22)想像力で生きる

 今まで男性の詩を紹介してきたが、なにも団塊の世代は男性だけではない。女性だって当然いる。が、女性の場合、年齢を知られることを嫌う人もいるので、僕が公表してしまっていいのかどうかわからないので、詩集の著者略歴に生年月日を公表している人だけを同世代として紹介する。

 まず、
紫 圭子さん(愛知県・1947年生)の詩だが、彼女の詩は現代詩に馴染んでいない読者には「難解な詩」の部類にはいるだろう。なぜなら、彼女は自分の感性、想像力を唯一の拠りどころに、自身の来し方行末を言葉にこだわりながら全力で探しつづけているからである。『ダグラス・クエイドへの伝言』(土曜美術社・刊)という詩集から引用する。

  
わたしは
  ずっと
  うまれるまえから
  ここにいた
  足を滑りこませると
  どこまでも垂直に底なし渦があいている
  水穴ではない
  うみだすもの らせん型の
  延びたり縮んだりするせかいのおおきないれもの
  あっ
  と喉をふるわせて
  いっ
  とつきぬけてゆく
  声ではない
  手ざわりのなめらかな毛質
  のようなものが出入りする
  (そう、なめらかな毛にこびりついた垢かもしれない)
  夜明けのひきだしの底で芽だけむいてドキドキ
  いつも透きとおっていた
  あれは
  きっと
  干し草の類だ
  干されるまえの水辺の星草や
  干されるまえの野ぶどう、野ばらの影たち 鼻腔にす
   っとしみてきて
  喉におちていくとき
  つんつんといがらい
  匂いだけでいきている
  (日向くさい部分を晒して、ね)
  ・・・The Rose Bud
  あなたの口調をこっそりまねる
  つつみこまれてやわらかい
  いきものの相似形をつねってみる
  とたんに
  ゆびがふるえたつ
  わたしは
  森の
  日向くさい渦の芯に棲むものだ

           (森の生活・・渦 動・全編)

 「言葉を日常性の枠組みから解き放つ」とかつて僕は彼女の詩について書いたことがある。そう書いてしまうと詩は「詩という専門分野」の袋小路に迷いこんで、「詩人」を唯一の読者にしてしまって、やっぱり現代詩は難しい、ということになってしまう。
 言葉を日常的なコミュニケーション言語という一次元的な枠組みから解き放つことによって言葉は、言葉自身が知らなかった二次元の世界、三次元の世界を知ることができる、と言ってみてもわかってもらえないとは思うが、この詩は紫さんの感性と想像力が言葉の巧みなリズム(吃音に近いリズム)によって、「私の原型」を造形している。それがどうした、と言われれば返す言葉もないが、僕らは自らの想像力で生かされているんだ、ということをつよく感じさせてくれる一編である。



23)不労者

 山田洋次監督の映画に
『故郷(1972年)』という映画があった。産業の近代化に取り残されて故郷を去っていく家族を描いて、日本の高度経済成長を静かに批判している映画だった。以前にも書いたように僕ら団塊の世代は高度経済成長の真っ只中に生きてきた。好むと好まざるに関わらず、過大な貢献をしてきた。40代後半を迎えて、高度経済成長の功罪を自問する人もいれば、あいかわらず経済至上主義にどっぷりと浸かっている人もいる。それは個々に帰することだから他者がとやかく言うことではない。前者にしたところで大半が個人的な経済生活を抱えて、仙人のように霞を食べて暮らしてはいけない。高度経済成長で肥大した物質的悦楽を断ち切れないのも現実だ。
 しかし、現実生活からドロップ・アウトした人たちがいる。理由はさまざまだろうが、家族を捨て、職を捨て、故郷を捨てて、都会の路上で暮らしている。彼らが幸せであるのか不幸であるのか、僕は知らない。彼らはときどき、火をつけられたり殴り殺されたり川に投げ込まれたりする。社会に貢献しない不労者は時として過酷な扱いを受けるが、社会に貢献しないということはなんら批判の対象になるものではない。

