31)旅芸人の記録

 
『旅芸人の記録』(1975年、ギリシャ、テオ・アンゲロプロス監督)は長くて沈鬱で辛抱のいる映画だった。
 第二次世界大戦のはじまる1939年からギリシャに右派政権ができる1952年までの13年間を、ギリシャ古典劇を上演する旅芸人たちが時代の目撃者として旅する、という物語で、ギリシャの古典や歴史を理解していない僕には、ときどき途惑うようなシーンもあったが、それなりに辛抱して観ていると、観客のこちらが息をつげないような非常に長いワンカットや、決して急ごうとはしない旅芸人たちの雪道を歩くシーンなど、印象的な映像がいくつもあった。
 この映画は、父を裏切った母とその愛人に対する復讐劇、ギリシャ悲劇「エレクトラ」をベースに展開されているらしいが、あくまでもベースであって、そのことを知らないことでこの映画のおもしろさが半減されることはない。軍事独裁、ナチス、ふたたび軍事独裁とつづいたギリシャの現代史を理解していなくてもこの映画のおもしろさが半減することはない。この映画でおきていることはただたんにギリシャ一国だけのことではなく、注意深く観ていればどこの国でも、日本でもおこりうることなのだから。
 アンゲロプロスは
『シテール島への船出』(1983年)もそうだが、ギリシャの現代史の暗部を光のささない風景の中で描く特異な監督だが、この映画でも、ギリシャの紺青の空は決して映さず、いつも夜であったり、曇天、雨、雪、のシーンのみでつないでいく。それは、現代史のなかでギリシャが置かれた位置を象徴しているのか、ギリシャの歴史に対するアンゲロプロスの思いなのか、それともただたんにアンゲロプロスの好みなのかわからないが、それも沈鬱で辛抱のいる映画と感じた理由の一つである。
 撮影は軍事政権下の1974年にはじまり、軍事政権には検閲用に偽の脚本を提出し、スタッフ、俳優はすべて軍事政権に反対している人を集め、それでもほんとうの脚本の全容は誰にも知らせず撮影にはいったという。撮影中も警察の検問を受け、そのたびに、軍事政権を讃える映画だ、とか、ギリシャの古典劇だ、と言い逃れて撮影はつづけられたが、1974年7月、軍事政権が倒れて完成にこぎつけたという。その間、軍事政権はアンゲロプロスが撮影していることが何なのか理解できなかったのだ。
 酒場で王党派と左派がそれぞれの歌を歌い合うシーンは、
『カサブランカ』(1942年、アメリカ、マイケル・カーチス監督)のナチスとフランス国歌を歌う市民の歌合戦を思い起こさせたりしたが、この映画では王党派が銃の威力で左派を封じてしまう。そこがアメリカ映画と違う、となんとなく思って観ていた。
 最初に沈鬱で辛抱のいる映画だ、と書いたが、同時に、人間の逞しさを感じさせる映画でもあった。
 特に、弟が母を殺して、その弟が秘密警察に殺されても、あるいは、転向したり廃人になっていく座員をじっと見据えながら、ギリシャの現代史を生きていくしかないという女性を演じた主演のエバ・コタマニドゥの存在感がよかった。
 冒頭部分、旅芸人の一座が小さな駅に降り立ったシーンは人の孤独を象徴させるシーンでもあったが、その一人ひとりの存在感は寡黙さを越えて逞しささえあった。



32)ブラック・コメディ

 ユーモアのセンスのない僕がブラック・コメディなど観ても笑えないのは当然であるかも知れないが、どうも、コメディは苦手である。とくに外国のコメディはその国独特の「笑うツボ」のようなものがあるらしいが、どうもそこらへんがよくわからない。だからといって日本のコメディは笑えるかというと、日本のコメディもたいして笑えない。
 
