このエッセイは1996年3月3日〜5月2日まで「高知新聞」に連載したもので、「高知新聞」の許可を得て転載するものです。

『現代詩はおもしろい。ん?』
           (全60回中49回分)  by 大家 正志



1)はじめに

 現代詩は難解だ、というのが通り相場である。たしかに、現代詩の末端にいる僕にも難解な詩があるのは事実だ。しかし、「難解な詩」には難解な詩なりの理由がある。その理由をここで取り上げても、この連載を読んでくれる人のほとんどは何の興味も示さないだろうから書かないが、「難解な詩」には難解な詩なりの理由があるのです。
 本当のことを言うと、詩が難解であるとか、難解でないとかいうのはたいした問題ではないのだ。実のところ、詩は誰にもわかって、誰にもわからないものでしかない。「難解な詩」も「難解でない詩」も、詩を書く側と詩を読む側の想像力の通底孔にエネルギーが通いあって、そこになんらかの精神的運動が誘発させられればそれで良しとしなければならない。
 というわけで、現代詩は難解だと言われて、詩を書かない人たちには振りむかれもしない「現代詩」について書こうとしているが、「現代詩」を書いている人たちがなにを思い、なにを願って詩を書いているのか、極私的解釈をしながら、彼らの生きている謎をすこしでも解きあかせればと思っている。
 もっとも谷川俊太郎や大岡信といった人たちは現代詩の世界でも超有名人だから一般の読者はたくさんいると思うが、僕が紹介しようとしている詩人たちはちっとも有名ではないが、なんらかのインパクトを持った詩を書いている人たちだ。キーワードはなにもないが、前半は僕と同世代=団塊の世代といわれる人たちの作品を取りあげる。


  
水道の蛇口から滴る水が、わたしに囁いた。

  (いつかお乳を吸っていた口をあけて
   きみはだれを呼んでいるの?
   きみはどこから来たの?
   白い骨と歯の金冠をのこして、きみは一体どこにいくの?)


 
相沢正一郎さん(東京都)の詩集『リチャード・ブローティガンの台所』(書肆山田・刊)はこのような序詩ではじまる。
 相沢さんは1950年生まれだから団塊の世代にはいらないかもしれないが、この連載はどうしても相沢さんの詩からはじめたい。
 僕が子供の頃、大人たちは誰も彼も骨太なバックボーンを持って生きているように思っていた。僕が中学2年のとき45歳で死んだ父親にもまたそういう印象を持っていた。僕はいま48歳だから父親の年齢を3歳も超えてしまっている。それなのに僕は「生きている」ということについてなんの自信もない。一つの問いかけにたいして一つの答えなど決してないと思っている。五つ六つ、いや十も二十も、あるいは百通りの答えがあるかもしれないし、あるいは、答えなどないかもしれない。息子や娘に対しても、「父親の骨太なバックボーン」など見せてやれない。教訓譚や人生訓を語る気にもなれない。ただできることは、心細くも48年間生きてきた生身の姿を晒けだして、あとは子供たちの評価に任せるだけだ。
 眠れない夜、台所に立って水を飲むが、うまく蛇口が閉まらない。ときおり自動車のヘッドライトが台所の窓ガラスを光らせて過ぎ去る。あとは闇しかない。蛇口から滴る水の音を聞きながら、48歳にもなって「生きていることの不安」がよみがえってくる。もしかしたら父親も、「骨太なバックボーン」を持っていると思いこんでいた父親もこんな夜を持ったことがあったのかもしれない。そう思うと心は少し軽くなるが、高度経済成長の真っ只中で、画一化された物質的な豊かさのなかで、麻痺しつづけてきた心の襞が、真夜中の台所で、まるで僕らの文明社会から滴っているかのような水道の水の音に混じって、僕に囁く。〈きみは一体どこに行くの?〉 だけど僕には応えることができない。ほんとうのことを言うと、僕はどこから来たのかもはっきりと言えないのだから。
                    2)へ続く



2)ヒトは時として

 
思いつくままアトランダムに書いていっても、それがわたしの本当の思い出であるかどうか、あやしい。それでもわたしが書くのは、書くことでわたしは世界と繋がって いたいからか。やがて、わたしが眠りに落ちると同時に、散歩の途中で犬の引き綱をひく力がよわくなったのに気づくようにして、世界は手ごたえを失い、忘却の沼にしずんでしまうことだろう。
 つづけてわたしは、〈俎板〉や〈包丁〉、〈フライパン〉や〈薬罐〉、〈杓子〉や〈ポテトカッター〉、〈野菜屑の捨てられた三角ごみ入れ〉や〈亀の子たわし〉と書く。ゆうべ、うっかり焦がしてしまったお鍋には、名前のほかに〈煮るための道具〉と書く。そんな身のまわりの台所用具にくらべて、わたしの存在はあまりにも不確かだ。いま、食卓に頬杖をついているわたしの指先にはトクトクと鼓動がつたわってくるが、やがて、いつかわたしにも死の忘却が間違いなくやってくる。

