った。
 水平線からまさに消えようとする太陽が一瞬、グリーンに変わりきらめくことがあるという。その現象を「グリーンフラッシュ」というらしい。「独立行政法人 産業技術総合研究所 地球科学情報研究部門」に勤務し、固体地球物理学を専門に研究しているという森尻さんは、一九九二年の観測航海中に太陽が赤道に沈みきるその一瞬、「グリーンフラッシュ」に立ち合うことができたといううらやましい体験をされている。(ちなみにぼくの子どもの頃の夢は、宇宙の果てを見ることだった)

一瞬の閃光みどりに海をはしる赤道に太陽沈みきるとき
刻々とデータ送りくる磁力計重力計の愚直さを愛す
赤色に淡い闇色を重ね重ね海は太陽を閉じ込めてゆく
道端にかがみて重力測りおれば目の高さにて花々揺れる

 森尻さんは「誤解を恐れずに言えば、研究職というポジションを女性が手に入れるのはそんなに簡単なことではない。保つにはさらに、周囲の理解とサポートを得たうえで、自分の内の多くの欲に打ち勝たねばならない。しかしその一方で、子供の存在は大人だけで暮らしていたら味わえないほど刺激的で、教えられることも多い。きっと多くの親子がその危ういバランスの中を必死で生きているのだ。」と、あとがきに書いている。
 森原さんの心の中を去来した孤独を紹介したい。

〈実力〉の尺度は教授の好感度かと言い放ちて友は大学を去る
長々しき午後の会議はつきあえぬと虻はふいっと窓から去りぬ
邪魔なのは髪ではないと知りながら一つに束ね鏡を見ている
子をなしてハンディー背負うは女ゆえ君が決めよと同業の夫
育児休暇は取れぬと言い張る夫もまた男社会の歯車のひとつ
子をなして引退いつかという問いの悪意なき分鋭い現実
横を向きて親指しゃぶるみどり児の知りはじめしか孤独というもの
昇格の人事異動の一覧に独身通す友の名見つけし
新聞に老人病棟の投稿歌ありわれを採りくれし部長の名にて
あてもなく神田古書街さまよいて一冊の本に呼びとめらるる
砂浜に仰向けに寝て星を眺がむ銀河の深さふっと知りたし
ひとりずつ窓に向かいて座りいるコーヒースタンド明るく浮かぶ
平穏は距離にて保たれゆくものか椿の花は紅きまま落つ
仰向けに寝るは人間だけかもと毛布かぶりつふいに思えり
地球時間に見れば石らも移ろいぬ動かぬものと歌に詠みしが