『ケロッグ博士』(1994年、アメリカ、アラン・パーカー監督)は主演のアンソニー・ホプキンスの、余裕のある演技、と言っていいだろうか、時には自信たっぷりに時にはペーソスを交えたケロッグ博士を演じていて、ペテンにちかい医者を好演していた。
 「健康病患者」というものが時々いる。口にするものは自然栽培されたもので、肉や酒、煙草は健康を阻害するものでしかなく、健康を阻害するものは断固拒否して、健康であることが人生の目的である「健康病患者」である。
 この映画はその「健康病」に罹った人たちの、博士の経営する療養所を舞台にした「ブラック・コメディ」である。
 健康によい「コーンフレーク」の発明者ケロッグ博士の療養所は、野菜と海草だけの食事で、酒煙草はもちろん、セックスも有害である。1日に4〜5回も浣腸をし体内の汚物を取り除き、健康体操と電気風呂療法で健康の回復を行っている。
 その療養所へ、ケロッグ博士の信奉者であるエレノアとその夫でアル中のウィルや、コーンフレークでひとやま当てようという若者がやってきたことからテンヤワンヤの大騒動になるのだが、たいして眠むたくならなかったからおもしろかったと言ってもいいかも知れない。
 さんざん「健康病」を求めるケロッグ博士の哲学が皮肉っぽく語られた後、電気風呂療養での事故死をきっかけに、人間の欲望は健康よりも大切である(と、僕は勝手に思っているのだが)話に転換していく。
 「この療養所では人が殺されている」と叫び出すウィルはふたたび酒に溺れ、血の滴るレアのハンバーガーを食べ、妻のエレノアも療養所を抜け出して、怪しげな医者の性感マッサージで性的満足を得たりして、一方、博士も出来損ないの義理の息子に療養所に放火され、テンヤワンヤで終幕に近づき、療養所を出たウィル夫妻は4人の子どもができ、療養所を再建したケロッグ博士は80何歳かの誕生日に川に飛び込み死んでしまう。
 この映画が、健康志向はいいが過剰な健康志向を皮肉っていると観るのか、健康志向そのものを笑い飛ばしていると観るのかは、観客それぞれの問題でしかないが、確かに不健康よりは健康にこしたことはない、と言うのが大部分の意見だろう。とくに現代は農薬や化学物質で汚染された食物から健康を害する人がいて、農薬などを一切使わない自然栽培で作ったものしか口に出来ない人たちがたくさんいて「健康」というよりも「食」を考える風潮が拡がっているが、地球上の人口はどんどん増えている、その食を賄うには大量生産を必要とされ、最近は遺伝子操作とやらで天災に強い物や大量生産できる物を作ろうとしているが、遺伝子操作の安全性など何一つわかっていなくて、しかし、人口は増え、食料はだんだん足りなくなっているし、まるで人間の死体を加工して食べなければならない
『ソイレント・グリーン』(1973年、アメリカ、リチャード・フライシャー監督)の世界が実現しそうな時代になりつつある。



33)一瞬の素顔

 イランの映画監督アッバス・キアロスタミのジグザグ道三部作といわれる
『友だちのうちはどこ?』(1987年)『そして人生はつづく』(1992年)『オリーブの林をぬけて』(1994年)は忘れられない映画だった。
 イランの首都テヘランから360キロ北にあるコケル村を中心に、村の住人と俳優とを組み合わせたドキュメンタリータッチの映画だった。
 『友だちのうちはどこ?』は、友達のノートを間違えて持って帰ってしまった少年が隣村の友達にノートを返しに行く物語。『そして人生はつづく』はコケル村を襲った地震から5日目、『ともだちのうちはどこ?』の映画監督が息子を連れて映画に出演した子どもたちをコケル村に尋ねていく物語。『オリーブの林をぬけて』は『そして人生はつづく』の撮影現場を舞台に映画の中で夫婦役を演じた男女の恋の行方の物語。
 というより三つの映画が互いに絡み合いながら、村の人々の日常を描くことだけに集中している。けっして政治には関わらない。
 宿題を忘れて困っている少年の顔や、自分の作った窓や戸口の自慢話ばかりする老人や、地震が襲った村に車でむかいながら被害にあっただろう少年の身を案じている監督の顔や、相手の気持ちなどかまわず自分の恋心だけを押し売りする青年や、エキストラから主役が選ばれるときの緊張とも興奮ともつかない少女たちの顔や、少年や監督自身あるいは娘の将来を暗示させるジグザグ道など特徴のある人物や風景が出てくるが、映画のほとんどはオリーブの林と荒地、貧しい村、劇的効果などなにひとつない会話で占められていて、村人はそこで生まれてそこで死んでいくだろうことを想像させる日常のあれこれが淡々と描かれていた。
 それなのに、退屈せず観てしまったのはなぜだろう、と考えると、それはたぶん、コケル村の住人である少年やおとなや老人たちが垣間見せる素顔がハッとするほどの新鮮さをもっていたからではないだろうか。
 映画に関わらず表現に関わる人たちは自分の作物に過大な思い込みを持ちすぎて、京劇役者のように、歌舞伎役者のように、素顔を塗り潰して、掌のなかの孫悟空のように自分の作物のなかから逃げられなくなるときがある。そういう映画、監督の自己主張ばかりが強すぎる映画や、役者の得意げな演技が横行している映画や、生や死を大仰に嘆いてみせることが生や死を考えていることだと誤謬に充ちている映画、などを観ているとこの三部作でときおり見せるコケル村の人たちの素顔を見ていると、たしかにこれが人間の顔だ、日常はこのような無駄と退屈さとささやかな自己充足で充たされているのだ、と納得させられてしまう。
 職業役者の持っている肉体の言葉を削ぎ落とした、簡素な身体の在り方が成功した例だと思う。
 アッバス・キアロスタミも映画監督だから素人の存在感だけで映画を創っているわけではないだろう。セリフなどはアドリブは一切使わず、キアロスタミの脚本を正確に使ったというし、十二分に計算された演出があったらしい。しかしその演出が意図しない、一瞬の素顔、それがこの三部作ではすばらしかった。
 


