このエッセイは1998年10月30日〜12月31日まで「高知新聞」に連載したもので、「高知新聞」の許可を得て転載するものです。

『旧い映画・新しい映画』
(全54回)
      
                    by 大家 正志


1)昔のこと

 高知新聞を見ていると、1958年(昭和33年)の高知県の映画館の数が載っていた。
 高知市34、安芸市4、須崎市3、中村市6、宿毛市9、土佐清水市5、安芸郡29、香美郡15、長岡郡8、土佐郡2、吾川郡6、高岡郡15、幡多郡5と圧倒的な数が載っていた。
 ちなみに現在は高知市で9、安芸と中村に一軒づつである。が、安芸と中村は常設ではないから、常設は高知市の9軒ということになる。
 昭和30年代といえば映画の全盛期だったというが、それにしても、高知市に34軒、はひとつの町内に一軒の映画館があったようなものである。
 昭和23年(1948年)生まれの僕は、子どもの頃の娯楽はやはり映画だった。小学校の頃、TVも放送を開始したがそれでも映画館は満員だった。
 当時住んでいた土佐山田町には、東洋館、山田東映と館名を忘れたがもう一軒の計3軒あって、上映された映画は片っ端から観た、とまでは言わないが、日曜日ごとにその3軒を回っていた。なにを観たかはほとんど忘れているのに、いまTVで人気の中村玉緒が故・市川雷蔵と共演していた
『中山七里』を観たことなどはいまでもくっきり覚えているから、人間の記憶というのは不思議なものだと思う。
 僕が映画を見始めたのは東映のチャンバラ3本立てで、高知の堺町「高知東映」にはよく通った。なかでも予告編は血沸き肉踊るシーンのみを繋ぎ合わせていて、予告編を観るとその映画も必ず観たくなったものだった。
 中学生になると高知市内の学校に通ったから学校の帰りに映画館へ寄った。「はりまや劇場」や「MS劇場」「リベラル」「名画座」などがあって、
『禁じられた遊び』『シベールの日曜日』『ブーベの恋人』などを観たのが記憶に残っている。
 まだお城のなかにあった高知市立公民館でも映画をやっていた。
 中学、高校とは比較的映画を観たほうだと思う。旭にある学校に通っていたから、学校の帰り、旭駅前にあった映画館(館名を忘れてしまったが、いまのサニーマートのあたりにあった。その隣りあたりに昨日まで連載していた片岡千歳さんご夫婦の
「タンポポ書店」があった)でB級恐怖映画などを観ていたし、ちょっと冒険をおかして、玉水町のなかにあったアサヒ劇場で、若松孝二や向井寛のピンク映画(当時は18歳未満入場お断りの成人映画をそう呼んでいた)などを観に行った。とくに若松孝二の映画はお気に入りで、桟橋にあった「OS劇場」でも若松孝二の映画をやっていたりして、桟橋まで観に行ったものである。
 若松孝二の映画は60年代の閉塞感とか喪失感を代表しているように思われた。「荒野も密室でしかない」というような観念的なテーマが高校生だった僕には心地よかったのかもしれない。白黒の画面がセックスシーンになるとカラーになる「パートカラー」は、金銭的に余裕のない弱小プロダクションの苦肉の策で、当時はそれが主流で、それらのシーンも目当てだった。というより、当時は現在のように映画に関する情報網が発達していなかったから、高知に住んでいると、
若松孝二、が何者かわからなかった。だから、若松孝二、を知ったのは、観に行っていたピンク映画がたまたま若松孝二の映画だったということでしかない、と、いまになって思う。しかし若松孝二の映画はそれからの僕のものの考え方の基本のひとつを決めてくれたように思う。
 後年、大手資本でつくった
『金瓶梅』『水のないプール』を松竹などで観たときはちょっとショックだった。若松孝二が大手資本を利用したのか、大手資本のほうが若松孝二のほうにすり寄っていったのか、なんともいえないが、それらの映画は若松孝二独特のゲリラ的手法が失われていた。「体制に取り込まれず、反体制である」という姿勢がかすかに揺らいでいるような気がした。
 それと同時に、便所の臭いのするアサヒ劇場が懐かしくなったものだった。丸坊主で制服、学生カバンを持って入場していたから、昔は木戸番も鷹揚なものだった。
 というふうに
『旧い映画新しい映画』と題してしばらく書かせていただきます。映画についてはいろんな人がいろんな書き方をしていますので、ここでは「映画を観てこんなことを考えていた」程度の書き方をしていきたいと思います。なお、昔観た映画については細部については思い違いがあるかも知れませんがご容赦ください。



