このエッセイは1993年3月〜1997年3月まで「高知新聞」に連載したもので、「高知新聞」の許可を得て転載するものです。

『幕あいエッセイ』(抜粋)
                      by 大家 正志



ロード・ムーヴィー    

 ジム・ジャームッシュ監督の
『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1991年・アメリカ)を観てきた。
 ジム・ジャームッシュやヴィム・ヴェンダース等の作る映画はロード・ムーヴィー(放浪映画)と呼ばれている。一ヵ所に定住することなく、放浪しながら街や人に出会い、自分自身を探していくという形式を持っている。そういう形式だけなら映画の歴史のなかに腐るほどある。彼らの映画に共通して言える特長的なことは、孤独や愛や慰めや単調な日々に対するひっかき傷が映画の重要な部分を占めているということだ。ジャームッシュの
『パーマネント・バケーション』『ストレンジャー・ザン・パラダイス』、ヴェンダースの『都会のアリス』『パリ・テキサス』などでは映画を作っている彼らの息遺いがそのままフィルムに焼き付けられたような鮮明さを持っていた。そこでは彼らは、自分自身の足跡をたどる旅の一部始終を寡黙な筆致で描いていた。
 たとえば60年代後半、
『バニシング・ポイント』『イージー・ライダー』といった今で言えばロード・ムーヴィーに属する映画があったが、それらの主人公は悲観的な死を用意されることにより、時代との闘争を鮮明にするための方法論として登場していた。時代か個人かという二者選択的な命題さえ提出されていたように思う。それは60年代と80年代の決定的な時代認識の差なのかもしれない。
 90年代のロード・ムーヴィーは
『ナイト・オン・ザ・プラネット』から始まった。しかし、ジャームッシュは残念なことに映画のおもしろさを知り初めて、彼自身のひっかき傷がシーンとシーンを繋いでいくという彼の特長を忘れてしまったらしい。



髪結いの亭主

                                  
 
『髪結いの亭主』(1990年・フランス・パトリス・ルコント監督)という奇妙な映画を観た。子供の頃、理髪店の中年の女主人に性的な憧れを抱いた少年が、中年近くになって望みどおりの髪結いの亭主になってしまう。髪結いの亭主になった男は、理髪店の椅子に一日中腰掛けて妻が散髪の仕事をするのを眺めて暮らしている。暇ができればセックスをし、怪しげなアラブのダンスをして「髪結いの亭主」であることだけに満足して暮らしている。妻はセックスも散髪も上手だし、何一つ不満のない生活が続いていたが、ある夕立の日、店のなかでセックスをした後、妻は川に身を投げて死んでしまう。「一番幸せな時に死にたい」という遺書を残して。女性の観客からすれば「男の夢物語」という批判が起こるのは当然のような映画である。なにしろ、若くて魅力的な女理髪師と初めて会って「結婚しよう」という一言だけで結婚してしまうし、結婚した妻は働かない夫になんの不平不満も言わず、そのうえセックスが上手で、仕事中にも夫の愛撫を受け入れてくれる。これ以上ない「髪結いの亭主」の話である。団塊の世代である僕らは、好むと好まざるにかかわらず、高度成長のレールの上に乗っかってここまで来た。自覚的であったにしろ、無自覚的であったにしろ、日本の経済的な発展の片棒をかついで生きてきた。その見返りとして中年になった今、喪失感というささやかな病いを引き受けている(相変わらず経済的な発展を第一義と考えている人もいるが)。大衆消費の時代から差異の時代へ、などというマス・メディアの格好の標的になって、日常生活を右へ左へ上へ下へ宇宙遊泳みたいなおお忙しで過ごしてきた。おかげで日本の経済はろくろ首のようだし、日本の政治はのっぺらぼうのようだ。おまけに社会のため家族のためにとレールの上をつっ走ってきた僕らは自分自身に対する喪失感で充たされている。90年代に入って、「物質よりも心の時代」というキャッチフレーズがなんの臆面もなく罷り通っている。「反省だけなら猿でもできる」が、今度は「心の時代」という言葉が商品化され、過去の異常な生産活動に対する免罪符にされようとしている。僕ら団塊の世代が、「経済活動」という幻影の虜にならずに、この「髪結いの亭主」のように(少年が髪結いの亭主になろうと決めたのは1947年だった)、経済的な貢献など何一つせず、私的な性的嗜好のみに関わって生きてきたなら、日本の経済的な発展と引き替えに何を得られていたのだろうか、と考えさせられたのは僕一人だっただろうか。政治からも経済からも遠く離れて生きること。自己充足だけに生きること。何も生産しないこと。『髪結いの亭主』が提示したひとつの幻想は、団塊の世代への反面教師の役割をしていたような気がする。