34)自由なアメリカを夢見て

 僕らの世代にとって、やはり
『イージー・ライダー』(1969年、アメリカ、デニス・ホッパー監督)は避けて通れない。アメリカン・ニュー・シネマとかいわれて、このころ、脱体制の若者が自由気ままに旅をするという、ロケーション中心の映画がたくさんつくられたが、そのはしりは『イージー・ライダー』である。ピーター・フォンダとデニス・ホッパーのコンビ、キャプテン・アメリカとビリーがチョッパーと呼ばれるカッコいいオートバイに乗って、自由気ままに旅をするだけのことではあるが、当時アメリカはベトナム戦争やマリファナ、人種問題、反体制グループなどで混迷していた時期で、日本でも70年安保の真っ盛りだった。
 だから、体制や秩序から逃れて自由な自己表現をする、というテーマは当時の若者に受けた。おまけにカッコいいオートバイに乗り、ロック音楽が全編流れていればそれだけでよかった。
 しかし、キャプテン・アメリカやビリーは、脱体制・脱秩序であったが、反体制・反秩序ではなかった。麻薬でもうけた金をバイクのタンクに隠して旅する二人は、南部でのもめ事を避けて野宿したりしながら旅をしているし、奇妙な姿の若者を嫌う南部の男の銃によって、ふたりとも簡単に撃ち殺されて、映画は終わってしまうのだが、キャプテン・アメリカやビリーが声高に反体制・反秩序を叫ばなくても、アメリカの現実を描いていけば、そこに病めるアメリカが透けて見えてくる、というような構図があった。
 アメリカン・ニュー・シネマといわれる作品の数々は制作者の意図がどうであれ、社会的・政治的意図で語られてしまうという不幸がつきまとわざるを得ないというのも、時代と添い寝している映画というメディアの宿命かも知れない。
 リチャード・C・サラフィアン監督の
『バニシング・ポイント』(1971年、アメリカ)では車の運び屋(バリー・ニューマン)がデンバーから、サンフランシスコまで(確か)2日か3日で運ぶ賭をして、パトカーと追いつ追われつのカーレースを繰り返し、最後は警察隊のバリケードに自ら激突していくという話である。先の『イージー・ライダー』でもそうだったが、その映画でもヒッピーたちからマリファナをすすめられるが断るシーンが出てくる。反体制といえばマリファナと思っていたが、そうではないことが新鮮だった。それからもう一つ、この運び屋はコワルスキーという東欧系の名前を持ち、コワルスキーの行動を応援していた盲目の黒人の私設ラジオのディスクジョッキーが町の連中に半殺しの目に遭うのも『イージー・ライダー』を思い起こさせた。
 いまから思えば、映画的には凡庸なつくりのこれらの映画が僕の心を捕らえたのはやはり「時代」を抜きには語れないと思う。これらの映画を観ていた「時代」がどうであったのか、それらは観客の数だけ在るのだが、僕には忘れられない映画である。
 ついでにもう1本。スティーブン・スピルバーグのデビュー2作目の
『続・激突!カージャック』(1973年、アメリカ)は刑務所を脱獄してパトカーを盗んだ若い夫婦が、自分の子どもを誘拐してパトカーに追われるという話で、たいした映画ではなかったが、このなかに、迷走服を着たジョン・ウェインそっくりの男が出てきて、脱獄犯を撃ち殺そうとするシーンがあって、1968年につくられた『グリーン・ベレー』というアメリカの特殊部隊がベトナムで活躍する映画の主人公だったジョン・ウェインに異議申し立てをしているようで、とても印象に残っている。