2)団塊の世代

 
『髪結いの亭主』(1990年、フランス、パトリス・ルコント監督)は奇妙な映画だった。子どもの頃、理髪店の中年の女主人の濃い体臭と脂肪の塊りのような乳房に憧れて通いつめていた少年が、大人になったら髪結いの亭主になると決めて、中年近くになって望みどおりの髪結いの亭主になってしまう。髪結いの亭主になった男は、理髪店の椅子に一日中腰掛けて、妻が散髪の仕事をするのを眺めて暮らしている。暇ができればセックスをし、怪しげなアラブのダンスをして「髪結いの亭主」であることだけに満足して暮らしている。妻はセックスも散髪も上手だし、何一つ不満のない生活が続いていたが、ある夕立の日、店のなかでセックスをした後、妻は川に身を投げて死んでしまう。一番幸せな時に死にたい、という遺書を残して。
 女性の観客からすれば「男の夢物語」という批判が起こるのは当然のような映画である。なにしろ、若くて魅力的な理髪師と初めて会って「結婚しよう」という一言だけで結婚してしまうし、結婚した妻は働かない夫になんの不平不満も言わず、そのうえセックスが上手で、仕事中にも夫の愛撫を受け入れてくれる。これ以上ない「髪結いの亭主」の話である。
 団塊の世代である僕たちは、好むと好まざるにかかわらず、高度成長のレールの上に乗っかってここまで来た。そのレールを意識的に拒否して生きてきたというごく少数の人たちを知ってはいるが、彼らもまた、高度成長の恩恵の枠組みから逃れられない。自覚的であったにしろ、無自覚的であったにしろ、日本の経済的な発展の片棒をかついで生きてきた。その見返りとして中年になった今、喪失感というささやかな病いを引き受けている(相変わらず経済的な発展を第一義と考えている人もいるが)。大量消費の時代から差異の時代へ、などというマス・メディアの格好の標的になって、日常生活を右へ左へ上へ下へ宇宙遊泳みたいなおお忙しで過ごしてきた。おかげで日本の経済はろくろ首のようだし、日本の政治はのっぺらぼうのようだ。おまけに社会のため家族のためとレールの上をつっ走ってきた僕たちは自分自身に対する喪失感で充たされている。90年代に入って「物質よりも心の時代」というキャッチフレーズがなんの臆面もなく罷り通っている。「反省だけなら猿もできる」が、今度は「心の時代」という言葉が商品化され、免罪符にされようとしている。人間は軌道修正の上手な生き物だが、言い方をかえればバランス感覚を第一義にするという特技を持っている。この特技が地球という環境を一時的に支えている。
 去年あたりから「不況で経済が沈没する」と大騒ぎしているが、沈没するものであれば沈没させてしまったらどうだろう。沈没した後に見えてくるもの。あるいは、やはり見えないもの。それらを確認してみるのも一興だろう。
 僕たち団塊の世代が、「経済活動」という幻影の虜にならずに、この「髪結いの亭主」アントワーヌのように(少年が髪結いの亭主になろうと決めたのは1947年だった)、経済的な貢献など何一つせず、私的な性的嗜好のみに関わって生きてきたなら、日本の経済的な発展と引き替えに何を得られていたのだろうか、と考えさせられたのは僕一人だっただろうか。
 政治からも経済からも遠く離れて生きること。自己充足だけに生きること。何も生産しないこと。『髪結いの亭主』が提示したひとつの幻想は、団塊の世代への反面教師の役割をしていたような気がする。団塊の世代であることにあたふたし、自分自身の心の揺らぎに忠実でありたいと願っているだけの僕はこれから先、何かができるかもしれないし、何もできないかもしれない。



3)天使が降りた森

 五年間の服役を終えたポーシーはアメリカ北部の町、森に囲まれた町・ギリアドに降り立つ。保安官の紹介で町の食堂で働きはじめたポーシーは町の人たちの好奇心の眼に晒されるが、どこか醒めているくせに積極的なポーシーは、息子をベトナム戦争で亡くした食堂の老女主人ハナや、その義理の姪で夫からはウスノロと馬鹿にされつづけていたシェルビーや、孤独な農場の息子ジョーたちとの関わりのなかで、彼らの生き方に変化を与えはじめる。ときどきハナは麻袋に缶詰を詰めて裏口に置いておくという奇妙な行動をとっていて、ある夜ポーシーは森の奥から男がその麻袋を取りに現れるのを目撃する。
 