余白の想像力

 ヌーヴェル・ヴァーグといっても、もう旧聞に属することらしいが僕ら団塊の世代より上の世代には「映画という興奮」を存分に感じさせてくれた映画の波状攻撃だった。
 そのヌーヴェル・ヴァーグの理論的指導者だったジャック・リヴェット監督の映画をはじめて見た。タイトルは
『美しき諍い女』
 この映画は上映前からマスコミによって、芸術性の高さとヘアの無修正問題が取り上げられた。芸術性とかヘアとか映画自体にとっては蛇足のようなものが先行し吹聴されたが、理由はなんであれ、観客が一人でも多くはいるのはいいことだ。
 ストーリーは単純、かつ平明だ。10年前に挫折した『美しき諍い女』という絵に再度挑戦する画家とモデルの精神的葛藤を整頓された様式美のなかに描いている。そして完成した『美しき諍い女』は(映画の観客にも見せることなく)画家の手によって壁の中に閉じこめられてしまう、という自己充足で終ってしまう。それらのことを評価するかどうかは個々の問題だ。
 僕らはみずからのささやかな想像力によって単調で非劇的な日常を生きている。この映画では、画家とモデルの精神的葛藤を吃行しながらも直線的に進むという、緩慢と緊急がないまぜになった演出の余白に観客の想像力が喚起されるという点が重要なのだと思われる。セリフの余白に、映像の余白に、観客の側がどれだけの想像力を描けるのか、それがこの映画の唯一のポイントだった。
 「言うならば各ショットは項(うなじ)や踝(くるぶし)のような効果的な美しさを備えており、それが滑らかにしかも正確に連続してゆくことで血液の脈動が再現されるのである。そして映画という輝ける肉体の全体は、しなやかで深い呼吸によって息づくのである」(鈴木圭介・訳)。これはジャック・リヴェットが1953年に書いた、ハワード・ホークス(アメリカの映画監督。代表作は
『ヨーク軍曹』『三つ数えろ』など)論の一部だが、この技術論はそっくりこの映画に当て嵌(は)まってしまうのではないだろうか。