  
毛布とダンボール
  ありったけの財産を身につけた
  その男は
  ごみ箱から集めた弁当を
  いくつも抱えて広場へやってきた

  弁当にこびりついたご飯を
  手ではがし投げると
  鳩たちがいっせいに男をかこんだ
  ご飯を投げ
  鳩が舞い
  男は手にこびりついたご飯をなめ
  次々と弁当をたいらげていく

  かつてこの男は
  これほど多くの生きものに囲まれ
  食をとったことがあっただろうか
  男は足を引きずっている
  顔も垢にまみれている
  年もわからない
  だが初老にはまだ早いようだ
  働けないのか 働かないのか
  ちょっと居眠りした隙に
  人生の坂道から転げ落ちてしまったのか
  心のなかの吹雪ゆえに
  男の背後は見えない

  上野駅には 同じような男がいつもいて
  帰りの切符を持たずに眠っている
  ひもじい夜など
  列車の音に 胸が傷むこともあるだろうか
  東北新幹線ができても
  依然 なお遠く
  語れない故郷がある

 
沢 聖子さん(東京都・1948年生)の新しい詩集『雪螢』(土曜美術社出版販売・刊)から「花咲か爺さん」を引用した。
 たぶん、高度経済成長の真っ只中、雪深い地方から季節労働者として東京へやってきた団塊の世代であるもうひとりの僕が、画一化と均質化に貢献し、利便さと有効性のみを第一義とすることに自己嫌悪し、自らを不労者と名づけ、非生産性、非有効性を宣言するために無名性を獲得した、と、いまだに無名性を獲得できないもうひとりの僕が思う。僕らは決して高度経済成長のツケをチャラにはできない。自分の身を削るか、他人の身を削るか、ここが考えどころだ。
 この詩について語るとすれば、沢さんは路上生活者に対して思いを寄せてはいるが、彼らが意識的であれ、無意識的であれ、背負ってしまった文明批判を沢さん自身が引き受けて展開していこうという思いがないのは少し不満ではある。この詩には、観察されている路上生活者と観察している沢さんの距離が書かれた言葉の数だけ拡がっている。



24)永遠の渇き

 
賀陽亜希子さん(京都府・1949年生)の詩集『風のカトラン』(書肆季節社・刊)から「渇きのついてのメモから」を引用する。

  
ひとは駆け戻ってくるだろう

  言葉のおい茂った
  小さな窓の奥
  それは来歴もなく
  白夜のように広がっている

  ・・・地平線までは…と歩きつづけても
  辿り着くということはない
  戻ってくるたびに
  年輪のように遠のいている
 
  脚力と砂がせめぎあっている
  どちらが越えていくというのではなくて
  砂漠の喉は
  切除できないところまで深い
  (照りつけられ 吹きさらされて
   砕けちればいい
   この砂漠
   もう戻ってこないだろう)

  空をみまわしても立ち去る方角はない
  歩いているのはしかしその縁の一つである日がオアシ
   スをひきまわし
  打ち倒す
  錆びたシャベルがころがっている
  ときに喉の壁に
   水の記憶がゆらめく
    *
  ひとの手のひらには裂けめがあり
  (いつ どこでできた傷?)
  そこから清水のように溢れ出るものがある 手は閉じ
   ることができず
  乞うように差し出されるだろう
  人々は喉をうるおしてそそくさと立ち去る・・・わた
   しも…と
  手を顔の前にもってくると
  それは裂けた傷口ではない
  薄くあけられた目は
  砂漠の手のひらに落ちている
     *
  木蔦に露がきらめく朝
  遠いたよりを読む窓ぎわで
  空は小さな水につつまれている