           (作品12・全編)

 世界と繋がっていたいから、わたしは詩を書く。しかし、世界は手ごたえを失い、おまけに、わたしという存在は日常生活の利便さを代表している台所用具よりも不確かで、そんなわたしに死の忘却が間違いなくやってきている。・・・相沢正一郎さんの自己認識は特異さを帯びてないだけ切実でさえある。
 世界と繋がっていたいという願望は誰にもある。「世界」とは自己の精神生活の運動体のことである。ほんとうのことを言えば、雑多で煩雑な日常生活を生きる僕らにとって「世界」と繋がっているという認識よりも、「世界」と繋がりたいという願望が、唯一、僕らを生かしているのではないか。そして、日常生活の振幅の具合で、「世界」は手ごたえを持ったり、持たなかったりするのは当然だ。
 台所用具よりも「わたし」の存在が不確かなのは(僕もときどきそういう甘い誘惑にかられたりするが)、それはそうだが、「わたし」が利便さを優先する存在でしかなくなったとしたら、それはそれで、別個の一生を送るしかないのだ。僕らはそういう存在を数多く見てきたし、僕ら自身もそういう存在であったことがある。
 戦後日本の高度経済成長期とともに育ってきた「団塊の世代」は経済的、技術的発展の甘い蜜を吸って大人の仲間入りをしてきた。「高度成長」があたりまえの時代だった。利便さのみを追求してきた時代は、それなりに意味のあったことだし、否定はしない。(後戻りしろと言っても無理な話だし、現状維持もあやしいほどヒトは利便さへの欲望から自由になれない。)その間、アンポや連合赤軍、水俣病、田中角栄事件やオイル・ショックなどいくつかの節目はあったが、経済至上主義の機関車は走りつづけた。「俺は違う」と言いだす人がかならず一人や二人は出てくるが、高度経済成長の恩恵を受けなかった例外は一人とていない。
 一等車の呼び名がグリーン車に変わり、新幹線が走りはじめた。快適な電車に乗り、快い車窓の風景をぼんやり眺めていると、それだけで簡単に一生は終わってしまいそうな気がした。終わってしまって悪い、わけはない。快い一生があればそれに超したことはない。人間の一生なんてたかだか80年ぐらいのものだ。無理して不快な一生を選択する必要はない。
 それでもヒトは時として、不快な瞬間を自らに課すときがある。ある朝、目覚めとともに、なんの前触れもなく不快な自問がやってくる。「わたしはなんのために生きているのか」。朝の不快な目覚めの延長として、すぐに忘れる人もいれば、朝な夕なに暴力的な色合を帯びて脅かされつづける人もいる。
 相沢さんは、不快な自問に脅かされつづけているうちの一人だ。
                    3)へ続く



3)親密な不在


 
鉢植に水をやってください。ベランダに干した布団はよく叩いてから、日がかげる前にはしまってください。包丁はよく洗ってからしまってください。生ゴミと燃えるゴ ミは火曜と木曜と土曜、燃えないゴミは月曜と木曜に出してください。外に出たがって、窓ガラスになんどもぶつかっているハチを見たら、窓をあけて逃がしてやってください。ついでに、窓ガラスを拭いてください。戸棚に大福がありますから、かたくならないうちに食べちゃってください。電気やガスの領収書は捨てないで取っておいてください。雨がふってきたら、洗濯物を取り込んでください。玄関にあるピサロの絵の額縁がいつのまにか傾いてしまいますから、気がついたら直しておいてください。バスルームでは、髪を流すとつまりますから気をつけてください。台所の蛍光灯がチカチカしますから、電球を取り替えておいてください。水道のパッキンも取り替えてください。眠る前には、戸締まりと火の始末をもういちど確かめてください。カーテンをしめなおしたついでに、ちょっと窓をあけて深呼吸をしてみるのもいいかもしれません。(そのとき、あなたはわたしのことをおもいだすでしょうか……)。そ れから、あなたは読みかけの本をもってベッドに横になるでしょう。《地球へ帰ったら、どこか大都会の郊外に住もう。そしてもう青空と緑の木々にかこまれた生活を捨てるようなことは絶対にしないでいよう、とわたしたちは約束した》。やがて、いつのまにかあなたはベッドのしたに本を落としたまま眠ってしまっていて、朝になると、いつものように寝床の明かりを消し忘れていたことに気がつくでしょう。あしたは、きょうの晩御飯の残りをあたためなお してください。古くなった牛乳は飲まないでください。鉢植に水をやってください。ベランダに干した布団はよく叩いてから、日がかげる前にはしまってください。包丁はよく洗ってからしまってください。生ゴミと燃えるゴミは火曜と木曜と土曜、燃えないゴミは月曜と木曜に出してください。
  *《》内は、スタニスワフ・レム
『ソラリスの陽のもとに』(飯田規和訳)より。