『この森で、天使はバスを降りた』(1996年、アメリカ、リー・デビッド・ズロートフ監督)は彼らの孤独な心がポーシーという前科者の若い女性によって癒されていくという形式をとりながらも、ポーシー自身は遂に癒されることもなく死んでしまうという寂しい映画だった。
 ポーシーが再出発の地としてギリアドという町を選んだのはそこがペグマタイト(巨晶花崗岩)の宝庫だからとか、インディアンの伝説が残っているからだとか、理由を語るが、そんな理由づけはどうでもいいことで、たぶんこの町でなくとも降り立った町でポーシーはポーシーなりの誠実さを見せて死んでいくしかない、と思わせるような映画だった。
 森の中に隠れて住んでいるのは、ベトナムで死んだはずのハナの息子イーライであり、ポーシーは9歳のころから性的虐待を受けていた義父を殺した、という過去が語られたりするが、ほんとうは、この映画はそういう衝撃的な事実などどうでもいいことで、心に傷を受けた若い女が降り立った森に囲まれた町で、森に棲む住人と心を通わせながら、町の人々の生き方にも少しずつ変化を与える、といった抽象的な美しさを持った映画でもあったほうがもっと奥行きの深い映画になったような気もしたが。
 ハナの現金が紛失し、ポーシーと森に棲む住人に疑いがかかり、追われる森の住人を助けようとして川に落ちてポーシーは死んでしまうのだが、死後もなお町の人々に緩やかな変化を与えているエピローグが語られ、映画は静かに終わっていくが、この終わり方も久しぶりに、いい終わり方だと思ったし、オハイオ州出身のポーリーがある日、車で通りかかったオハイオ州ナンバーの車に乗った男に声をかけるシーンなど、何でもないシーンだったが、「わたしもオハイオなのよ」と語りかけるポーシーは嫌な記憶を持たされてしまった故郷に帰ることはできないが、故郷の車のナンバーに声をかけずにはいられないという屈折した感情を吐露したシーンとして心に残るシーンだった。
 ポーシーを演じているアリソン・エリオットの演技がよかった。消しがたい過去を持ちながら、見知らぬ人のなかで再出発をしようとしている不安を隠しながら、調理場で煙草を吸い、その不安と闘っている姿や、孤独な青年ジョーに求婚されたときに見せる「わたしは子どもが産めない」と泣きながら見せる感情の揺れ動きや、森の住人に産まれることのなかった自分の息子の名前をつけてコミュニケーションを取りつづけようと森の中をさまようシーンなど、魅力的な女性だった。
 リー・デビッド・ズロートフという監督は初見だったが、静かな画面の中に人が生きている力強さが淡々と語られていて、この寓話的な物語を奥行きと陰影のある映像で想像力豊かな物語として語っていた。



4)焚書の時代

 独裁者が書物を抹殺しようとするのは、書物の持つ伝播力を恐れるからである。書物は印刷されて何千人何万人あるいは何十万人もの手に渡る。しかしそれ以上に恐ろしいのは、そこに書かれていることを読み解き、読者自身が考えはじめることにある。独裁者が求めているのは、独裁者への忠実な忠誠であり、独裁者の思考を受け継ぐことだけでしかなく、個々が考え何かを発想し、自らの存在を問いはじめることではない。
 ヒトラーの焚書をはじめ、古今東西、独裁者による書物への弾圧は数を数えることができない。
 その意味では
『火星年代記』で著名なレイ・ブラッドベリの原作をフランソワ・トリュフォーが監督した『華氏451』(1966年、イギリス・フランス)の発想は何も新しいものではなく、「摂氏」ではなく「華氏」という呼び名の珍しさとトリュフォーの映像の美しさに魅かれた作品だった。
 物語は、読書を禁じ、人々の思想を管理しようという近未来の全体主義国家が舞台である。焚書隊といって書物を見つけては処分することを仕事にしている男が、隠れて書物を読んでいる女性に恋することから、男のアイデンティティが揺らぐ、といったメロドラマ風筋立てである。
 それでも66年当時、近未来を舞台にしているとあって、いかにも物質文明が支配しているといったような街並みや乗り物、衣裳が斬新だったことを覚えている。
 この手の映画ではいつも、映画がはじまると近未来の社会は物質主義、全体主義が支配していて、一部の精神主義、非全体主義者たちが反乱をおこすといった展開が繰り返されるのだが、SF小説家たちは、さまざまな条件を勘案すると近未来は物質主義、全体主義を選択するしかない、という悲観的な見通しを持っているが、それでも、精神主義、非全体主義を完全に捨て去ることができない、という苦渋に充ちた未来観を持っているように思える。
 先の大戦で、ヒトラーのドイツを逃れてアメリカへ亡命したエーリッヒ・フロムという哲学者は
『自由からの逃走』という書物のなかで、ドイツ・ファシズムの成立過程で「個人と群衆」という問題を考え、「近代的個人とは実は不安な個人である」ということを言っている。
 近代社会の形成と共に人々は農山村の村落共同体から離れた。かつてはよくもわるくも共同体の中にいれば安定していた身分が、共同体を離れることにより、街という近代社会に浮遊する人間になった。自分しか頼るものがない生活というのは経済的な悪化や、政治的社会的不安が増すにつれて、自分一人で判断し行動しなければならない自由は混乱し、そのことが人々を群衆の中に逃げ込ませる要因になり、大きな力の許に身を寄せ、一人でいることの不安を解消することを選択する。それがドイツ・ファシズムの成立に大きな力を貸した、とフロムは言っている
 大きな力・全体主義に個人が容易に組み込まれることは歴史をたどっても顕著であるし、全体主義が個人を支配するには物質主義が有効である。
 と、映画からは全く離れてしまったが、映画に話を戻すと、この映画のラストは、全体主義を逃れた人々が森の中で、物語(なんという物語だったのか、忘れてしまったが)を口ずさみながら暗記しているシーンで終わるのだが、それは、書物を読み解くことで、全体主義の甘美な手の意味を知ることができる、ことを暗示していて、すこし啓蒙主義的ではあったが。