 詩は時として形而上学的な夢を見たがる。そして無名性のなかに普遍の欠片を意図したくなるときがある。
 自分の肉体を拒否して精神だけの存在を志したとき僕らは言語の多重人格性に自らの思惟を委ねてしまうことがある。この作品で語られている「私」とは、砂漠で物質としての水を求めている私であり、原稿用紙に向かいながら自らの想像力を喚起してくれる言葉に渇いている私であり、精神生活と現実生活の間の目には見えないが永遠よりも離れている距離について渇いている私、あるいはもっと極端な言い方をすれば、賀陽亜希子という女性が背負っている人間存在としての永遠に癒されないであろう渇き、について形而上的な志向を孕んだ表現で語られている。
 「渇き」はなにも詩を書いている人間の特権ではない。この地球上に生きている人間の数だけの「渇き」がある。それをどう表現するかは、技術と鍛練の問題である。
 この作品は賀陽さんの「辿り着くということはない」しかし「戻ってくるたびに年輪のように遠のいている」「永遠の渇き」について適度な修辞と形而上学的なるものへの距離の測り方が成功した例だと思う。
 なお、僕の言う「永遠の渇き」とは、僕らは物質的にも精神的にも潤っていると錯覚しているときでも心のどこかで「渇き」という欠片を持っている。そのことを指している。その永遠の渇きを癒すために宗教にはいったり殺人者になったり自死したりしてしまう。人間ほど自らの心の処し方に途惑っている存在はない。



25)想像力を鍛えよ

  
〈一本の腕を失って
   一個の果実を手に入れる〉
  やすらかに詩人が記せば
  美しい暗喩だ。
  だが ひとりの兵士が語る。

  基地からアフガン人の集落までには
  おびただしい地雷が埋められていたが
  集落の果樹園
  そこに実る甘ずっぱい林檎を
  もぎとるために
  幾度往復しただろう。
  吹きとばされる仲間の横
  果実を握りしめて。

  〈戦場とは つまり
   そういうことだ〉
  わけしり顔で記者がまとめれば
  定型の批評だ。
  だが 飢えをしのぐことに
  嗜好の快楽をにじませて
  まさに食料としての林檎。
  それ以外のなにものでもない果実を
  世界の暗喩に剥(む)くために
  私たちは
  無傷でいる。

  想像力を鍛えよ。

  下士官に見つからないように
  皮も芯もひとつ残らずたいらげたと
  そう語るために
  生き残ったかのような兵士のまえで。
      (兵士の話 今枝弘一『ロシアン・ルーレット』

 
草野信子さん(愛知県・1949年生)の詩集『戦場の林檎』(ジャンクション・ハーベスト・刊)から「戦場の林檎」を引用した。
 詩を書くということは、自らの想像力を唯一の頼りに現実に立ちむかっていく行為のことだ。
 かつてベトナム戦争の時、従軍カメラマンに対して、人命保護が優先するのか、シャッターを切るほうが優先するのか、という議論があった。手を伸ばせば助けてやれるかもしれない子供に手を伸ばすのか、シャッターを切るのか議論は岐れるところだろうが(なんて書けば、おまえはどうなんだ、とかならず問われるだろうが、現場に行ってみないとわからない、としか言いようがない)、僕らはそういう戦場からの写真によって戦争の現実のごく一部を知ることができる。そういう写真を見て詩を書く人もいる。そんな詩はたいてい自己充足的なヒューマニズムか、安直な戦争告発が上滑りして読むに値しない作品になっているのがオチだ。そんな時、想像力と思っているものが〈美しい暗喩〉や〈定型の批評〉に堕してしまっている。
 兵士の飢えをしのぐものでしかない林檎を〈世界の暗喩〉として剥くために、僕たちは〈無傷〉でいる。経済至上主義の株式会社日本で、50年間戦争を知らない国で、経済だけが異常に発達した奇形児のような国で、地雷を踏んでいまにも死んでいきそうな兵士の写真を前に、自らの豊穣さと無傷性を恥じもせずに感傷の涙さえ見せながら、世界中の不幸を憤っている。
 草野さんは言う。「想像力を鍛えよ」と。林檎を〈世界の暗喩〉という安易な定型の批評に陥れず、〈美しい暗喩〉で自らの無傷性を保護せず、兵士の現実に立ちむかうことのできる想像力を鍛えよ、と。ではどう想像力を鍛えればいいのか。遠い国で言われもなく人が殺されるという現実を前に、想像力でどう立ちむかっていけばいいのか、いや、想像力でしか苛酷な現実に立ちむかうことのできない僕らの現実にどう立ちむかっていけばいいのか、やすやすと答えの出るものではない、などと書けば僕がこの項で書いたことがすべてチャラになってしまいそうだが、今の僕には詩という行為のなかで探しつづけていくしかないと思っている。