 引用したのは
相沢正一郎さんの詩集『ふいに天使がきみのテーブルに着いたとしても』(書肆山田・刊)のなかの「作品4」全編。
 高度経済成長が終わってからのち、僕らは「親密な不在」を抱えて生きている。他者の不在の場合もあるが、ほとんどは自己の不在を抱えている。
 バーチャル・リアリティー(仮想現実)という世界がある。コンピュータや映像技術の発達で特殊な器具の助けを借りると、もうひとつの現実世界が展開されるというゲームである。
 経済優先主義の真っ只中にいた何年間かはこのバーチャル・リアリティーだったのではないか。僕らの求める「真正の現実」とはこんなものではなかったはずだ。僕らは知らず知らずのうちに消費されることでしか有効性を持たないバーチャル・リアリティーの世界を見つづけていたのだ。「真正の現実に生きているはずの真正のわたし」はどこにいるのだろう。・・・・「自己の不在」などといえば格好はいいが、所詮は屈折しなければ生きていけないヒトという種の一特性であるかもしれない。
 そしてまた、僕はこうも考える。経済優先主義の真っ只中にいた何年間かが「真正の現実」であり、それらをチャラにしようと、バーチャル・リアリティーという「疑似真正の現実」を精神生活の根底に据えようとしているのではないかと。そのことによって経済優先主義の真っ只中にいたことの幾分かを免罪しようとしているのではないか、と。そのことは誰のことでもない。僕のことである。



4)ピクニック

  
クルミの木の下で
  きょうぼくはやわらかい。
  林檎をむく妻の、ナイフの光
  生まれてきたことの謎が
  ここちよいリズムでとかれていくような
  甘いかおり、
  陽をあびた乳呑児の白さで丸くまるく
  ぼくののどをかすめていく、くだもの。
  皺よる歳月を
  いっしゅんに砕くことは、やさしいことか。
  きのうここに桜が咲いていた。
  去年、ここに桜が咲いていた。
  ぼくはまだ小学生で
  きみも海辺の小さな町でおにぎりなど
  頬ばっていた。
  陽は とつぜん落ち、
  ぼくたちは老い そして消え
  アルバムをひらくぼくたちの子供がいて
  それぞれの目の高さで、なつかしい風、歓声が 
  ぼくと妻をここまではこぶ。
  この惑星でのピクニックのあとかたづけのように
  また別の風が吹き
  幼い子供たちが駆けてくる。
  そして 手をふりながら、きっと叫んでいる。
  ・・・おべんとう、ここで食べようよ!

          (ピクニック・全編)

 
飯島 章さん(群馬県・1949年生)は「大人になるという予感」のなかに身をおくことで、「大人になる」ということを自分自身にたいして永遠に猶予している、と思わせる詩を書きつづけていた。だから、飯島さんの詩を読むたびに、ジム・ジャームッシュの映画、アウトローとの出会いを通じて永遠の旅に出る少年の話、『パーマネント・バケーション』のことをいつも思い出していた。永遠の旅に出た少年が出会うものは観客の数だけあるだろうが、僕らは、永遠に「少年」であることを切に願っている心の働きがある。たとえ見かけは中年男の容姿をしていようと、心のどこかで「中年になる」ことを永遠に猶予しようとする気持ちが働いている。が、鏡に映った自分はどうしようもなく年老いている。そのギャップに唖然とするところから、今度は「中年の自分探しの旅」が始まるのかもしれない。
 飯島さんの新しい詩集
『時を駆けるおじさん』(土曜美術社出版販売・刊)に収められている作品は、ちっとも格好よくなく年を取ってきた戦後生まれの中年男が、生きていることの意味、死ぬことの意味を問うことでかろうじてこの世界と繋がっていることができるのではないかという「飯島章の中年宣言」である。
 飯島さんはこの詩集のあとがきでこう書いている。
 「家族というのは、この地上でのいちどだけの組み合わせの、いちどだけのつかのまのピクニックだ、とおじさんは思う。一人去り、二人去り、そしていつか星降る夜のむこうにみんな消えていく。おじさんは少し死を意識している。せつなさが生をいとおしみ、おじさんは書きはじめた。」
 こんなふうに書かれてしまうと僕の書くことなど何一つないように思われる。
 家族団欒の一つの形がピクニックである。おにぎりとリンゴとミカンと可愛い子供たちがいればピクニックである。空には太陽と風、木陰にはひとときの憩い、子供たちの笑い声、申し分のないピクニックである。それでもおじさんは思う。この一度だけのピクニックのために僕は何をしてきたのか、明日から僕は何をして生きていくのか。この「つかのま」のために僕は何を捨て、何を見殺しにしてきたのか。生まれてきたことの謎が林檎の甘いかおりを装って僕の喉元をかすめていく。甘いかおりにだまされる者も、だまされない者もいるだろう。だからといってどちらを非難し、どちらを支持する、というのではない。両者がいるからこそ僕らは危ういバランスの上でピクニックを楽しめることができる。僕らの日常は甘いかおりに満ちあふれている。その誰も否定できない現実をなにかの気紛れのように否定してしまう瞬間がある。その時、僕らは「もうひとつの生き方」を垣間見ることができる。その瞬間をどれだけ持続することができるのかによって、生まれてきた謎の答えが左右されるのではないかと、僕は秘かに思っている。