心の香り

 人は歳を積み重ねると、自分の体験から得た教訓や警句といったたぐいの言葉を若い世代に伝えたいという趣味を持ちはじめる。それがあまりくどくなったり、強制的になったりすると若い世代に嫌われたりするが、「老人の趣味」程度だったら老人福祉の一環として許されてもいいとおもう。
 孫周監督の
『心の香り』(1992年・中国)にもその手の老人が出てくる。物語は両親の離婚がきっかけで、元京劇の役者であった祖父のもとに預けられた10歳の少年と祖父との対立と和解の物語だ。祖父はいつも不機嫌で、少年にあたり散らしているが、蓮おばさんが来ると機嫌がよくなる。その蓮おばさんが急死してしまう。気落ちした祖父は食事も取らずに衰えていくが、ある日、家伝の胡弓を売って蓮おばさんの霊を弔おうとしているのを知って、少年は祖父に隠しつづけていた京劇を舞いはじめる。
 ささやかなエピソードを積み重ねていくという特徴を持つ、この旧世代と新世代の対立と和解の物語が、80年代の中国映画に色濃く残っていた政治との葛藤を通じての世代間の対立と和解の物語と拮抗できるような骨組みを持ち得るかどうかは今は言えないが、私小説風に「わたし」の視点から自分の国を描くという方法をもう何本か観てみたい。
 この映画で特筆すべきことは少年役の費洋のことだろう。彼がとてもいい。彼の存在自体が映画にリズムを与えている。監督の演出力もあるだろうが、費洋の存在感がこの映画を力のあるものにさせていた。少し前に台湾の映画で
『 嶺街少年殺人事件』(1991年・楊徳昌監督)を観た。描こうとしているのは「人の孤独と時代の孤独」という台湾のみならず世界中の人間が不可避的に持たされている心の在り方をテーマにしていたのだが、おもしろくない映画だった。なぜおもしろくなかったか、その時はうまく説明ができなかったが、この映画を観てようやくわかった。楊徳昌の映画は登場人物にリズムがなかった。そして、テーマが平板な演出力に屈伏していた。
 さて、老人福祉のことだが。蓮おばさんは少年に繰り返しこう言う。「人間は生まれてくるのは選ぶことはできないけれど、これからは自分で選んで生きていかなければならないのよ」。政治に翻弄されつづけた母国に対する監督のささやかなメッセージかもしれない。



中東映画を観て

 10月の下旬、『第5回高知アジア映画祭・中東映画特集』と題して4日間で17本の映画が上映された。そのうち、5本しか見れなかったが、映画館でもレンタルビデオ店でも観ることのできない映画を観ることができて、貴重な経験をさせてもらった。その中から1本。
 
『ジャッカルの夜』(アブドルラティフ・アブドルハミド監督・シリア・1989年)は、農夫カマールの一家を描いていて、監督の視線がくっきりとしている映画だった。カマールは家族のなかでは絶対的な存在だが、夜、家の周辺を徘徊するジャッカルの叫びをやめさせる口笛が吹けなくて、妻がその役を代行している。街へ出かけた折り、ジャッカル退治の笛を買ってきたりするが、役に立たなくて妻の口笛に頼りきりである。長男は街の大学に行っているが、父親に反発してトラクターの運転手になる。長女は金持ちの中年男と結婚し、次女は妊娠をして男と駈け落ちをする。次男は戦争に行き、戦死してしまう。労働力の減ったカマールは値段の暴落したトマト栽培から値段のいいオレンジ栽培に移行し、散水機など農機具を導入するがうまくいかない。妻にも死なれたカマールは最後に残った三男を街に出て行かせ、一人ぼっちになってしまう。嵐の夜、家の周りを徘徊するジャッカルの叫び声にむかって、鳴らない口笛を鳴らしつづけて嵐のなかをさまようところで映画は終わる。この、どうしようもない絶望とやりきれなさは、シリアの現実であるとともに、すこし視点をずらせば、平和だといわれている日本に住む僕たちの現実に似ている。ただ違うのは、僕たちは、街で買った擬似口笛でジャッカルを追い払ったと思い込んで暮らしていることだけだ。擬似口笛でその場をしのいで、危険は去ったと錯覚している。そんな生活が僕たちの基調をなしているのでは、となんとなく居心地が悪くなりながら、ラストシーンを観ていた。僕たちは必死になって鳴らない口笛を鳴らしながら、見えない不安に向っていった記憶があるだろうか。