26)パラドックスの箱のなかで
 

 高知新聞には「読者文芸」と称して西岡寿美子さん選による詩の投稿欄がある。それは30年前にもあった。当時は月一度で、選者は嶋岡晨さんだった。高校1年の時はじめて投稿して入選した。二度三度と投稿してそのたびに入選した。僕は高校生で、とても若かったから、入選ばかりがつまらなくて投稿をやめた。
 高校2年の時、現在、詩誌『ONL』で詩を書いておられる岡村 励さんを発行人として詩壇常連者による同人雑誌『鯨舟』が創刊され、僕も参加した。それがどういうわけか1号で終わった(同人のひとりだった林嗣夫さんに言わせれば2号だが)。作品の発表の場がなくなった僕は、高知だけで書いててもつまらないと思い、所属していた高校の文芸部に送られてくる全国からの文芸誌を頼りに、めぼしい書き手に、一緒に同人雑誌をやらないかと誘いの手紙を書いた。その中のひとりに、宮崎県高鍋高校2年生の
相場きぬ子がいた。彼女を含む7人の高校生ばかりの同人誌は卒業までの1年間に4号出した。卒業後、相場きぬ子は東京へ行き、僕は高知へ残った。その後、彼女とは、二人だけの雑誌を何度も創ってはやめ、創ってはやめ、を繰り返した。それとは別に、僕も彼女もそれぞれの個人誌を何度も創ってはやめるという作業を繰り返した。ただただ若かったから、現在の立場に満足せず、ただやたらと創っては壊すという作業のみにこだわっていたように思う。そこから何が生まれ、何が死んでいったのか、まだわからない。死ぬまでわからないだろうし、死んでもわからないだろう。
 相場きぬ子は12年前に詩の世界からは足を洗ったのだが、足を洗うまでに4冊の詩集を出している。1979年の第一詩集
『笑い鶏』(ワニ・プロダクション刊)から「虫歯」を引用する。

 豚はいつ沈むのだろう……不意に人生から足を踏みはずしてしまいそうな感じにぐらぐらしている屋根の上で、彼女は指を折って数をかぞえていた。果しなく広びろと した水の上に屋根だけがとても軽く置いてあって、水はひどく濁っているし、荒あらしく渦を巻きながら、また彼女たちに気づかれないくらい遠いところでは確実に水嵩が増えているけれど、六人の家族はみな一心に数をかぞえていて、最後の一匹の豚はなかなか沈まない。浮子のようだ。赤い靴をはいている彼女の足もとに豚小屋の屋根があって、屋根はシーソーのように片方がぴんと上がっている。指一本、豚一頭。四本目の指を折って………それでもあれは彼女たちの最後の豚だ! 豚だって羽さえあれば広げても見せただろうし、たとえばもっと水嵩が増えれば彼女のために指を折って数をかぞえたかもしれない。豚は彼女た ちの視線に敏感に反応する。やがて片方の唇からだらしなく笑いをこぼしはじめる。あるいは泣いているのかもしれない。彼女が指を折ると、家族がいっせいに指を折った。

 屋根はあいかわらずぐらぐらしていて、彼女だけが指で虫歯をさわっている。もっと水嵩が増えたらという話を母親に聞いているところだ。

 
 彼女が20代後半の作品である。20代前半まで彼女は青春期特有の自己愛と自己嫌悪のパラドックスの箱のなかで自己構築と自己破壊の距離感が掴めないまま苦悩していた。それは僕も同じで、いや、僕だけではなく、詩を書いていてもいなくても、青春期とは「等身大の自己探し」の代名詞である。繰り返し襲ってくる自己肯定と自己否定の落差のなかで自身の処し方を模索しつづけるしかない時代である。その時期を過ぎるとおぼろげながらも自分の立っている場所が見えだしはじめ、自己評価と自己分析が多少は行なえるようになり、時代と社会機構と自我との対立を表現として定着しようと試みはじめる。この作品は、洪水のため屋根に取り残された家族、という虚構の世界で、豚が沈めば私も沈んでしまう、という心の不安と、現実世界のなかでいまにも溺れてしまいそうな私の恐怖のなかに、それでもいいかもしれない、という一種の諦めが漂っている。それが相場きぬ子の詩の特質でもある。