35)空を飛ぶ話から

 毎年、民放TVで「鳥人間コンテスト」とかいう催しがあって、動力を使わない飛行物体を持ち寄って、どれだけ飛べるかを競うコンテストがある。たいがいが足漕ぎ飛行機で、宙に飛んだかと思うとすぐに墜落するものや、結構飛んでみせるものまであって、人間はいつの時代も空を飛ぶという夢、それも動力を使わず、両手と両足を使ってどこまで飛べるかという夢、を追い求めているのだということがわかる。
 あの平賀源内も空を飛ぶ研究に熱心だったという。
 ライト兄弟が複葉飛行機で1903年12月17日に初めて空を飛ぶことに成功してからまだ95年しか経ってないというのに人類は、月まで人を送り届けることに成功している。月どころか、無人だが太陽系の外にもロケットを送ることに成功している。この人類の頭脳には驚くと同時に、その急激な進歩をほんとうに人類は必要としているのか、という問いがいつも付きまとっている。
 確かに飛行機のおかげで、移動時間は極端に短縮されたが、その短縮されて余った時間を、また、短縮された時間に使わされて、余暇が余暇でなくなっていることを寂しいと思わないのだろうか。「時間を有効に使おう」と言ってしまうことは既に時間に支配されていることでしかない。
 今年、日本経済は破綻の道を転げ落ちている、と言われているが、経済のために使っていた時間を、何か別のもののために使う絶好の機会でもある、と発想の転換をしてみてはどうだろう。
 
『光年のかなた』(1980年、フランス・スイス、アラン・タネール監督)という映画には人工の翼で光年のかなたに旅立っていく老人(トレヴァー・ハワード)が出てくる。汚い小屋で一生を賭けて翼をつくっていた老人の話だが、映画自体は、老人が青年に、人生とは何か、生きるとは何か、夢とは何か、という教訓譚のたぐいで、ほとんど眠むたくなるような映画だった。
 しかし、このような世間からは変人扱いされた老人は昔はたくさんいた。「無用の用」という言葉がある。無用とされていたことがかえって大用をなす、という意味だが、大用をなさなかったとしても、無用であることは大切なことではないだろうか。現在では有用であることだけが優先して、無用であることは無視されるか拒否されるだけである。
 僕が小さい頃(昭和20年代)、近所には変な人がたくさんいた。さすがに人工翼で空を飛ぼうとした人はいなかったが、東大を出ていて、勉強をしすぎて頭がおかしくなったという噂のあるMさんや、そこら辺の子どもをかき集めていつも町中を走っていたTさんがいたし、いまから考えればペテンのようなものだが、習字の半紙に裏側から文字を書くと、見ている僕らには正しい文字が見えるという特技を持っていたRさんは子どもたちの尊敬の念を集めていた。
 大人たちもまた、彼らの存在を「困ったもの」とは思っていたかも知れなかったが、僕の記憶する限りでは、決して拒否しようとはしていなかった。彼らが戸口に立つと、お米や野菜をあげていた。
 いま彼らはどこかへ収容されている。それがどこであるのかみんな知っているのに、僕も含めて皆、自分の生活と経済が大切であり、それ以外のことは知らないふりをしている。