5)妖怪

 
『精神と物質』(文芸春秋・刊)という対談集のなかで立花隆(評論家)の「人間の精神現象なんかも含めて、生命現象はすべて物質レベルで説明がつけられるということになりますか」という問いにノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進は「もちろんいまはできないけれど、いまにできるようになると思いますよ。脳の中でどういう物質とどういう物質がインタラクト(相互作用)して、どういう現象が起きるのかということが微細にわかるようになり、DNAレベル、細胞レベル、細胞の小集団レベルというふうに展開していく現象のヒエラルキーの総体がわかってきたら、たとえば、人間が考えるということとか、エモーションなんかにしても、物質的に説明できるようになると思いますね。いまはわからないことが多いからそういう精神現象は神秘な生命現象だと思われているけれど、わかれば神秘でも何でもなくなるわけです。」と答えている。
 簡単に言ってしまうと、人間の精神的な領域はすべて物質的レベルで説明がつく時代がくると言っているのだ。
 人が愛することも、絶望することも、こうしてさして有効的でもない文章を書いていることも、全て物質的レベルで説明がつく、と言われてみれば科学音痴の科学オタクの僕にすれば、ただただすごいな、と唸ってしまうほかはない。すると、霊的な存在も物質的レベルで説明がついてしまうのか、と幽霊すら見たことのない僕はすっかり感心してしまったりする。では、「妖怪」も物質的レベルで説明がついてしまうのだろうか。

  
けらけら女よ
  ひょうすべという男をおぼえているかい。
  いまではすっかりなじみの薄くなった夜の妖怪
  あなたの男だったすきんへっどの私を。

  時代錯誤の見本みたいな奴で
  心はちょんまげ
  文明開化のかなたで
  日がなわらじ編みの緑陰のおじさんさ。
  毛だか苔だかわからない体をむんと臭くして
  ひょけひょけよろけぎみに
  まだうぶだった川の瀬あたりや
  蝦蟇の時代をガニ股あるきする
  水かきがみょうに似合った男が
  ひょうすべと呼ばれた私だった。
  いまでは
  濡れた迷い犬みたいに懐かしい奴だ。
  片耳咬まれてちぎれてしまった
  いきおいのない犬みたいな
  左前足を内側にまげたままぶらさげ 
  くたくたふぬけになりながらも
  すなおに前に歩けない奴だ。
  さっこん背広という袋を被せられて
  電車という箱に閉じ込められ
  吊かわにぶらさがってマグロみたいに生臭い
  おじさんという男たちによく似ている。
  しかしひょうすべはもっとまぬけで自由すぎたから
  秋あかねの浮くむかし空のかなたへ吸い込まれて
  忘れられた存在の妖怪になってしまった。
  それにひきかえ
  わが宇宙のいろめくけらけら女よ。
  妖怪でありながら美しく
  なんとあなたは健在で
  かしこい現在の女でいることか。
  いまだにあなたは夜を
  火のような衣裳ではいかいし
  街をいくおくびょうな男たちを
  背中からけらけら笑い殺しているではないか