27)不意の一行

 高校時代には不安定な自己の表現の一つとして、文芸部にはいり詩を書いたりすることがある。しかしそれは持続せず、詩作という行為は思春期のいちエポックとして位置づけられることがおおい。高校時代一緒に同人雑誌を組んだ7人の仲間もみんな詩作から遠く離れてしまった(県外にいた人たちは、僕の知らないところで詩作をつづけているのかもしれないが)。そのなかで
相場きぬ子だけは書きつづけた。か細い一生を想像力を頼りに生きていくことを選択した。想像力を武器に、目には見えない現実という化け物と闘いつづけた。そのことが、相場きぬ子の存在が、僕の詩作を励ましつづけてくれた、とこの原稿を書きながらしみじみ思っている。ほんとうは、闘いつづけたなどと言う格好のよいものではなく、現実生活のプラス面とマイナス面をオタオタと溺れそうに泳いできただけだとしても。
 その彼女が、1984年、伊藤比呂美の
『青梅』から始まった思潮社の『女性詩の現在シリーズ』の〈その8〉『ハイカロリー・スナック』という詩集を出して、「やーめた」とばかりに詩を書かなくなった。もともと詩を書くよりもオートバイに乗ってるほうが楽しいと公言していたので、彼女が詩作をやめてもそれはそれで仕方がないと思っているし、将来を期待されながらすっぱりと足を洗ってカタギの生活に戻ったのはいかにも彼女らしいが、高校2年の時から一緒に詩を書いてきた僕としては寂しいかぎりだ。もっともいつまでもメソメソと詩を書いている僕を日本のどこからか見ていて「詩なんてやめちゃいな」って思っているかもしれない。その『ハイカロリー・スナック』から「黒い機体の二人乗り」を引用する。

  
のんだくれの男と
  もっとのんだくれの女が
  しなしなと腕を組み
  のこった片手を横にぴんと張って
  ああ
  わたしたちってなんて本物の戦闘機みたいだろう
  戦闘機は旋回する
  旋回する戦闘機の《右翼》はつめをのばし《左翼》は
   真赤なトマトの篭をさげていてほっぺたとスカート
   を時々トマトのように脹らませる
  落ちたトマトがぱっと爆ぜると
  男はあわてて耳をおさえ
  耳をおさえる男に重心が移る
  ねえあんた これを
  ただのトマトなんて云っちゃいけない
  だってトマトが爆発する
  そしてたとえば これが
  本物の爆弾なら
  ここ以外のどこか別の場所へ落としたいなんて
  思う女っているだろうか
  あんた渋くていい男だけど
  嘘つきだ
  だけどあたしが男だったら
  女なんてかたっぱしから騙して捨ててやるわ
  そして男じゃなかったら
  そんな男はこうして
  こうして こうしてやるわ
  男がわめくと機体が揺れて
  だめ だめ だめと
  墜落だ

 彼女の詩集には、寓意に充ちた散文詩が多くて、その虚構の世界で展開されるユーモアと風刺と悪意に充ちた作品も悪くはないが、僕は、初期の、習作時代の彼女の作品、読み手に唾と罵声を吐きかけながら、自らの心も吐きだしてしまうような作品が好きだが、年令を重ねるにつれ、そういう直接話法では読者との通底孔が塞がれてしまうことに気づき、読者との距離や言葉との距離、書くべき対象との距離を測りはじめる。そして詩を書く技術が向上するにつれ、詩を書きはじめた頃の「不意の一行」を忘れてしまう。引用した詩は、彼女の最良の作品ではないが、相場きぬ子の個性がでていて僕は好きな作品だ。






       
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