36)逞しい女性

 飛行機のパニック映画を観たのは、
『エアーポート75』(1974年、アメリカ、ジャック・スマイト監督)が最初だった、と思う。
 飛行中のボーイング747の操縦席に小型飛行機が衝突し操縦室に穴が開き、操縦士も死んでしまう。操縦士のいなくなった飛行機は迷走しこのままでは墜落するというとき、別な飛行機から事故機の操縦席に乗り移るというチャールトン・ヘストンの超人的活躍で飛行機は救われるという映画で、このあと、何作かシリーズ化されたが、二番煎じだった。
『エアーポート98』などというのも観たが、もう少しどうにかしてほしいと思った。
 久しぶりに
『乱気流 タービュランス』(1997年、アメリカ、ロバート・バトラー監督)という飛行機のパニック映画を観た。
 『エアーポート75』から23年も経っていると、仕掛けも大掛かりになり、飛行機が操縦不能になるのと飛行機に殺人犯がいるという二重の仕掛けでワクワクさせてくれることになっている。
 昔はパニック映画の主役は有名男優が勤めていたが、最近は女優が活躍するようになった。これは男女雇用均等法の影響か、ただたんに女性が強くなったからなのか。
 女性がスーパーヒロインになった映画のはしりといえば、
『エイリアン』(1979年、アメリカ、リドリー・スコット監督)で活躍をした女性航海士・リプリーを演じたシガニー・ウィバーではなかったかと思う。
 『エイリアン』は何の期待もしていなくて、と言うか、二本立てだったので、お目当てはもう一本のほうだったような気がしているが、思いがけずおもしろくて、儲けもののような映画だった。昔は映画も二本立てで、併映されていたほうの映画がおもしろいことが少なからずあって、「儲けた」気分に少なからずなれたが、最近は一本だけのロードショー形式で、「損をした」気分になる映画が多い。
 まだ一作目のリプリーは超人的な女性ではなかったが、二作目になると、筋肉隆々の女性の海兵隊員も加わって、怖じ気づく男性隊員を鼓舞してエイリアンと闘うところが80年代の男性社会を皮肉っていておもしろい。
 一方、90年代にはいると
『ニキータ』(1990年、フランス、リュック・ベッソン監督)のような孤独なスーパーヒロインが登場する。
 男性のスーパーヒーロー・スーパーマンの従妹を主人公にした
『スーパー・ガール』(1984年、アメリカ、ヤノット・シュワルツ監督)なるものもつくられたが、これはお遊びの映画で、フェイ・ダナウェイの猛女ぶりが逞しかった。
 『乱気流 タービュランス』に話を戻すと、同行の警官4人を簡単に始末してしまうような凶暴な連続殺人鬼や強盗犯と闘いながら、操縦士を失った飛行機を無事ロサンゼルス空港に着陸させるというスーパーガールを演じたローレン・ホリーという女優は初めて観たが、シガニー・ウィバーのように男性を圧倒するような迫力はなく、おろおろと涙を流しながら右往左往する普通の女性で、それでも決めるところはちゃんと決めるという、いまどきの男性にはなくなりつつある勇気を感じたが、もともと男性は女性の変形でしかないから、それも仕方のないことかも知れない。
 この映画のクライマックスシーンは、夜のロサンゼルスに墜落寸前の飛行機の行方であるが、高層ビルの最上階を壊しながらも墜落を免れるシーンのSFXはさすがアメリカ映画と思わせて、いつまでたってもアメリカ映画は爆弾を破裂させたり、ビルを破壊させることがパニック映画の原点だと思っている節があって、その予定調和的な方法論もまたこの手の映画の必須アイテムである。



37)シドニー・ポワチエ

 黒人俳優がアメリカ映画で主役を張るようになったのはシドニー・ポワチエが初めてだったと思う。しかし、そのシドニー・ポワチエは知性のある善良な黒人を代表していて、差別のなかで苦しむという黒人の一典型を演じていて、白人の側から観て安心できるキャラクターでしかなかった。そう考えるのはもしかしたら僕の偏見かも知れないが、1967年につくられた
『招かれざる客』(アメリカ、スタンリー・クレイマー監督)で初めてシドニー・ポワチエを観たとき、そんな印象を持った。
 サンフランシスコの中流家庭の娘(ホートン・ヘップバーン)が結婚を誓い合った青年(シドニー・ポワチエ)を父親(スペンサー・トレーシー)に紹介するが、彼は黒人だった、というアメリカの人種問題を問いかけるスタイルを持った映画で、黒人を婚約者として娘から紹介された父親は、人種差別反対を訴えていた新聞社を経営している人物、という設定で、この映画を見て、アメリカの人種問題を考えなければならない、というような映画だった。日本にいて、アメリカの人種問題なんか考えようもなかったので、無視せざるを得なかったが、この年、シドニー・ポワチエはもう一本の映画を見せてくれた。
 