    (
高木秋尾詩集『多魔三郎』
      「ひょうすべの独り言」全編)
                   6)へ続く



6)心の闇

 
高木秋尾さん(東京都・1947年生)の詩集『多魔三郎』(ワニプロダクション・刊)は「妖怪」詩集である。「吹雪き女」「嘗女」「猫男爵」など妖怪がつぎつぎと出てくる。もちろん主人公は「多魔三郎」君だ。それが高木さんと同一人物なのかどうかは、高木さんに一度も会ったことがないから知らない。高木さんを知る人からそんな噂は聞いたことがないが、高木さんは、自己の妖怪性を巧妙に隠して、この日本の首都のど真ん中でひっそりと暮らしているのかもしれない。
 柳田国男(民俗学者)や吉本隆明(評論家)を持ち出すまでもなく、妖怪や魑魅魍魎は近代日本の村落共同体のなかでは人間と共存することによって、「国家」や「宗教」と同じ共同幻想として存在していたし、僕の生まれた昭和20年代には「怖い話」や「怖い場所」はたくさんあった。戦後日本の高度経済政策とはそういう「怖い話」や「怖い場所」を整理し、画一的に清潔で効率的で利便的な生活を求めつづけたことであり、その結果として、「心の闇」という非生産的な豊かさを失ったことになる。そのことはたぶんこの詩集のあとがきで高木さんが「なぜ妖怪ばかり書くのか? と問われる。それは人間が創りだした神であり、その零落した姿だからと答えようか。いよいよ明るくなっていく世間のしらじらしさに耐えられなくなったからと答えようか」と書くことにつながっていくのではないだろうか。
 少々おおげさな話になってしまったが、河童のいた沼は埋め立てられ、雪女のいた山には自動車道が走り、座敷童のいた家は取り壊され、僕らは「心の闇」を失うことで、清潔で快適な環境を手にいれたと思っているが、「物質の闇」は僕らに何をもたらすのだろう。
 昨日の利根川進の話に戻ると、妖怪を豊かな心の闇として認める僕らの心の働きも、僕らの脳のなかでの物質的レベルで全て説明がつくことになるが、僕らが妖怪について熱い思いを抱いたときに僕らの脳のなかでどのような物質現象が起きているのか調べることが人間にとってどういう意味があるのだろう。科学オタクの僕にとっては興味津々な反面、つまらないことのようにも思える。ところが科学者というのはいつでも理路整然としているもので、立花隆の「精神現象というのは物質的基盤を持つといえるのか、精神現象というのは一種の幻のようなものではないのか」という問いに利根川進は敢然と答えている。「その幻って何ですか。そういう訳のわからないものを持ち出されると、ぼくは理解できなくなっちゃう。いま精神現象には重さも、形もない、物質としての実体がないとおっしゃいましたが、こういう性状を持たないもの、たとえば電気とか磁気も現代物理学の対象になっているわけです」。こういうふうに説得されると相手がノーベル賞受賞者だけにただただ頷くしかないし、人間の精神現象なんか電気とか磁気と同レベルで解釈できると言われてみると、ああ、そんなものか、と頷くしかない。
 精神現象を物質に還元していくと当然遺伝子の問題にいきつく。利根川進もこの対談集で言及しているが、遺伝子については別な本から引用したい。
 動物行動学者・竹内久美子によれば人間の身体は遺伝子のヴィークル(乗り物)でしかないらしい(
『そんなバカな!―遺伝子と神について―』(文芸春秋・刊))。僕らが人を愛したり、子供をつくったりというおおよそ人間の行動(生きものすべての行動)の全ては、遺伝子(正確に言えば、利己的遺伝子)のひたすら自分のコピーを増やすというプログラムに支配されているというのである。遺伝子は単にある種の特性を受け継ぐだけの働きしかしていないと思っていたから、この「遺伝子の野望」にはびっくりした。もっともこのヴィークルは「遺伝子の野望」に気づき、研究さえしはじめた。が、そういうことすら遺伝子にとっては折り込み済みだとしたら、僕らが生存の拠り処にしている「自我」とか「主体」とかは「遺伝子の自我」とか「遺伝子の主体」と言い換えなくてはいけなくなってしまう。本当のところはどうなのか、この分野では素人なのでよくはわからないが、遺伝子のヴィークルでしかない人間の身体について考えていると、ふと、人間の存在なんて他愛ないものに思われてきた。
               7)へ続く