ベルイマンの困惑
                     

 スウェーデンにイングマール・ベルイマンという映画監督がいた。いまはもう映画を撮ることはやめて、舞台の演出だけをしている。1918年生まれだから今年で76才になる。父親が牧師をしていた関係で、あるいはキリスト教圏の特質かもしれないが、神の不在を主テーマに、老いや、病いや、神との葛藤を丹念に描きつづけた映画監督だった。こんなことを書くと、暗くて陰欝な映画と思うかもしれないが(本当はそうだが)、現在ビデオでベルイマンの映画はかなりの数を観ることができるので、ときにはベルイマンの映画を観ながら、人間はなぜ死ぬために生きているのかを考えてみるのも楽しいのではないだろうか。そのベルイマンが、両親をモデルに脚本を書いたといわれる
『愛の風景』(1992年・スウェーデン他8カ国合作・ビレ・アウグスト監督)を観た。
 牧師だった父親に反発しつづけたベルイマンは映画のなかでも、徹底的に神の不在と、不信を描きつづけた。ベルイマンの最後の監督作品
『ファニーとアレクサンデル』(1982年)は、母親が再婚した悪魔のような牧師に殺されそうになる兄弟の物語だ。だから、『愛の風景』でどう父親を描くか興味があった。
 貧しくて屈折した感情を持ちつづけている神学生と、上流家庭の娘が結婚して、地方の教会に赴任し子供を育てていく過程を、人間の、男と女の、むきだしの感情のままに描くことによってベルイマンは父親も母親も未成熟な人間であったことを丹念に描いていて、ベルイマンは父親への愛情を取り戻したかのように思われたが、ラスト、お互いの不信の末、実家に帰っていた妻に夫が会いにくる。隣り合わせたベンチに座って、夫は衝動的に会いにきたと言い、妻は戻らないと言う。夫が苦しまぎれに、(貧しい教会を捨てて)断りつづけていた宮廷付属病院の牧師を引き受けてもいいと言った瞬間、妻の左手が夫を求め、愛してると言うが、夫は隣のベンチで苦悩の色を見せたまま座りつづけている。その姿をカメラが見続けて映画は終わる。妻の歓心をひくために意に沿わない職を選ぼうとする夫、それを無邪気に喜ぶ妻、それがベルイマンの両親の姿と同一であったかどうかは分からないが、ベルイマンはまたしても生きていることの困惑さを選んでしまった。



シンドラーのリスト

 遅ればせながら、スティーブン・スピルバーグ監督の
『シンドラーのリスト』を観てきた。アカデミー各賞を受賞したのと、日曜日だったので、映画館はほぼ満員だった。ガラガラの映画館は寂しい。
 映画は、第二次世界大戦中、ナチスによって600万人(800万人とも1000万人ともいわれている)が虐殺されたユダヤ人のなかの1100人の命を救ったドイツ人オスカー・シンドラーの話である。彼に救われたユダヤ人の子孫は現在6000人余にものぼっているという。その歴史的事実は、人間の尊厳について改めて考えなおす時間をくれた。
 しかし、そのことと『映画』は別である。3時間半はいかにも長いし、平凡な演出がダラダラと続く。最初、金儲けのために収容所のユダヤ人を使いはじめたシンドラーが、ユダヤ人の置かれている立場に同情し、自分の工場に雇い入れることによって、アウシュヴィッツへ連行されるのを救けるあたりまでは、それはそれでいいのだが、へんに正義の人となって、車1台を賄賂にすればもう一人救けられたかもしれない、と泣くところで興醒めしてしまった。
 良質な映画には、観客の想像力を刺激するところがあるが、この映画では皮肉なことに、銃でユダヤ人を狙い射ちしたり、メイドのユダヤ人女性に屈折した感情を抱く収容所の大尉の存在のみが、戦争という非常事態によって人間性が閉じこめられて出口を求めながらも屈折し続けなければならない人間の一側面を見せていたようにおもう。
 ナチスを扱った映画はたくさんあるが、僕の想像力を刺激してくれた映画としてすぐに思い出せるのは、リリアーナ・カバーニ監督の
『愛の嵐』とルキノ・ヴィスコンティ監督の『地獄に堕ちた勇者ども』の二本。番外としてピーター・オトゥール主演の『将軍たちの夜』。なお、アウシュヴィッツ収容所に関してはヴィクトル・E・フランクルの『夜と霧』(みすず書房)が体験記録として著名である。