『夜の大捜査線』などと馬鹿な日本語タイトルを付けた『IN THE HEAT OF THE NIGHT』(1967年、アメリカ、ノーマン・ジェイソン監督)はジャズのナンバーと共に南部の熱気が伝わってくる映画だった。ここでも白人の黒人に対する差別があらわに出てくるが、その黒人差別がスリリングな展開を呼んでいて、人種差別というサスペンスが展開されていた。
 ミシシッピーの田舎町、ニューヨークへ帰るため、夜汽車の乗り換えのために降りていた小さな駅で、ニューヨーク市警の殺人課刑事バージル・ティップス(シドニー・ポワチエ)は殺人容疑で逮捕される。南部の田舎町の殺人事件など扱ったことのない小さな警察署は署長(ロッド・スタイガー)以下全員黒人を差別している。
 ティップスの警察手帳を見たときの署員の驚きとか、ニューヨークへ身元確認をしたとき、優秀な殺人課の刑事だと聞かされたときの署員の、「そんなばかな」と、その事実を認めようとしない表情で、この町における黒人の位置がわかるような演出は巧みだった。
 熱波の襲っている寝苦しい夜、ティップスは町の女が殺された事件の犯人にされるのだが、刑事とわかり町を追い出される。ところが、列車を待っているティップスの許に署長が現れ、黒人の刑事に偏見を持ちながらも殺人事件のベテラン刑事としてのティップスに捜査の協力を頼む。この辺のやりとりはおもしろかった記憶があるが、細かいところは忘れたので書けない。
 しぶしぶ捜査に協力することになったティップスは、黒人差別の激しい町のボスをはじめ、町中の偏見と闘いながら、ときには生命を奪われそうになりながらも、犯人へたどりつく。人種偏見に腹をたてながらも職業的関心から犯人を追いつめるシドニー・ポワチエが良かった。
 ラストは、徐々にティップスを認めはじめた署長が、ティップスを駅まで見送りにきて、男同士の友情がそれとなく生まれる、という60年代のフランス映画の男同士の友情物語のようなラストシーンに仕上がっていたが、ここは、ロッド・スタイガーのアクの強い個性を生かして、白人と黒人はついには和解できない、というラストが、この映画にはふさわしいように思われた。この、熱波に襲われている南部の小さな町はまだ黒人が綿花を摘んでいるのだから。



38)意表を突く映画

 大仰な予告編があって、いや、予告編というのはすべて大仰に繋ぎ合わせているものだが、その大仰な予告編にだまされて観に行くと、出だしから全体が読めたりすることがある。とくに、「犯人があなたにわかるか」とか、「最後の最後でドンデン返し」とかいう予告編を観ると、どんなことがあっても出かけてしまうから、自分でも馬鹿だと思っている。
 