7)人類のプログラム

 人間の存在なんて他愛ないもの、と昨日は言ってしまったが、では、妖怪の存在は他愛あるものだろうか。妖怪に会ったことのない僕は何とも答えようがないが、もし高木さんが人間の姿を借りなければ生き延びてこれなかった妖怪の末裔だとしたら、妖怪はすこしは他愛あるものかもしれない。
 「詩を書くにせよ、読むにせよ、自己の表現方法をも含めて、いかに存在しつづけていくかの関心が主体であろう。つまり自分でも得体の知れない自己の存在に対する解析であり、存在顕示であり存在確認なのではないか。せんじつめれば、自己の存在を囲繞する人々が構成する社会との対決ではないだろうか。あいにく社会は自己の生れる以前から私たちを囲繞していて、いろんなしがらみの綾で心身を抑圧してくる。私たちはその社会から学習によって歴史を、秩序を、世間というルールを、そして、その他もろもろの他者を押し付けられ皮膚に植えつけられてきた。それに対して自我が違和を感じていないほうが不自然というものなのだ。このような構造の中で、生から死へ自己をどのように手渡すかという思索が始まり、成熟した自己実現を望み、そこに欲求や批評が生じる。そして私たちは表現方法として、詩を選び、書いたり読んだりしているのではないだろうか。」
 これは高木秋尾さんが発行している『吐魔吐』という詩誌に高木さんが書いた「修正・更新が生む差異の大切さ」というエッセイの部分である。少々妖怪としての生真面目さが顕わだが言っていることは一つ一つ納得できるしさして異を挟むこともない。この「異和」は僕ら団塊の世代特有のものではない。それぞれの世代にそれぞれの異和=異義申し立て(社会、制度、道徳、権威、習慣、等などに対してであり、僕なんか若い頃は年上の人間の言うことなど信用してはいけないと思っていた。いま? すこしはそう思っているし、今度は逆に年下の者には信用されていないな、と思っている。)があり、学習してきたことへの懐疑、他者あるいは自己への唐突な疑問符がある。と僕もまた高木さんに誘われるようにして少々人間としての生真面目さを顕わにして書いてみたが、「主体」とか「自我」は、やっぱり、「遺伝子の主体」「遺伝子の自我」と言い換えなければならないんだろうか。
 僕らが愛情を感じたり憎悪を感じたりすることがすべて物質的レベルで説明されたり、僕らの行動や考え方がすべて利己的遺伝子のプログラムによって支配されているとしたら、あの1860年のオックスフォード事件以来の珍事ではないのか。と言ってもその時代に生きていたわけではないので書物で知るにすぎないが。
 その年の前年に発表されたダーウィンの『種の起源』をめぐって宗教界からの痛烈な批判、特に「あなたの祖先は猿だということだが、それはお祖父さんの側なのか、お祖母さんの側なのか」という揶揄に対して、ダーウィンの代理人トマス・ヘンリー・ハックスリーは敢然とこう答えるのだ。「私は猿が先祖だからといって恥ずかしとは思わない。それよりも豊かな能力を駆使して詭弁をふるう人間を先祖に持つほうが恥ずかしい」
 これから何十年か、何百年か先、「物質的レベル」と「利己的遺伝子」が僕らの世界観を変えてしまう日がくるのだろうか。話は少しずれるが、二十歳の時に観た『猿の惑星』は少しショックだった。サイエンス・フィクションの世界が、人間の傲慢さによって近い将来、現実のものになりうる、と強く思ったものだった。それから27年、遅々とした足取りで地球は『猿の惑星』の世界に近づいているが、いま思うことは、文明の行き着く先は破壊と絶望しかないのだ、という奇妙なシニシズムでしかない。もう文明は絶対に後戻りができないのだから。



8)聖夢

 妖怪は醜悪な姿形をしている。それは、常に清潔で美形でありたいとする人間の「心の闇」を仮託されているからだ。しかしほんとうに醜悪で醜怪なのは人間である。

  
 犬を殺しに行く汚い町で私は悲しい写真屋だった。
  卵を抱いて失禁する花嫁の流す大和川に熱病の真夏の
  サックスが呻いている。毎夜、妻と一人の息子のため
  に私は赤い暦を舟に満載して月を渡らなければならな
  い。蛆を顔面に湧かした死者が暗い水面を過去の方に
  流れて行くのを獣たちが岸辺に引き上げては貪り喰っ
  ている。酸っぱい臭いの精液を零しながら醜い獣たち
  が沈黙の中で深く交わっているのだ。
   私の浮気な愛人は二人目の子供を生むために緩んだ
  時計のネジを巻き、犬の町の穴に潜んでいる。ケチャ
  ップをかけすぎないで花嫁たちを性的に満足させるの
  が料理長の資格なのだ。犬は凶器を持ったチャンピオ
  ンで永遠に飢えたチャレンジャーなのだからいつも居
  酒屋で太陽の暗殺計画を練っていた。
   少女が持っていたのはとても暗い絵だったので、私
  は笑いながら汚れた手を隠して人形を与えた。雨の降
  り止まぬ世紀末の沼で黒いチョウトンボが切断された
  時間のように浮かんでいる。犬料理を食べ終った花嫁
  は私とチェスをしながら何度も子供を産もうと息んで
  いるが、もはや多量の血便を大和川に排泄するだけだ
  った。

            (犬の暦・全編)