5)いい女がふたり

 
『バウンド』(1996年、アメリカ、ラリー・ウォシャウスキー&アンディー・ウォシャウスキー監督)は楽しい映画だった。アッという展開、エロチシズム、バイオレンス、の三つがミックスして、舞台はほとんどがアパートの一室なのに、スケールの大きさを感じさせる映画だった。
 まず、何といっても、5年の刑期を終えて出所したばかりの窃盗のプロ・コーキーとマフィアの店を任されているシーザーの情婦のヴァイオレットを演じるジェニファー・ティリーとジーナ・ガーションのふたりの女がいい。
 オープニングのアパートのエレベーターで乗り合わせる場面から常に何かが起こりそうだという映画的興奮を引きずったまま、エンディングまで一気に突き進むテクニックは、娯楽映画の見本のようなものだった。
 エレベーターで乗り合わせた女ふたりが、情感をおもてに出して互いに求め合うところからはじまって、アッという間のレズビアンシーン。
 シーザーとヴァイオレットが住んでいる隣の部屋の壁塗り仕事をしているコーキーが、その隣の部屋でマフィアの金200万ドルをネコババした会計士が殺されるのを、隣の部屋の便器とつながっている便器の水が大きく揺れることで知る、というシーンをはじめディテールが巧みだったし、切れ味がよかった。
 やがてヴァイオレットはベッドのなかでコーキーに200万ドルを持ち逃げする相談を持ちかけて、シーザーの部屋に置いてあった200万ドルを盗むことに成功して、その罪をシーザーに被せ、マフィアに殺させようとするが、行きがかり上、ヴァイオレットはマフィアのボスの息子が盗んだと言ってしまい、シーザーは200万ドルを回収に来たボスと息子を殺してしまう。そのうち、シーザーにコーキーの存在が知れ、コーキーはつかまり、ふたりの女は絶体絶命、というところへ・・、というように次から次へ話はバウンドしていってしまう。
 騙されつづける男・シーザーを観ていると、このふたりの女がとてもいい女だから、「まあ、騙されても仕方ないか」と納得できる映画だった。
 シーザーを殺し、ボスを騙してまんまと200万ドルをせしめて新しい生活をはじめようとするラストは、暴力、裏切り、殺人、とつづくほんとうは暗くて陰気な映画なのに、なんとも言えない解放感を感じたのはどうしてだったのだろう。たぶんそれは、ふたりの女が格好良かったからだろうと思う。窮地に追い込まれても、殺されそうになりながらも、機知を利かせてその場をしのぎきっての200万ドルは、万々歳である。
 いい女のふたり連れ、というと
『テルマ&ルイーズ』(1991年、アメリカ、リドリー・スコット監督)が思い出される。リドリー・スコットは『エイリアン』でシガニー・ウィーバーをヒロインに仕立て上げた監督だが、この映画でもルイーズを犯そうとする男をテルマが撃ち殺して放浪の旅に出るふたりの主婦が『さすらいのガンマン』のようで格好良かったし、その妙に解放的なふたりの表情が良かった。
 女の弱みにつけ込んで、犯したり殺そうとする男など殺されても仕方がない、と納得できる映画だった。
 暴行されたトップモデルが、男を相手に裁判を起こすが、裁判は男の有利に進み、おまけにその男に妹まで暴行されてしまい、怒り心頭にきたモデルが男をライフルで撃ち殺すという
『リップスティック』(1976年、アメリカ、ラモント・ジョンソン監督)は、まだ女性の権利が十二分に保護されなかった70年代半ばのアメリカ女性に圧倒的多数をもって迎えられ、男がライフルで撃ち殺されるラストシーンには盛大な拍手が送られたと言うが、日本で上映されたときは拍手のひとつもなくて、僕もどういう表情をしていいのかわからなくて、なんとなくきまり悪く坐っていたのを思い出している。