『ユージュアル・サスペクツ』(1995年、アメリカ、ブライアン・シンガー監督)の時もそうだった。「大量のコカインと9100万ドルが消えた。伝説の大物ギャング、カイザー・ソゼとは誰か」という挑戦的な予告編にひかれて観に行ったが、この手の映画は、もっとも犯人から遠い人物を当たればいいのであって、その当たりはついたし、推測は間違っていなかった。問題は当たりをつけた人物がどのような形で自らを犯人と認めるかにあるが、警察から出てきた男の足許が執拗に映されていると、足を引きずっていた男の足が徐々に正常な歩き方に変わり、歩幅も広くなり、その足許が自信に充ちた力強いものになりかけたとき、いままで足の不自由な風采の上がらなかった男が暗黒街のボスの顔に変わり、黒い高級車がボスを迎えにやってくる、そのとき警察もその正体に気づいて後を追うが間に合わない、という最後の何分かは、映画的典型を踏んでいたとはいえ、久しぶりにおもしろかった。
 最後の最後にドンデン返し、は
『スティング』(1973年、アメリカ、ジョージ・ロイ・ヒル監督)が印象に残っている。
 ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードのコンビが軽快な音楽に乗って、仲間を殺したギャングのボスに仕返しをする話である。
 偽の競馬放送を使ってギャングのボスの金を騙し取る話だが、そのままだと、ボスに狙われつづけるから、彼らは金を巻き上げた瞬間、チンピラのいざこざに巻き込まれたふりをして、射殺される、というトリックで大金をせしめるのだが、ロバート・レッドフォードが射たれた瞬間、あっ、これは空砲だ、と思ってしまったのは、ロバート・レッドフォードが死んでしまっては映画にならないからで、この、射殺された後巻き添えになるのを嫌ってボスが逃げていったのを見計らって体を起こすシーンには、やっぱりそうだろう、と思わずにはいられなかった。
 それでもこの映画がおもしろかったのは、1930年代の風俗を背景にテンポ良く流れる音楽と、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードのコンビの魅力が大であった。
 ドンデン返しではないが、意表を突く終幕だったのは、
『猿の惑星』(1968年、アメリカ、フランクリン・J・シャフナー監督)が印象に残っている。地球を出発した宇宙船が不時着した惑星は猿が支配していて、人間は家畜同様に扱われていた。飛行士・チャールトン・ヘストンの冒険の結果、この惑星が核戦争後の地球であったという結末は、時としてハリウッドは、アメリカ批判をするがそれは商業主義とは手の切れない程度の批判でしかなく、自由の女神像を前に、人類の愚かさを涙するチャールトン・ヘストンの姿は、「わたしたちは一応警告しておきますよ。あとは人類の問題ですよ」といったようなハリウッドの声を代表しているようだった。
 意表を突く終幕だった、と先に書いたが、ほんとうは、旧時代の遺跡が発掘される洞穴から人形が出てきたり、猿の世界の聖書(?)に旧時代のことなどが暗示されていて、なんとなくここは地球ではないかということはぼんやりとはわかっていて、自由の女神像は追い打ち的なダメ押しシーンではあったが、チャールトン・ヘストンが自由の女神像を見て泣いているのを見て、日本人はなにを見て泣くのだろうか、と思った。



39)ウエスト・サイド物語

 食料品店の手伝いをしている貧しい青年が、敵対しているグループのボスの妹に恋し、敵対することの不毛さを説きながら殺されてしまう、というのが
『ウエスト・サイド物語』(1961年、アメリカ、ロバート・ワイズ監督)の大まかなあらすじである。
 この、大人になれば恋をし、無軌道な行動を批判しはじめるという反動的なつまらない話を一級品の青春映画に仕上げたのは、ニューヨークのスラム街で対立するイタリア系のジェット団とプエルトリコ系のシャーク団という移民の貧困階層の不良グループたちが繰り広げる劇中の歌と踊りである。
 この映画は中学生のとき観たと思うが、口笛が流れてくるオープニングから、いままでの映画とは違うぞ、という興奮に近いものがあった。ニューヨークのスラム街の碁盤目の通りの俯瞰から映画ははじまり、バスケットボール場での両グループの小競り合いの場面からして、スピーディでこなれた動きで、これが新しいミュージカルかとすこし興奮しながら観ていた。
 ガレージで、火照った心を鎮めるために「クール、クール」と歌いながら踊る場面や、裁縫の仕事をしている屋上で新天地アメリカへの思いを込めて歌う「アメリカ」や、めめしく恋するリチャード・ベイマーが歌う「マリア」や、登場人物それぞれの思いを込めて歌い継がれる「トゥナイト」など、いまでもちゃんと覚えているから、やはり『ウエスト・サイド物語』は凄い映画だったと改めて思う。
 ミュージカルだから仕方ないとしてもこの映画には歌と踊り以外はなにも観るべきものがない。
 かつては貧困と差別に反発して、無軌道になることでそれらへの反発という意志表示をしていただろう若者が、大人になって恋をすると、貧困と差別にあがいている若者たちに、いがみ合うことはない、というなんの有効性も持たない介入をして反対に刺されてしまうのだが、ラストシーンは殺された若者を双方のグループの少年たちがかつぎ上げるという和解で締めくくられていて、歌と踊りが爆発して、「ロミオとジュリエットの恋」が展開されて、和解にいたる、というまさにアメリカの商業映画的な作りがはっきりと見えて、双方の不良グループは、貧困と差別という問題がなにも解決していないのに、一人の男の死を契機にノー天気的に和解してしまうというあっけらかんとした終わり方だが、もうすこし考えてみると、貧困と差別にあがいていた若者たち、という僕の設定が間違いで、ただたんに青春の血の多さのためか、あるいは縄張り争いが原因で、不良グループは対決していただけなのかも知れない、と考えなおしてみると、ラストの和解のシーンも「もうそろそろ不良をやめて大人になろうや」という大人受けする脱反抗期のシーンであり、一人の若者の死が少年たちを更生させるだろう、という教訓を与えるに充分な映画だったのかも知れない、と、中学時代に観た映画を思い出しながら、50歳になった僕が今そんなことを考えるのは、映画の同時代性から外れた無意味なことなのかも知れないと反省している。
 そのころ、シングルレコードは裏表に1曲ずつ曲がはいっていたが、『ウエスト・サイド物語』に関しては、片面2曲、両面4曲収録したレコードを売っていて、「トゥナイト」「マリア」「アメリカ」「クール」の4曲が収められていた記憶があるが、そんなレコードはどこへ行ったのかとっくに無くなってしまった。