 
冨上芳秀さん(大阪府・1948年生)の詩集『大和川幻想』(七月堂・刊)はこのような出口を持たない絶望的な幻想に彩られている。この止めようもない負の円環装置はこの詩集のあとがきに代わる「大和川通信」のなかで冨上さん自身が告白して「精神は疲れ切っているのに、肉体は狂暴なエネルギーに燃えていた。いや逆だ、今となって考えれば精神の狂気に、肉体が耐えきれなくなっていたのだ」ということを具体例として提示しているにすぎないが、なんとも殺伐として悪意に充ちた「生存のせつなさ」が、言葉を肉体のエネルギーに替えて噴出している。
 選択した言葉の特異さに較べて、描かれている世界はモノトーンの二次元の世界だ。このギャップはどこからくるのだろう。悪夢と呼ばれるべきものが聖夢と呼ばれる(たぐいの表現は腐るほどある。腐るほどある表現は避けたいと思っていたが、冨上さんなら腐った表現でも平然と食してくれそうな気がするので僕も平然と使ってみる)幸福さはそれほどないし、悪夢が聖夢と呼び替えられることをそれほど望んでない、というよりは迷惑にさえ思っているのは承知している。それでも僕が冨上さんの悪夢に聖夢を見るのは、冨上さんが等身大の自分に寄り添って、そういう自分を恥じ、そういう自分を恥じず、そういう自分を嫌悪し、そういう自分を嫌悪せず、他者を排除せず、他者の正も負も排斥せず、「狂気である」と言いつつもみょうに冷静な目で自身の生活現場の全体を見渡しているからではないだろうか。
 卑猥な言葉、性に関する言葉が頻出するのは、「性」は生きものすべての生存に関わる最低限の行為であり、政治や社会や経済や倫理に侵されることのない唯一の行為であり、僕らの社会環境を取り囲んでいるタブーを突き崩すための突破口の一つである。
 「私性の幻想」に身を置くことで、冨上さんは「ふと人間の心を取り戻す悲しい瞬間のように私は狂熱の冷えた無音の静寂の中でこれらの世界」(大和川通信)を書いた。ヒトは自己の醜悪さを点検することによって、「生きていく希望」を得られることもある。
 



9)卵が生まれた

 120億年前、宇宙が始まった。45億年前、地球が生まれた。35億年前、最古の生命が生まれ、7億年前、全動物の共通祖先が誕生し、1億年前、哺乳動物全体の祖先が誕生し、1500万年前、サルとヒトとの共通の祖先が誕生した。
 太陽はあと45億年燃えつづけるという。そんな計算を平然とやってしまう科学者も科学者だが、45億年などという時間をどう考えればいいのだろう。たぶん僕はそんなに長生きできないから、膨張して地球を吸い込んでいく太陽の最期を見られないのはすこし残念だ。その時まで僕らの子孫は地球の支配者であり続けているだろうか、それとも、他の何かにその座を譲っているのだろうか。
 ときどき思うことがある。地球におけるヒトの意味を。
 天文学者たちは地球外生物の存在を信じてあれこれとアプローチをしているが、生物学者たちは少々悲観的で、ジャック・モノーは
『偶然と必然』のなかで、生命の誕生は奇跡に近い、と言っている。
 その奇跡に近い生命のなかのヒトという種がこの地球という惑星に存在していることの理由、あるいは45億年後には集団惑星移住でもしないかぎりは確実に滅びてしまうということ。ジャック・モノーの言うように、生命の誕生がゼロに近いとするなら、僕らはゼロからゼロへむかって生きている。ヒトの個体としての一生はたかだか80年。そのなかで個体としての答えをだせばいい、と思うのだが。
 たとえば以前紹介したように生命は全て利己的遺伝子の自己を限りなく複製するという「遺伝子の野望」に支配されている、と思ってしまえば生きていることも遺伝子任せにできるのだが、そうもいかないところが、すこし辛い。
 
  
卵がうまれる
  ところを見ていた 
  ニワトリの
  お尻が
  急に
  もりもりっとして
  白い
  つるつるした
  殻が
  あらわれた

  世界がうまれるんだ
  と
  おおげさに思った

  卵は丸い巣の
  藁に
  かこまれて
  あたたかい

  世界が
  壊れるなんて
  かんたんさ
  と
  ひかえめに思った

  茶碗のかどで
  卵を割って
  ぼくは生きなければならない

     (一九九○年の朝の食卓・全編)

 
八木幹夫さん(神奈川県・1947年生)の詩集『秋の雨の日の一方的な会話』(ミッドナイトプレス・刊)は僕の悲観的なゼロからゼロへの行進をうっちゃり投げてくれる詩集だ。
 ニワトリが卵を産むという生命の神秘を前に「世界がうまれるんだとおおげさに思い」、茶碗のかどで卵を割って生きなければならないぼくのために「世界が壊れるなんてかんたんさとひかえめに思う」八木さんは、「僕がここにいる理由は、卵の神秘さに驚き、その神秘を食べないと生きていけない人間について考えているからさ」と言っているようだ。



10)役にたつこと

  
トイレからもどってくると
  女房がいった
  「生きていると おしっこばかり出るみたい」
  ベッドから飛びあがってぼくは同感した

  ぼくはこのごろ
  ぼくのことを語りだそうという
  勇気が少し持てるようになった

  生命の期限を宣告されたレイモンド・カーヴァーが
  自分の人生の汚いところや
  悲しかった思い出を
  淡々と語るようになったわけが
  極東の小さな国の
  秋の
  雨の音をきいている
  ぼくにも わかるような気がした

  考えなくてはならないことがたくさん
  ベッドのうえで揺れている
  朝の鈍い光が
  勤勉な起床をうながしている
  きょうは日曜日なんだ
  二ヵ月返していない本を
  図書館に返しにいこう
  それから
  完成したばかりの伊勢丹にいこう
  買い物なんかに興味はないけれど