6)パパラッチ

 パパラッチという呼称は
『甘い生活』(1960年、イタリア・フランス、フェデリコ・フェリーニ監督)という映画で初めて使われたという。作家を夢見てローマに出てきた青年が夢叶わず、ゴシップ記事専門の記者になって、スターの行くところ車とバイクで追っかけるシーンが出てくる。
 時代は1960年、なにかしら自己の表出がうまくいかず、出口を閉ざされたような青年たちの刹那的な生き方が、スターという華やかな存在を追いかけることに転位され、退廃していく現代ローマで、その退廃に身を委ねながらも、乱痴気パーティの果て、海岸で怪魚の死体を見つけてしまうゴシップ誌記者の屈折と閉塞感、喪失感を描いていて、フェリーニの映画のなかでも、
『8 1/2』(1963年、イタリア)『アマルコルド』(1974年、イタリア・フランス)と並んで屈指の映画である。
 しかし、いつの時代にも、閉塞感と喪失感はあり、屈折し、鬱積した人物が映画の主人公になっている。なぜ映画は、ヒトと時代のマイナス面のみを表現するのだろう、と思ったりしてしまう。もっとも、なんの屈託もない人物があっけらかんとした日常を送っている、というような映画は楽しくないだろう。
 現在の日本にもパパラッチとは言わないが、「芸能レポーター」という種族がいる。彼らはウンコの蝿のように芸能人と敵対したり密着したりしながら、その離婚話や不倫話を追っかけている。彼らにもフェリーニの映画に出てくる青年のように屈折や閉塞感や喪失感があるのだろうか。
 パパラッチといえば、パパラッチに追いかけられて事故死したひとりにダイアナがいることを僕たちは知っている。
 生前、パパラッチと呼ばれるスキャンダル専門のカメラマンによってダイアナのブルジョワ的な私生活が暴露され、その一方でいわゆるマスコミの手によって地雷撤去やボランティア活動に熱心なダイアナが報道される。ダイアナがどんな富豪と付き合おうが、どんなボランティア活動をしようが、ほとんどの人はそんなことなど知りたくもない(と僕は思うのだが)。知りたくもないと思っているのに、繰り返し繰り返し報道されると、いつのまにか、僕たちがもっとも興味を持っているのはダイアナの私生活でありボランティア活動なのだというネガティブな感情が湧いてくる。で、パパラッチと呼ばれる集団は僕たちの欲望を代弁しているかのようにダイアナの私生活を曝け出そうとする。しかしその時、曝け出されているのは僕たちであることに気づかねばならない。ダイアナがキスをしている写真を前に、そこに曝されているのはダイアナの私生活ではなくて、僕たちの私生活である。パパラッチや報道という欲望に身を曝け出している僕たちの私生活が投影されているにすぎない。
 ダイアナの葬儀でエルトン・ジョンが歌った歌が記録的な売れ行きを示したそうだ。それ自体気持ちの悪いことだが、そのことはおいておくとして、その売り上げはダイアナ基金に寄付されて世界中の困難な地域に住む人たちの役に立つという。僕が異議をはさむことでもないが、ここでもダイアナの前に僕たちの私生活が曝されることになってしまっている。ダイアナの死を契機にして彼女にかかわるすべてのことが、「世界中の困難な地域に住む人たちの役に立つ」ことを第一義にさせられてしまったのだから。たぶんしばらくのあいだは「世界中の困難な地域に住む人たち」のことを忘れて「ダイアナ」で金儲けなどできないだろう。「ダイアナ」に関わることはすべて「ボランティア活動に熱心だったダイアナ」という踏み絵を踏まなければならない。パパラッチが曝け出してしまったのは、ダイアナの私生活ではなくて、僕たちの私生活でしかなかった。