カリガリ博士

 衛星放送で
『カリガリ博士』(1919年、ドイツ、ロベルト・ビーネ監督、無声映画)を観た。
 とある町のカーニバルに、カリガリ博士と名乗る男が、ツェザーレという男を伴ってやって来て、占いの小屋をはじめる。占ってもらった人は死を宣告され、つぎつぎと殺されていく。実は、カリガリ博士と名乗る男が、夢遊病者のツェザーレを使って殺人をしていたのだが、博士のねらいは、夢遊病者を使って、人間の精神操作ができるかどうかの実験をしていたというのが明らかにされる。友人を殺されたフランシスという男が、カリガリ博士の正体を暴き、とある精神病院に追いつめ、カリガリ博士がその精神病院の院長と同一人であることを知る。が、最後にちゃんとオチがつけられていて、この物語は、精神病院に入院しているフランシスの妄想、であるかも知れない、で終っている。だが、あくまでも、「であるかも知れない」である。
 この作品はドイツ表現主義の代表作といわれているが、監督の主観が、サルバドール・ダリ(ヒッチコックの
『白い恐怖』という映画でダリのセットが使われていた)を思わせる歪んだセットに集約されていて、まるで観客を挑発するかのようだ。どこにも四角と丸がなく、家も窓も道も町並みも人々の不安と恐怖と心の澱みをあらわすかのように歪んでいる。そしてこの物語はカリガリ博士の異常性なのかフランシスの妄想なのか。時代と人の心の虚実を解明するのは観客の側に委ねられている。
 また、カリガリ博士が実験した人間の精神操作と殺人については次のことが予見されていたのではないだろうか。この映画の作られた1919年の1月、ドイツ労働者党=ナチスが結成され、1933年にヒトラーが政権につくと、ナチスによるドイツ国民の精神操作と、殺人が繰り返されることになる。監督のロベルト・ビーネはドイツの運命をこの作品で予見している、と言ってしまうのはあまりにもこじつけだろうか。
 この映画のひとつの特徴は、独特のセットにある。歪んだセットが観客を挑発するかのように組み立てられている。歪んだ空間は、不安と恐怖と心の澱みを表現していて、むやみに喋りまくる現在の映画への痛烈な批判になっていた。



春にして君を想う
                      

 
『春にして君を想う』(1991年・アイスランド・ドイツ・ノルウェー合作、フレドリック・トール・フリドリクソン監督)を観てきた。
 今年の夏の暑さのせいで、僕の感受性が鈍ってしまったのだろうか、のんべんだらりと観て、のんべんだらりと終わってしまった。
 物語は老人ホームで出会った男女の老人二人が、ホームを抜け出し、今は誰も住むことのない故郷の島へ戻る、というだけの話である。言ってみれば「老人の生と死、孤独と救い」がテーマだろう。たしかに、自分の死ぬ場所ぐらい自分で決めたいし、老人福祉という名のもとになにかを強制されるのは御免蒙りたい。ヒトの心は、老人福祉という制度のもとでは自分を取り巻く環境のみを納得して生きていかざるをえないという閉ざされた縁を歩かされるだけだ。
 だから老人二人は故郷の島へ向かうと決めた。かつて青春を謳歌し、生の陽光を十二分に浴びた思い出と郷愁の島へ。ジープを盗み、スニーカーを履き。やっとの思いでたどり着いた島で暮す二人は、この映画の原題「自然の子供たち」を彷彿とさせるが、何となく物足りない。
 この、静謐で思慮深くさえある映像を観ながら、もうひとつ僕の心が動かされなかったのは、暑い夏のせいで僕の感受性が鈍ってしまっていたからだろうか。それとも、この静謐さと思慮深い映像が、かつて観たことがあるという既視感をともなっていたからだろうか。
 ただ、淡々とした映像は事物の固有名詞を排除し、ヒトもモノも最小必要限度の存在として自然のなかに許容されている、という監督の思いは十二分に伝わってはきたのだが。