  娘達は ぼくが眠っているあいだに
  自分の興味の方角にでかけてしまった
  「老いていくのは ぼくだけなんだろうか」
  女房は濡れた洗濯物をかかえて家の中を走りまわっている
  「雨の日はいやだわ」

   (
八木幹夫詩集『秋の雨の日の一方的な会話』より
    「秋の雨の日の一方的な会話」)

 僕らは日々毎日「なぜ生きているのか」という大きな命題を抱えて生きているわけではない。ほんとうにささやかなことで生きている。今朝は寝不足だとか、給料が安いとか、仕事に生き甲斐がないとか、今夜の食事は満足のいくものだったとか、そんなことで生きている。
 「オーヴンをいっぱいにしてオーヴンを空っぽにしてという、ただそれだけを毎日繰り返すことが、どういうものかということを。パーティーの食事やらお祝いのケーキやらを作り続けるのがどういうものかということを。指のつけねまでどっぷりと漬かるアイシング。ケーキについた小さな飾りの新郎新婦。そういうのが何百と続くのだ。いや、今ではもう何千という数になるだろう。誕生日。それだけのキャンドルが一斉に燃えあがる様を想像してみるがいい。彼は世の中の役に立つ仕事をしているのだ。彼はパン屋なのだ。彼は花屋にならなくてよかったと思っている。花を売るよりは、人に何かを食べてもらうほうがずっといい。匂いだって、花よりは食べ物のほうがずっといい。」(レイモンド・カーヴァー著
『ささやかだけど、役にたつこと』村上春樹・訳、中央公論社・刊)
 生きている以上、僕らはかならず何かの役にたっている。パン屋はパン屋なりに、花屋は花屋なりに。もっと悪意を持って言えば、殺人犯だって人間の悲しみや憎悪や失意という「感情」の役にたっている。よく考えてみれば僕らが生きてるということには何一つとして無駄なものはないのかもしれない。僕らが社会的人間である以上僕らそれぞれ一個の存在はプラスマイナス何かの役にたたざるを得ないものなのかもしれない。そんななかで、生きているとおしっこばかり出るし、考えなくてはならないことがたくさんベッドの上で揺れている。図書館にも伊勢丹にも行こうと思っているが、雨の日、洗濯物は乾かない。
 



11)難しいことを平然と

 
八木幹夫さんの新しい詩集『野菜畑のソクラテス』(ふらんす堂・刊)が届いた。八木さんの詩の特長をひとことで言ってしまうと、何一つ難しい言葉を使わないのに、難しいことを平然と言ってしまうことだ。詩を書く人の多くは、詩という制度にとらわれて、本来自由であるべき感性と想像力をねじまげて、警句寸前の人生譚や、袋小路のような私に帰りつくことでしか私でありえない私物語や、どこまでいっても空虚な喩を詩と誤解しているが、そういうことが、竹内芳郎の指摘する(『言語・その解体と創造』)言語の階層化を作り上げてしまうものではないか。僕ら、詩を媒介として表現に関わっているものは、そういった、制度や階層化やコード化といった自己規制に異義申し立てを繰り返すことでかろうじて存在を許されているのではないのか。
 八木さんの詩は、第一次言語=コミュニケーションとしての日常言語と第二次言語=詩的言語(この区分は筆者の勝手な区分)の階層化なんかには無頓着に、なんでもない言葉で難しいことを書いている。

  
上空をまた
  コンドルが舞っている

  霧がでて
  山が隠れ
  大粒の雹がふりはじめた

  石ころだらけの土地で
  千年が過ぎ
  農夫は千年前と同じ顔をして
  ひたいの汗をぬぐった

  岩山の陰に
  男は横たわるだろう
  そしてさらに
  千年ねむるのだ

  痩せた土地に
  石ころのように育つ
  じゃがいもと人

  飢えはアンデスの山々を旋回する
 
  うめえじゃがいもをつくるんなら
  花を咲かせてちゃなんねえぞ
  麦藁帽子の下から
  声の方へ目をやると
  自転車のハンドルの向きを変え
  陽炎のむこうへ消えた
  ぼくの知らない老人

  ごつごつとしたおじいさんの
  あの手は
  アンデスの農夫の手だ
        
  (じゃがいも・全編)

  ダーウィンのみみず論を読んでいたら
  生きているあいだじゅう
  いっぴきのみみずがうみだしつづける
  ゆたかな土の量は数トンにおよぶそうだ
 
  みみずのうちがわを通過していった土よ
  みみずのそとがわへ出たとき
  気がついただろうか

  ぼうだいなそとがわとはぼうだいなうちがわのことだ
  と
 
  ほらっ 気をつけて!
  主人が鼻歌まじりで
  春の畑に
  鍬をいれはじめた

              (土・全編)






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