7)静謐さと美しさ

 
『コンタクト』(1997年、アメリカ、ロバート・ゼメキス監督)は静かで美しい映画だった。
 天文学者のエリー(ジョディ・フォスター)はある日、宇宙からの不思議な電波を受け取る。その電波は解読の結果、一人乗りの宇宙空間移動装置であることがわかり、エリーは一人でその装置に乗り込み、電波の発信元の惑星に出かける、というのが大まかなストーリーだが、ジョディ・フォスターが宇宙からの電波を掴まえようと、砂漠のなかに電波望遠鏡を20台ぐらい備えて、静かに電波の届くのを待つ、といったシーンがたまらなく美しかった。電波望遠鏡と満天の星に囲まれてジープの上で夜を過ごすジョディ・フォスターの姿が美しかった。
 宇宙のどこかに、地球人とコンタクトをとれるほどの文明を持った生物がいて、地球人がコンタクトをとりたがっていると同じくらい彼らもコンタクトをとりたがっていると信じて、壮大な宇宙にアンテナを張り巡らせて、99.9%の無駄のなかに耳を澄ませているジョディ・フォスターの姿が美しかった。
 ほんとうはこの映画はこの美しいシーンだけで終わってほしかったが、この後、騒々しい仕掛けが待っている。
 地球外生命体については、天文学者は希望的な観測を持っているが、生物学者は絶望的な観測を持っている。それは、ヒトという生命体が地球という惑星に存在するなら、120億年という時間のなかには地球と同じ環境の惑星があってもおかしくはないという天文学者と、生命の誕生はそれほど容易なものではないという生物学者の意見の対立であるが、SFファンの僕としては、地球外生命体がいてもなにも不思議ではないと思っている。人間が知り得ることなど耳クソぐらいのことでしかない。
 1996年8月7日南極で発見された隕石をNASA(米航空宇宙局)は隕石のなかに含まれていたガスが火星大気の成分と同じだったことを理由に「火星には生命の痕跡がある」と発表した。が、その後、火星では溶岩の活動が地球ほど激しくなくて地球的な生命体の存在は否定されつつあるようだ。
 それでも昔から地球人は地球外生命体の存在を信じてきた。SF映画にもあの手この手で地球外生命体が登場してくる。
『エイリアン』から『E.T.』までさまざまである。
 宇宙のことを考えると、僕たちがなぜいまここにいるのか、と言う根源的な問題にぶつかってしまう。その問いに少しでも回答を与えたいと昔から人々は宇宙へ眼をむけた。
 僕たちは想像力を働かせて、コンピュータ・グラフィックスで宇宙の美しさを知ることができるが、この地球に人類がいて、宇宙の全体像を想像しうる知能を得ていることは、もしかしたら、その美しさを誇示するために、宇宙を統一する力によって人類は創られ、知能を与えられたのではないかと思われるほどである。映画もそうだが、観客の一人もいない美しさなど寂しい限りである。
 『コンタクト』に話を戻すと、宇宙空間移動装置の設計図の解読に成功したエリーはひとりで未知の惑星に飛び立つのだが、このあたりの騒々しさ、国家権力が未知の文明の存在を抹殺しようとするくだりなどは、別の映画でやってほしかったと思う。なにしろこの映画の前半部分の、異文明からのコンタクトを待ちつづけるシーンが、未知との文明との接触の期待と不安と緊張が、20台ばかりの電波望遠鏡の幾何学的な美しさと共に、映画的静謐さと美しさを十二分に発揮していただけに、僕には残念な映画だった。



8)官能的な映画

 岸田秀(哲学者)はその著書
『性的唯幻論』のなかで、かの有名な「人間は本能の壊れた動物である」という認識を提出して次のように言っている。「人類はさまざまな文化的観念や規律をあみ出した。そこには現実的基盤が欠けている以上幻想に頼るほかはない。人間の性は、正常異常を問わず、本能ではなくすべて幻想に支えられている」
 官能的な映画もそれらの幻想に支えられていると言っていいだろう。
 
『愛の嵐』(1973年、イタリア、リリアーナ・カバーニ監督)は登場人物のすべてが官能的だった。。
 世界的指揮者の妻としてウィーンにやってきたルチア(シャーロット・ランプリング)はかつて自分をもてあそんだナチス親衛隊員・マックス(ダーク・ボガード)の姿を見かける。彼はホテルのボーイとして身分を隠して暮らしていたのだ。
 マックスを憎んでいる筈なのにルチアは世界的指揮者の妻という身分を捨ててマックスとの快楽に身を投じてしまう、という退廃的な臭いのする映画である。
 肉体に刻み込まれた「快楽の罠」がどれほど甘美なものであるのか、それは個体差があるだろうが、「快楽の罠」の記憶を持ちつづけて生きなければならなかった男と女の切なさを共有できるかどうかは、映画の出来不出来にも左右されるだろうが、観客の感性の差もある。だから、このような映画のどこがいいのか説明するのはとても困難である。退廃的な世界を楽しめるかどうかがポイントになってくる。
 あてどのない快楽の後、ナチス狩りのユダヤ人の組織に見つかり、ナチスの制服姿のマックスと、ルチアは射殺されるという、そういう結末しか考えられないという結末で終わってしまうのだが、このような凡庸さもこの手の映画には必要なアイテムのひとつである。
 この映画の官能性を高めているのは、ナチスの時代、裸で踊らされていたホモのバレーダンサー・バート(アメディオ・アモディオ)の存在である。マックスに恋するバートがマックス一人のために踊るシーンがあるのだが、ナチス時代の過去と現在の踊りが交互に映し出され、年老いたダンサーの肉体が性の違いを越えて美しく、悲しかった。
 肉体の衰えを晒し出しながら踊るその踊りには鬼気迫るものがあり、バートが(なんの注射かわからないが)マックスに尻に注射をうってもらったあと(この注射は肛門性交の代替え行為でもある)必ず、「あなたのは痛くない」と愛を告白する切ないシーンと重なって、届くことのない愛の苦しさが官能的である。
 マックスとルチアを射殺するのはバートだが、愛の対象を殺すことによって、バートの愛は成就し、肉体の現在性から解放されることである。
 