パトリス・ルコント
                         

 フランスの映画監督パトリス・ルコントは不思議な映画をつくる。
『髪結いの亭主』は、少年の頃から憧れた髪結いの亭主になって、奇妙なアラブ踊りとセックスをして暮らす話だし、『仕立て屋の恋』は、さえない中年男が隣のアパートに住む若い女性の秘密を握って「切ない恋心」を相手に無理強いする話だ。『髪結いの亭主』では、若くて理髪とセックスの上手なパートナーが突然の死を選んでしまい、中年男はただひとり取り残される。『仕立て屋の恋』でも若い女に裏切られて、殺人犯として警察に追われ屋根から墜落死してしまう。ラスト・シーンに残るのは切なくてやるせなくて空虚な中年男の残骸である。しかし、彼の映画から読み取れることは、第二次世界大戦以後、自由経済のもと西側諸国で経済成長と引き替えに失ってきたもの(それは観客の数だけあるのだが)の見直しを示唆しているのではないか、とかつてこの欄で書いたことがある。
 そのパトリス・ルコントの新しい映画
『タンゴ』を観た。妻とその愛人を殺して、なぜか無罪になった男が、有罪の証拠を握っていると脅す男と、その甥の妻を殺すためにフランスからアフリカまでワゴンを運転する話である。前二作のようにこじつけた話をすればいくらでもできそうな映画だったが、パトリス・ルコントの場合、生産性を放棄した男たちの喜劇として、映画を楽しんでしまうことがベターのような気がする。それでも、妻殺しの旅にむかう三人の男がかわす会話は、類型的でなんの独創性もないが、そのことが、差異と個別化を求めることで大衆からの独立=自我の顕在化を第一義にしてきた現代人の孤独な表層への批評ではないのか、とついつい考えたりしてしまった。巻頭のアクロバットまがいの、妻とその愛人殺しからはじまり、人間関係の濃密さと希薄さ、そのバランスをうまくとってパトリス・ルコントはラスト・シーンで和解した夫と妻にタンゴを踊らせる。ここには僕らが抱えている「現在」がある。



魯冰花

                            
 
『魯冰花 ルービンファ』(揚立国監督・1989年・台湾)という映画を観た。ストーリーはとても単純で、少年たちの生き生きとした演技がなければ最後まで付き合えなかっただろう。地方の小学校に美術担当の若い教師が転任してくる。小学4年生に阿明という少年がおり、美術教師は阿明の想像力豊かな絵を評価するが、権威主義に寄り添って自己の保身と出世をはかる校長や他の教師たちによって、村長の息子の絵が小学生対象のコンクールへ出品されてしまう。皮肉なことにその絵が2等になり、美術教師は教頭を殴って辞めてしまう。一方、阿明は肝臓病で病死してしまう。このあとどうなることかと思っていたら、案の定、というか、この映画はこういう結末以外はあってはならない、という構成がされていた。学校を去った美術教師が阿明の絵を世界児童絵画コンクールへ出品して、みごと1等賞を取るのである。台湾の映画を非常に身近に感じるのは、団塊の世代である僕らの年代には、失われた風景、とでもいうべきものが映画のなかにあるからだ。かつて貧しかった昭和20年代、僕らは本当に貧しかったのか、と映画を観ながら自問する。経済的に貧しいことは罪悪でさえあった。この映画でも貧しい茶栽培農家である阿明の家は農薬も買えなくて学校を休んで害虫取りをしなければならないが、金持ちの村長は校長をはじめ教師のすべてを買収できる。肝臓の悪い阿明も適切な治療を受け、静養すれば死ぬこともなかっただろう。しかし、と僕は思う。経済的に貧しいことは罪悪だろうか。経済的な豊かさと引き替えにしてきた一つ一つを数え上げながら、経済的に貧しいことは罪悪だろうか、ともう一度自問してみる。それが飽食者の驕りであったとしても。





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