40)潜在的な欲望

 スタンリー・キューブリックの
『時計じかけのオレンジ』(1971年、イギリス)を観たのは23か24歳の時だった。タイトルの奇抜さと共に、抵抗力のない浮浪者をステッキで殴りつけるシーンや、「雨に唄えば」のメロディにのって女を強姦するシーンなど、刺激に充ちた映画だった。
 近未来、麻薬と暴力とセックスに明け暮れる非行グループのボス・アレックスは仲間に裏切られて、警察に捕まってしまう。刑務所に入れられたアレックスは、人間の攻撃性を失わせる実験台にされ、攻撃性どころか、人格まで奪われたようになり、人畜無害となったアレックスは釈放される。
 ところが今度は、今までアレックスにいたぶられていた連中が、アレックスが抵抗をしないことを見て取って、アレックスに復讐をし始める。ほとんど殺されそうになったとき、アレックスは奇跡的にもかつての凶暴性を取り戻す、という皮肉な結末で終わってしまう。
 凶暴性を取り戻したアレックスはまた以前のように弱い者をいじめ、強姦を繰り返すだろうが、薬物の利用で人格をコントロールし凶暴性を奪ってしまおうという発想は、暴力よりも恐いものである。
 キューブリックはアレックスという一人の青年を通じて、ヒトの持っている凶暴性、その凶暴性を何か大きな力(国家や社会、倫理といったもの)で制御しようとしても一時的には制御できるかも知れないが、やがて凶暴性は蘇ってしまうしかないという、大きな力と個の問題、あるいは、アレックスの被害者だった人たちが、アレックスが無抵抗と見るや、今度は加害者に変わっていくという人間の暴力に対する潜在的な欲望を描いていて、刺激に充ちた映画だった。
 なおこの映画には母乳成分のウルトラミルクを飲ますバーが出てくるが、やはり男は相も変わらず母性を求めているのかと思ったりしたことが記憶に残っている。
 潜在的な暴力といえば同じ年につくられた
『わらの犬』(アメリカ、サム・ペキンパー監督)がある。
 ダスティン・ホフマン演じる平和主義の学者が、暴力が蔓延しているアメリカを捨てて、妻の故郷スコットランドに行くのだが、そこにも暴力があって、今で言う「ぶちきれた」ダスティン・ホフマンは自らの暴力に目覚めてしまう、という話だが、ダスティン・ホフマンの背の低いパッとしない平和主義者が暴力に目覚めていくシーンは、暴力の切なさをかいま見せてくれたようだった。
 暴力の被害者にはなっても、加害者になるようなタイプの役者ではないダスティン・ホフマンを起用したこともヒトが潜在的に持っている暴力という側面を浮かび上がらせることに成功していた。
 
『ダークプラネット』というSF映画では、男の凶暴性を嫌った女たちが遺伝子を操作して精子から凶暴性を取り除いたが西暦2500年、男の精子は生殖能力がなくなり、精子に凶暴性の残っていた2100年にタイムスリップして凶暴性の残っている男を誘拐してきて、人類滅亡の危機を免れる、という話で、この映画でも「凶暴性」が扱われているが、その「凶暴性」と「ヒトとしての在り方」の関係には眼を向けることなく、長老の意見を無視してタイムスリップした女たちが生殖能力のない男たちと砂漠へ追放されるが、生活環境の変わった男たちには生殖能力が戻ってくるというあっけらかんとした幕引きが待っていて、もう少しどうにかならなものかと虚しくなった映画だった。






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