『白いドレスの女』(1981年、アメリカ、ローレンス・カスダン監督)も映画という官能に身を任せられるかどうかで評価が別れる作品だと思う。
 夜、町であった白いドレスの女(キャスリン・ターナー)に一目惚れした弁護士(ウィリアム・ハート)が、その女によって犯罪の片棒を担がされ、夫殺しという犯罪の成功した女は弁護士の裏を巧みにかいくぐって大金持ちに、弁護士は刑務所に、というサスペンス仕立てのストーリーで、原題の『ボディ・ヒート』のほうがふさわしい暑い夏の夜の官能的な映画だった。
 「キッチン・セックス」というセンセーショナルな宣伝をされた
『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1981年、アメリカ、ボブ・ラフェルソン監督)はジャック・ニコルソンとジェシカ・ラングの肉体性が強調されているだけで、官能的な映画とは言い難かった。1942年イタリア版のルキノ・ヴィスコンティ作品も観たが、この映画は官能性とは別なところにある。



9)映画的おもしろさ

 クエンティン・タランティーノという監督は
『パルプ・フィクション』(1994年、アメリカ)という1本だけしかその映画を観たことはないが、映画的おもしろさを楽しめると同時に、現代社会への斜視眼的なシニカルさをも感じさせて、おもしろい監督のようだ。
 アベックがレストランで銃を突きつけて強盗をはたらく場面から始まり、話は一巡りしてオープニング・シーンで終わるという過去にも何本か観た記憶があるが(題名が思い出せない)それらは当然の帰着として円環的装置を閉じてしまう構造を持たされていたような記憶があるが、この映画は、なんの約束事もなくオープニング・シーンへ呼び戻されて観客の予想を裏切ることになっている。
 落ちぶれたボクサーは暗黒街のボスに八百長を命じられているが、八百長の掛け金を狙って試合に勝ってしまい、ボスから追われる身になってしまう。彼は曽じいさんから受け継いだ金の時計を持っている。曽じいさんから受け継いだじいさんは第二次世界大戦で死に、それを受け継いだ父親はベトナム戦争で死んでいて、あまり幸運とは言えない金の時計だが、曽じいさんからの形見を後生大事にしていて、今まさにボスから生命を狙われているというどこまでいっても不幸な金の時計に彼はこだわりつづけている。
 街のチンピラはボスの女房との一夜の相手を命じられるが、ボスの女房の足を触った男は殺された、と言うような話を聞かされて複雑な心境でボスの女房とダンスホールに出かける。このチンピラをやっているのはあの
『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年、アメリカ、ジョン・バダム監督)で華麗なディスコ・ダンスを披露したジョン・トラボルタで、ボスの女房相手に上手いか下手かわからないゴーゴー・ダンスを踊るシーンが『サタデー・ナイト・フィーバー』のトラボルタを知っているファンは笑えるだろう。
 先の落ちぶれたボクサー役は
『ダイ・ハード』(1988年、アメリカ、ジョン・マクティアナン監督)以来超人的なアメリカ人を得意とするブルース・ウィリスで、相も変わらず奇人ぶりを発揮していて、この映画を観るまでは、叫びながら走り回るだけの役者かと思っていたが、もしかしたら、ジャック・ニコルソンやアンソニー・ホプキンスに匹敵するような役者になるかも知れない、と思った。
 暗黒街のボスが、警官を含む二人組に捕らえられてオカマを掘られるシーンがあるが、これなどこの手の映画的約束を逸脱しているように思われる。ボスは出世の糸口を得ようとするチンピラに殺されることはあっても、縛り上げられてオカマを掘られるなどという情けないシーンは見たことがない。もっとも、その窮地をボクサーが救ったことで、ボクサーはボスに許されるのだが。
 誤って同乗していた男を撃ち殺してしまい、血だらけになった車と死体の処理に右往左往する男達のエピソードも、友達だと思って助けを求めた男に、女房が帰ってくる前に出ていってくれとつれなくされて、またまた右往左往するしかなく、自分たちで車にこびりついた血を拭いとるしかないシーンは不格好なギャングの姿でしかなく、そのギャングが、冒頭のシーン、レストランで銃を振りかざすアベックに説教して、自分の金1500ドルを与えて、出て行け、といっぱしのギャングぶるシーンを対比させると、ギャングの世界を借りて、この地表での人の皮肉さを十二分に描き出しているのではないだろうか。
 なおこの映画は他に、ハーベイ・カイテルやクリストファー・ウォーケンなどが出ていて、タランティーノは役者にも好かれている監督らしい。



10)子どものころ西部劇を観ていた

 子どものころ、ジョン・フォードの西部劇をたくさん観た。ジョン・フォード以外の西部劇もたくさん観た。高知市内の映画館のどこかに西部劇がかかっている時代だった。そこにはいつもジョン・ウエインがいて正義と強さの代表だった。とくに
『捜索者』(1956年)という映画が印象に残っている。
 TVでも『幌馬車隊』『ライフル・マン』『アニーよ、銃をとれ』という番組などがあって、西部劇全盛時代だった。早撃ちのガンマンがヒーローの時代だった。早撃ちのガンマンは、町を牛耳る悪徳有力者や、町を襲ってくる強盗団を相手に大活躍し、幌馬車を襲うインディアンから、美貌のレディを守ったりした。騎兵隊は開拓者を守る正義の集団で、インディアンに囲まれて危機一髪の時、遠くから騎兵隊のラッパが聴こえてくると子ども心に興奮したものだった。
 しかし、ベトナム戦争を経たアメリカは、アメリカ自身をも問いかけるようになり、騎兵隊もインディアンを虐殺していた、という映画をつくってしまった。
 1864年コロラド州サンドクリークで600人のシャイアン族が騎兵隊に虐殺されたという史実をふまえた映画
『ソルジャー・ブルー』(ラルフ・ネルソン監督)が1970年につくられた。1598年にスペイン人がやってきて以来アメリカ・インディアンは虐殺されつづけてきたのだ。ちなみに、この映画のラストは、インディアン虐殺を阻止しようとした女性と黒人兵が略奪の終わった騎兵隊の荷馬車に鎖に繋がれて引きずられて行くところで終わっている。
 この映画の主題歌は、クリー族インディアン出身のバフィー・セイント・メリーが歌っていて、さっそくレコードを買ったが、今はもうレコードもなく、バフィー・セイント・メリーもどこでなにをしているのか知らない。
 ナンシー・ウッド著
『今日は死ぬのにもってこいの日』はニューメキシコ州のタオスという土地に住むインディアンの古老達の話を題材にして書かれた叙事詩である。合衆国政府に現在もなお土地を奪われつづけ、精神的にも肉体的にも虐殺されつづけているインディアンの物語である。たとえば僕たち現代文明に飽きた人々は自然への回帰をお題目のように唱えつづけている。文明=悪、自然=善、といったような安易な精神主義が罷り通っている。しかし、タオス・プエブロのインディアンの古老にはそんなことはお見通しである。
 「いろんな人がここへやって来る、そして俺たちの生き方の秘密を知りたがる。やたら質問するのだけれど、答えは聞くまでもなく、連中の頭の中でもうできてるんだ。俺たちの子供は素晴らしいと言うけれど、本当のことを言うと、可哀想だと思っている。さかんにあたりを見まわしても、やつらに見えるものといえば、それは埃だけさ。俺たちのダンスを見にくるのはいいが、写真を撮ろうと、いつもキョロキョロしている。連中は、俺たちのことを知ろうと思って、俺たちの家へ入ってくるけれど、時間は5分しかないと言う。土と藁だけでできてる俺たちの家は、彼らから見ると妙チキリンなんだよね。だからここに住んでいなくてよかった、と本当は思っているわけ。そのくせ、俺たちが究極の理解への鍵を握っているんじゃないかと疑っている。俺たちの人生の秘密を見つけだそうとすれば、永遠の時があっても、連中には足りない。たとえ見つけたとしても、やつらはそれを信じないだろうよ」
 なにも付け加えることはない。文明に飽きた現代人(当然、僕も含まれるのだが)は文明以外のもの、自然や伝統やシンプルなもの、あるいはいま在るもの以外のものに現代文明のマイナスの部分を反転させてくれそうな有効性を望んでいる。しかしそれらは現代文明からの一時の避難でしかないことをインディアンの古老たちは見抜いている。文明なしでは生きていけないことを、文明の便利さを捨てる気もないことを見抜いている。





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